(40)甘く優しい居場所と私
いよいよ、お店の工事が始まった。
「ここに辿りつくまで、色々あったわね」
職人さんたちが忙しなく出入りする現場を眺めながら、私は感慨深げに呟く。
開店準備はもちろん余念なく進めてきたが、一義さんが爆発して以来、彼と過ごす時間も大事にしてきた。
なんだかんだあっても最大の理解者である一義さんなので、言葉でいう程、私のことを束縛したりはしなかった。……カフェのことばかりに没頭していると、時折、言葉で脅されることはあったけれど。
まぁ、脅すと言っても俗にいう脅迫ではなく、甘いお誘いのことだったのだが。
「私って、大事にされてるんだなぁ」
いまだに彼との付き合いに関して自信満々とはなれないが、自分のことをないがしろにする様な自虐的な言葉はかなり減った。
私のことなど放っておいてくれていいのに、と、付き合い始めた当初はよく思ったものの、今は自分に向けられる愛情をありがたいと素直に受け取るようになった。
そうでなければ、こんな私を一生懸命に愛してくれる彼に失礼だと気が付いたから。
『私なんて……』
その言葉が口癖となっていた私だが、それを口にすることは卑怯なのかもしれないと、最近になって思うようになった。
『私なんて、あなたに相応しくない』
そう言葉にすれば、一義さんは必死になって自分の想いを紡ぐのだ。
それは優越感に浸れる甘美なものだったが、彼を好きであるならば、その言葉は不用意に口に出していいものではないと、ようやく思い至った。
私のことをこんなにも愛してくれる彼に相応しい自分になることが、一義さんの想いに応えることになるのだ。
卑屈な自分を抱えて、いつまでも『私なんて』とぼやいている暇が合ったら、出来る限りの努力をするべきなのだ。
そう思えた自分に、実は、私自身、ものすごく驚いた。
少しずつでも自分の居場所を手に入れ、そして、自信に繋がってきたからこそ、そう考えることが出来たのだろう。
十分大人だと思っていた三十を前にしても、私にはまだまだ成長の余地があったらしい。
これも、一義さんのおかげ。私の恋人は、本当に素晴らしい人だ。
「工事が始まってしまえば、あとは職人さんにお任せすることが多いし。そうなれば、いくらか余裕ができるわね」
――明日は一義さんもお休みだし、一緒に過ごす時間はたっぷりあるし……。たまには思いきり甘えてみようかな。
彼のことを愛していると、たまには言葉や態度で示してみようか。そんなことを私から仕掛けるなんて滅多にないから、きっと一義さんは喜んでくれるだろう。
しかし、私はすぐさま思い直す。
「……いえ、ほどほどにするべきかしらね。そうじゃないと、私が壊れそうだし」
一ヶ月ほど彼と過ごす時間をおざなりにしてしまったあの時、翌日の昼まで本当にベッドの住人になってしまったのだ。
感極まった彼がいつも以上に余裕をなくして愛情を注いでくることは、これまでの付き合いから予想できる。
いくら私の手が空くようになったからといっても、完全に暇になった訳ではないのだ。細々とした準備は山ほどある。一日中、寝込んでいる余裕はない。
「……うん。やっぱり、ほどほどに甘えよう」
私は苦笑いを浮かべながら、そう呟いたのだった。
私がカフェをオープンさせる場所は、もともと喫茶店だったところである。母の知人が使っていた店を、譲ってもらえることになったのだ。
そこは立地条件も悪くないし、お客様の評判の上々だった。しかし店主であるご主人が大病を患い、店を続けていけなくなったため、閉店したのだという。
もともとお客が付いていた店というのはありがたいけれど、新しい店主としては難しいところでもある。
なにしろ馴染みの客は前の店の味を覚えているのだから、どうしたって比較されてしまう。
さらに思い出補正とでも言おうか、人は自分の中の記憶を少々いい方に書き替えてしまうものである。
もう味わうことが出来ない飲み物や料理は、よりいっそう美味しいものとして、記憶の中に残り続ける。
その思い出を胸に抱く人たちをお客として迎えた時、私は彼らを満足させることができるだろうか。
『この店の味も、なかなか良いもんだな』
そう言ってもらえるように頑張らなければ。
「難しいけれど、かえってやりがいがあるわ」
夕方になり、一義さんの部屋のキッチンで食事の準備しながら思いを馳せていると、そんな言葉が私の口から出てきた。
この私が、逃げ出すことなく立ち向かっていけるようになるなんて、まさに一義様々だ。
「よし、おかずをもう一品付けてあげよう」
感謝の気持ちを品数で表すべく冷蔵庫の扉に手を掛けた時、玄関の方から鍵が開く音がした。
パタリパタリとスリッパが床を打つ音を響かせ、一義さんがリビングにやってくる。
「おかえりなさい」
声をかけると、彼がフワリと笑う。
「ただいま。やっぱり、雅美が家にいるっていうのは、すごくいいな」
ネクタイの結び目に手をかけてシュルリと解きながら、一義さんが嬉しそうに言った。
「そ、そうですかね」
私は僅かに照れながら、彼からバッグと上着を受け取る。
すると一義さんはこちらへと手を伸ばして、私の頬をスルリと撫でた。
「なんだか、いつもより表情が明るい」
指先で数回頬の丸みを辿ると、彼は私をリビングのソファへと促す。誘われるままに、並んで腰を下ろした。
改めて一義さんが私の頬を撫でる。
「いいことでもあったか?」
「いいことと言いますか……」
くすぐったく感じながらも彼の好きなようにさせたまま、私はさっき考えていたことを話す。
それを彼は嬉しそうな顔で聞いてくれた。
一義さんは頬を撫でていた手を移動させ、私の肩を抱き寄せる。引き寄せられる力に身を任せ、私は広い胸にもたれた。
「なるほど、難しいことを逆にやりがいと受け取ったのか」
私の髪に頬を寄せ、肩に乗せた手でポンポンと優しくリズムを取る一義さんに頷きを返す。
「まぁ、思っているほど簡単にはいかないと思いますけどね。でも、だからこそ頑張ってみようかなと」
視線を上げると、一義さんが優しく見つめ返してくる。
「ホント、いい顔をするようになったな」
そんな彼に微笑みかける。
「それは一義さんのおかげですよ。一義さんがすぐそばで励ましてくれるから、私は前に進むことができるようになったんです」
しっかりと目を見て「ありがとうございます」と礼を述べれば、
「別に、俺はなにもしてないさ。ただ、雅美に愛情を注いでいるだけだ」
極上の笑顔で甘く囁かれた。
とたんに、私の顔が火を噴くほど赤くなる。
「うっ……、あ、あり、がと……、ござい、ます……」
どもりつつも口を開けば、額にやんわりとキスが降ってきた。
「どういたしまして」
一義さんはクスクス笑って、またチュッとキスを落とす。
「今日から、工事が入ったんだよな。いよいよ、雅美の夢が実現するのか」
しみじみと言われ、私は大きく頷いた。
「オープンに向けて、さらに頑張りますよ」
力強く宣言すると、一義さんは少し困った様に笑う。
「おいおい、俺たちの結婚式に向けても頑張ってくれ。なんだか、雅美を店に取られた気分だよ」
「え……、あ、はい……」
いっそう顔を赤くした私は、小さく、だけど、ハッキリ頷いた。
念願だったカフェがオープンすれば、そこが私の「城」となる。
一義さんが私に与えてくれた夢であり、私の居場所でもある。
だけど、彼の腕の中ほど、居心地のいい場所は他にあるまい。
私の居場所は、私が居たいと思う場所は、一生、一義さんの腕の中だ。
●ようやく「わたしの居場所」が完結を迎えました。
思った以上に長くなってしまい、「いったい、いつ終わるのか?」と、作者自身が少々ヒヤヒヤしておりました。
当初は両想いになった時点で完結を迎えるだろうと考えていたのですが、思いのほか、雅美ちゃんが頑張りを見せてくれましてね。
一義さんも、いい感じで雅美ちゃんに振り回されてくれましたし~♪
予想外だったのは、上条さんでしょうか。
彼女があのような態度で雅美ちゃんに接していたのには、それなりの理由があったとは!
作者が一番驚きました(笑)
連載当初、そんなプロットは一切ありませんでしたから。
後半はやたらと上条さんが書きやすくて、予定にないお話まで浮かんでくる始末。
小説は生き物だなと、今回、改めて感じました。
どうも、「完全な悪役」というキャラは書けないようで。
そのキャラ設定に明確な意図がない限り、悪役のままで終わらせることは、みやこ作品ではなかなかないことですね。
●この作品を書こうと思ったのは、
あの……、込み入っているところを大変恐縮ですが、質問させてください。
私はどうして楠瀬課長に抱きしめられているのでしょうか?
というセンテンスが、ふと頭の中に浮かんだからです。
プロローグの終わりが疑問符で締めくくられるのも面白そうだな、と。
当時メインで連載していた「タンポポと黒豹」があまりにもコメディ路線を爆走しておりましたので、少しは落ち着いた感じの作品を書きたいという思いもありましたしね。
結果としては、そこそこのラブコメになってしまいましたが。
●みやこ作品は登場キャラクターの成長を通して恋愛を描いておりますが、雅美ちゃんはけっこうな成長ぶりを見せてくれたかと思われます。
頑張ろうとする女性って、すごく素敵ですよね。
頑張ろうという気持ちに辿りつく前の女性を、優しく(たまに激しく?)包み込む男性というのも、すごく魅力を感じます。
この小説を読んでくださった方々が、色々な意味で前向きに歩んでくだされば作者冥利に尽きます。
……いや、「まずはお前が前向きに頑張れよ!いい加減、更新ペースを上げろ!」という声が今にも聞こえてきそうです(汗)
相も変わらずヘナチョコ作者のみやこですが、今後とも温かい目で見守っていただけると幸いです。




