第52話:路傍の石と、暴徒の宴
1. 視界に入らない障害物
極大魔法『ヘル・フレア』が蓮の右腕によって握り潰された瞬間、S級パーティ『スターダスト』の動きが止まった。
「は……? 消えた?」
彼らが呆然としている間に、蓮はすでに地面を蹴っていた。
蓮の思考は、目の前の転生者たちには向いていなかった。彼が見据えていたのは、その遥か後方にある王都の中枢、そして諸悪の根源である『聖魔融合炉』のみだった。
(急がなければならない。この戦争が長引けば、僕の軍はただの『暴徒』に腐り落ちる。秩序が崩壊し、隣国に付け入る隙を与えれば、国ごと滅ぼされる)
蓮にとって、目の前のS級たちは、道端に転がる石ころ以下の存在だった。
「邪魔だ」
蓮は走る速度を緩めず、すれ違いざまに漆黒の義手を軽く振るった。
それは、羽虫を払うような何気ない動作だった。
だが、その一振りには空間を削り取る『虚空』の概念が乗っていた。
「あ?」
魔法使いのダイキ、前衛のショウ、斥候のレンジ。
三人の身体が、蓮とすれ違った瞬間、音もなく上半身と下半身に泣き別れた。痛みを感じる暇すらない。彼らは自分が死んだことすら理解できずに、血の噴水となって崩れ落ちた。
蓮は振り返りもしない。彼らの死体は、蓮の背後でただの肉塊として地面に転がった。
2. 生存者の浅はかな殺意
リーダーのカイトだけが、運良く蓮の攻撃軌道から数センチずれていたため、左腕を失うだけで済んでいた。
「あ、ああああ……っ!?」
カイトは自分の切断面を押さえ、地面に転がりながら、遠ざかっていく蓮の背中を見た。
(無視しやがった……! 俺を、この勇者カイト様を、殺し損ねたな……!)
激痛の中で、カイトの脳裏にどす黒い復讐心が湧き上がった。
彼のゲーム脳は、まだ現実を理解していない。
(馬鹿め。トドメを刺さなかったのが運の尽きだ。俺には『エリクサー』がある。回復したら、背後からあいつの女たちを狙ってやる。手足を切り落として、一番惨たらしい方法で殺してやる……!)
カイトは、口元に血と泥が混じった下卑た笑みを浮かべた。
アイテムボックスから回復薬を取り出そうとする。
その時だった。
ズズズズズ……と、地鳴りのような音が、カイトの背後から聞こえてきた。
3. 足音の正体
カイトが振り返ると、そこには「壁」が迫っていた。
それは、先ほどまで彼らが魔法の的にして遊んでいた、数千人の「人間の盾」。そして、蓮に続く反乱軍の兵士たちだった。
彼らの瞳には、理性など欠片もなかった。
あるのは、家族を殺され、尊厳を踏みにじられ、極限まで虐げられた者だけが持つ、純粋で濃密な「憎悪」だけだった。
「あ……」
カイトの手から、エリクサーが滑り落ちる。
先頭にいた、子供を殺された男と目が合った。男の手には、武器ですらない、尖った石が握られていた。
「ゆ、勇者だぞ! 俺はS級だ! 近寄るな! 魔法で全員……!」
カイトは杖を構えようとしたが、魔力が出ない。恐怖で集中力が散漫になり、スキルが発動しないのだ。
「殺せ」
誰かが低く呟いた。
「俺たちの子供を笑いながら殺した悪魔だ。殺せ。殺せ。殺せ!!」
濁流が決壊した。
4. 暴徒の宴
「ぎゃああああああああああ!!」
数千人の群衆が、たった一人のカイトに殺到した。
魔法も剣技もない。あるのは、無数の手と足による、原始的な暴力だけだった。
「やめろ! 痛い! 俺は主人公だぞ! なんでモブごときに!」
カイトの叫びは、すぐに打撃音と骨が砕ける音にかき消された。
男たちが石で顔面を殴りつける。女たちが倒れたカイトの髪を引きちぎり、爪で肉を抉る。老人が杖で股間を執拗に叩き潰す。
彼らは、蓮が懸念していた通り、復讐の味を知ってしまった「暴徒」と化していた。蓮という抑止力が先へ進んでしまった今、彼らを止める者は誰もいない。
カイトは数分間、生き地獄を味わった。
S級の頑丈な肉体が仇となり、なかなか死ねなかったのだ。全身の骨を一本ずつ折られ、眼球をくり抜かれ、耳を削ぎ落とされ、それでも意識があった。
「たす……け……」
最後は、誰かの鉄靴が喉仏を踏み抜き、ようやくカイトの息の根が止まった。
5. 尊厳の欠片もなく
カイトが絶命した後も、暴徒たちの興奮は収まらなかった。
「こいつが良い服着てやがる! 剥ぎ取れ!」
「金歯だ! 引っこ抜け!」
死体は瞬く間に衣服を剥ぎ取られ、全裸の肉塊となった。
それでも怒りは収まらず、誰かが死体に唾を吐きかけると、全員がそれに続いた。
かつて「勇者」と呼ばれた男の死体は、排泄物と泥にまみれ、野犬の餌以下の汚物として、荒野に打ち捨てられた。
遥か前方を走る蓮は、背後から漂うむせ返るような血と狂気の気配を感じ取っていた。
蓮は、振り返らなかった。
振り返れば、自分もその狂気に飲み込まれる気がしたからだ。
蓮は、暴徒と化した軍が王都に雪崩れ込み、国そのものを食い潰す前に、全ての決着をつけるべく、さらに加速した。
「待っていろ、教皇。この地獄の蓋を閉じるのは、僕だ」
S級転生者たちの全滅。それは、あまりにもあっけなく、そして惨めな幕切れだった。




