第26話 事件後のお話
《代理戦争》から一ヵ月。
私は聖都の歌劇場を特別に貸し切り、音楽会の主役として出ていた。今回は魔界の住人も参加できるよう教皇聖下から許可の元、盛大な音楽会となった。
音響反射版を使用したシューボックス型の大ホールで、観客席が三階まである。かなりの広さを持つ設備と臨場感溢れるステージに、天井のシャンデリアが美しく煌めく。
そこで有名な音楽団やピアニストと共演し、二日に渡って歌声を披露した。
(あー、聖都の歌劇場もすごい!)
二日の昼と夜の部の計四回だったが、常に満席でアンコールまで頂いた。充実した満足のいく公演だった。
そして今回の音楽会が終わった後で、密かに楽しみにしているのは、私への報酬金額だ。
関係者控え室には色とりどりの美しい花や、手紙、贈り物がずらりと並んでいる。もちろん、これらも大事なファンからのものなので大事だが、今は借金の全額返金ができるかもしれないと思うと口元が緩んでしまう。
(借金を全部返し終わったら、歌姫の仕事を少しだけ減らして……。今後の貯蓄をしつつ、他の事業に手を伸ばすのもありかも。あと旅行に、美味しい物巡り、読書に……自分の時間、イザークとデートをする!)
イザークも仕事で忙しい時もあるだろうし、お互いにちょうど良い距離を保つような付き合いをしていきたい。
そう夢を膨らませてワクワクしていた私は、叔父様が持ってきた報酬金の紙を見て固まった。
「ほうしゅうがくが……まいなす。しゃっきん……シャッキン……あはは」
「今回の音楽会の代金は全て教会持ちなんだが、魔界からの住人を迎え入れるための交通費が、どうしてもな」
「コウツウヒ……とは?」
深緑色の長い髪の叔父様は黒のリボンで髪を結っており、紳士服に身を包んでいる。三十後半で未だに独身なのだが、その色香は年々増してかなりモテていた。
今回の《代理戦争》の事後処理に尽力してくれた一人で、感謝しても仕切れないのだが、叔父様も魔界事情を知らなかったのか、借金額を見て凹んだ。
「知らなかった……。一人だけでもこんなに掛かっているなんて……」
「魔界の人外は地上での活動許可を得るためには、手間と時間など諸々あるらしい。一応、《代理戦争》でのこともあったので、メアリーが払える額にはしている(まあ、『あの子に借金がなくなったら、歌姫辞めるかもしれない』と魔王様の独白に、周りが勝手に動いたのだろうな)」
「うう……借金地獄。しかも借金の額が増えている……」
「メアリー! 元気で……はないようですね」
テーブルに突っ伏して、屍となりつつある私に声をかけてきたのは、グラート枢機卿だ。
いつも柔和な笑みを浮かべて私の隣に座る。金髪の美しい髪に、碧色の双眸の美しい人だ。二十代にしか見えないのだが、常に穏やかで視野が広い。知識も豊富で色んなことを教えてくれる師のような存在だ。
いつもなら立ち上がって挨拶をするのだが、そんな気力すら沸かない。《代理戦争》から事後処理で色々忙しくて、それでも今回の音楽会で報われると思っていたからこそ──凹んでいる。
「グラート枢機卿……借金地獄で、泣きそうです。辛い。久し振りに、立ち直れないかも。もう生きる気力がゼロになりそう……。旅行や美味しいもの食べたかったのに……」
「それは困りましたね。ではこの依頼を受けてみませんか? メアリーにどうしても、と言う歌の依頼なのですよ」
グラート枢機卿は一通の手紙を差し出した。視線だけ手紙に向けると、高級紙を使った封筒ではないか。
しかもこの国の王印に、慌てて起き上がる。
「今回、第三王子の失脚だけでは足りないと思った王家は、汚名を注ぐべく第一王子が主催となって、あることを企画したそうです」
「これは……」
「報酬はかなり大きいし、借金の金額も半分以上は返せると思いますよ? それに豪華客船での一ヵ月長期旅行で、休暇をしつつ美味しいものも食べ放題とか」
「!」
依頼内容は豪華客船コンチェルトでの、一ヵ月の音楽会の出演だった。
毎日ではなく、他の歌姫も交えた交代制で、五ヵ国を旅する超有名な豪華客船の予約は、常に満席で予約も三年先まで埋まっている。
その内容を聞いて真っ先に私が思ったのは、喜びや報酬額ではなく──。
(あ、なんだか沈没しそう。氷山とかにぶつかる、嵐で転覆、あるいは実験中のゾンビが船内で目覚めて……、連続殺人犯が乗っているあるいは、連続殺人事件も起こる──そんな予感しかない!)
つい最近、連続殺人に代理戦争、危険なサスペンス満載の列車の旅、聖都の教会本部で茨との鬼ごっこの次は船。
間違いなく海の上は一種の閉鎖空間だし、事件に遭遇する気しかしかない。受けるべきかどうか悩んだが、借金額が半分以上減る、旅行に美味しいものが揃っているのなら──と天秤を傾ける。
うーん、と唸っていると、枢機卿は少しだけ困った顔で「もしかして歌姫でいることが嫌になりましたか?」と躊躇いがちに尋ねてきた。
今にも泣き出しそうな顔をしているので、少しだけ自分の気持ちを整理して慎重に言葉にする。
「嫌いじゃないですよ。歌うのは好きですし、歌姫であることは誇りに思っています。……でも、頑張っても、頑張っても報われないというのは、次に頑張るための踏ん張れないというか、元気が出ないのです。だから少し仕事を離れて、自分の時間を作って休憩したい気持ちが強くて……」
「では一生懸命頑張っているメアリーのために、次の依頼が終わって無事に帰ってきたら、私が残りの借金を払いましょう」
「え」
唐突に太っ腹なことを言い出すので、耳を疑ってしまった。
「魔界の交通費を歌姫に払わせることに、教会中でも反対意見が出ているのですよ。私が声を上げれば、それらも改善できるでしょう。メアリーはご褒美が欲しいというのなら、私ができる限りのことをして上げます(今回は慰安旅行として用意してみたが、借金が辛いのなら別の方法で《歌姫》という役割を引き留めたほうがいいのだろうか……。人間の考えは難しい)」
「グラート枢機卿……」
グラート枢機卿は時々、私をドロドロに甘やかそうとする。そのタイミングはよくわからないが、彼なりの労いのつもりなのだろう。甘えてしまって良いのか悩んでいると、叔父様と目が合った。
「グラート枢機卿が言うのなら、効果は絶大だろう。(今回は本当にただの慰安旅行のようなものだし、護衛の数は増やす方向で対処すれば大丈夫なはず)……メアリー、行ってみたらどうだ」
「……わかりました! 行きます!」
「そう言って貰えて良かったです(……やっぱり、この子が何を考えているのか、わからないことが多い。条件が良い話でも躊躇うのはどうしてなのかとか。……けれど、この子が悲しい顔をするのは……見たくないことがわかったのは、良かったかな)」
「グラート枢機卿には、たくさんお土産を買ってきますね!」
「ええ、楽しみにしています(あ、この場合、私は偶然を装って同行すべきか、大人しく傍観して留守番すべきか……わからないことが増える)」
私の頭を優しく撫でる枢機卿の手は、父と全く違うのに時々ダブってしまう。枢機卿は父のような酷い人ではないのに、重なってしまうのが申し訳なく思った。
(全部の責任を放棄して、どこに居るかも分からない両親よりも、叔父様や親身になってくれるグラート枢機卿のことを大切にしていこう)
その後、イザークに仕事で一ヵ月ほど空けると相談した結果、烈火の如く怒り狂ったのは言うまでもない。
まだまだ恋人として自覚が足りないと言われてしまったので、こっちはこっちで話を設けることになったのだった。
次回が最終話です!




