第45話:廃棄場の奇跡と、影の支配者
1. 黒い奇跡
地下空洞の一角、かつての整備ドックと思われる場所は、異様な熱気に包まれていた。
「次、来な」
蓮が漆黒の義手をかざすと、長年毒に侵され、肌が土色に変色していた老人の身体が黒い光に包まれた。
「……良く、なれ」
蓮が呟くのと同時、老人の体内にある『毒素』や『衰弱』という概念が、義手によって握り潰され、強制的に『健康』へと書き換えられる。
「おお……痛みが、消えた……?」
老人が涙を流して地面にひれ伏す。
カイルが走り回って集めてきた「廃棄指定」の人々が、長い行列を作っていた。彼らは皆、国や教会に見捨てられ、死を待つだけの存在だった。
蓮は、ただ淡々と彼らを「修理」し続けた。
それは聖女の奇跡のような神々しいものではない。黒い泥のような魔力が肉体を侵食し、無理やり正常な形へとねじ曲げる、荒療治に近いものだった。
だが、結果として手足は生え、病は消える。
「蓮様、少し休みませんか? その右腕、魂への負担が大きすぎます」
フィーネが心配そうに声をかける。蓮の顔色は蒼白だった。
「構わない。この腕に馴染むための訓練だ。それに……彼らの『忠誠心』は、僕たちの国を作るための最初のレンガになる」
蓮の瞳は、慈善事業を行う聖人のそれではなく、虎視眈々と盤面を整える王の冷徹さを宿していた。
2. 軍靴の響き
その時、ざわめいていた群衆が、波が引くように静まり返った。
人々が恐る恐る左右に分かれ、道を作る。
その道の先から、一人の男が歩いてきた。
ボロボロの服を着たスラムの住人たちの中で、その男だけは仕立ての良い、しかし古びた燕尾服を着ていた。白髪混じりの髪を撫で付け、片目に片眼鏡をかけた初老の男だ。
一見すると、どこかの貴族に仕える執事のようにも見える。
だが、蓮の隣にいたセラフィナが、反射的に剣の柄に手をかけた。
「……蓮様、気をつけてください。ただのゴロツキではありません。あの歩き方、そして背後の男たちの統率……軍隊のそれです」
セラフィナの指摘通り、男の背後に控える巨漢たちは、無駄口を叩かず、整然とした陣形を保っていた。
3. 革命軍の残滓
男は蓮の前で立ち止まり、軍人のような鋭い所作で一礼した。
「お初にお目にかかります。この掃き溜めの管理を任されている、パラガスと申します」
「管理? ここは教会が捨てた場所だろう」
蓮が警戒を隠さずに問うと、パラガスは片眼鏡の位置を直しながら、低い声で答えた。
「捨てられた場所だからこそ、牙を研ぐには最適な隠れ蓑になるのです」
パラガスの目は笑っていたが、レンズの奥の瞳は、蓮の漆黒の右腕を値踏みするように見つめていた。
「貴方のその力……教会から派遣された『聖人』様には見えませんね。むしろ、かつて我々が待ち望んだ『変革の炎』の匂いがする」
パラガスは、周囲の部下に目配せし、人払いをさせた。そして、声を潜めて蓮に語りかけた。
「単刀直入に言いましょう。私はかつて、王国の腐敗に抗い、敗れた『革命軍連盟』の指揮官の一人でした。今はこうして、地下に潜り、再起の時を窺っている亡霊ですがね」
蓮は眉をひそめた。
「革命軍……。十年前、王都の広場で処刑されたはずじゃなかったか?」
「頭は狩られましたが、根は残るものです。我々は、この地下で『武器』ではなく『機会』を待っていました。教会の絶対的な支配構造に風穴を開ける、圧倒的な『個』の出現を」
4. 共闘の握手
パラガスは、蓮の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「貴方はここで、彼らを治してどうするつもりです? ただの慈善事業か、それとも……」
蓮は、パラガスの威圧を正面から受け止め、鼻で笑った。
「慈善? 違うな。僕はここに国を作る。教会も、王国も手出しできない、僕たちの国だ」
周囲の空気が凍りつく。それは狂人の妄言に聞こえるはずだった。
しかし、パラガスの表情が変わった。穏やかな老人の仮面が剥がれ、歴戦の指揮官の顔が覗く。
「国を作る、か……。我々革命軍ですら、そこまでの大言壮語は吐かなかった」
パラガスは、震える手で自身の胸元を押さえた。枯れていたはずの革命の魂が、蓮の言葉で再点火したのだ。
「面白い。貴方がその『虚空の右腕』で、教会の浄化部隊を退けることができるなら……私が隠し持っている革命軍の『地下資材』と『情報網』の全てを、貴方の建国に捧げましょう」
「交渉成立だな」
蓮は、差し出されたパラガスの手を、生身の左手ではなく、あえて漆黒の義手で握り返した。
「パラガス。あんたの軍隊を使わせてもらうぞ。ゴミが神を食うところを、最前線で見せてやる」




