第25話 ヴァイオリニストの視点
どこで間違えた?
お母様はどこまでも自分本位だ。それでも利用価値があれば、息子として認めてくれる。そう言う人たちだった。
親子の情などという幻想はなく、弱肉強食こそが真理。
だからこそ母たちの悲願を叶えるために、八年前にたまたま境界が緩んだ一瞬を狙って地上に出た。運は私に味方したと思った。
あの騎士を殺せなかったのは計算外だったが。
年単位で計画を立てて、ここまでこぎ着けた。王都での連続殺人も、人外を地上に強制召喚する方法も、黒薔薇の開花も、全ては布石。
聖都を黒薔薇で制圧し、魔王様を復活させる。それこそが母たちの悲願、私の目標であり、全てだった。今回の計画はどれもが想定の範囲内。
盤上の駒が多少イレギュラーを見せたとしても、修正可能だった。
あの歌姫が魔王様を召喚することも想定内で、ワザとヴァイオリンを騎士に壊させ、歌を披露させる舞台を作ったと言うのに、まさか魔王様自身が私を攻撃するとは考えてもみなかった。
(私に感謝──はなかったとしても、褒めてくださると思ったのに……!)
命からがら魔界に戻った。あの一瞬で私の片腕と心臓の一つは砕かれ灰となって霧散した。黒薔薇と虫が交わって生まれた自分は、植物の生命力に救われたらしい。
全てが一瞬でひっくり返る。
盤上そのものが魔王様にかかれば、百がゼロになるのだ。
「私は何を見落とした? どこで間違えた?」
『間違えたというのなら、時期だな』
魔界の──自分の屋敷に戻ってきて安心しきっていたのだ。音もなく現れた魔王様に私は「ヒュッ」と声が漏れた。
ゾッとするほど平坦な声なのに、どうしてこんなにも傅きたいという衝動が抑えられないのだろう。
(これが我々の王……)
『人間が増えすぎて戦争が増えるようなら良い手だが、平穏の世では刺激が強すぎるだろう。……連続殺人までは退屈しのぎに見ていられたがな』
「魔王様……」
跪いたまま動けなかった。
恩情が得られるかもしれない、そう思ったのだが考えが甘かったことを、この後思い知る。
『あの子が危険になる可能性があると知っても、なんとも思わなかったが──やはり顔を見ると情のようなものは、多少は残っているようだ。お前たちはあの子に手を出した以上、逃しはしない』
「あひゅ」
反論する前に私は力を奪われ、ただの黒薔薇に変わってしまった。なすすべなく、その場にへたり込む。
(ああ……、なんて無力な姿に……)
項垂れていると、魔王様の傍に壮年の男が姿を見せる。深緑色の髪は肩程まであり、外見は三十過ぎだろうか。紳士服に身を包み、恭しく魔王に傅く。人の気配が強いが人間ではない。
「恐れながら、我が王の前に拝謁する許可を頂きたく存じます」
『貴公なら構わん。……しかし、あの子があの領域まで歌えるとは想定外だった』
「そう思えるようになったことこそが、大きな収穫だったのではないでしょうか?」
『そうだろうか。……この姿に戻ってからは対して情も、人間らしさも、まして人間の心も理解ができない』
「ですが、彼女に会われて、魔王様は嬉しそうに見えます」
『……あの子の前に立った時に、妻のように壊れなくてよかったとは思った』
そう口にする魔王様は、心から人間を慮っているように思えた。無慈悲かつ、何にも関心が持てなかったと母たちから聞いていたのに。
(いや、しかし、あの子……とは、歌姫のことを指しているのか?)
「我々も事実を知った時は驚いたものです。貴方様の半身が人間に転生していたなんて……思いもよりませんでした」
『何度か人間の器を媒体にして観察した後で、人間に憑依して生活も送れたからな。今回は魔王の記憶を封じたまま転生を試みた。人間として一生を終えるつもりだったが、神々の遺産である《真実の身鏡》の機能が生きていたせいで、自分が魔王の半身だと気付いたのは誤算だったが』
魔王様が人間の器を媒体に、地上で活動しているとは思いもしなかった。
母たちは、人間に唆され、騙され、様々な権能を奪われた《哀れな魔王様》だと嘆いていたのに、まるで違うではないか。
しかも半身を人間として転生させるぐらいには、地上の生活が気に入っているよう話ぶりではないか。私に聞いていた話とはあまりにもかけ離れている。
「他国が一夜にして滅び、周辺諸国までが不毛の大地と化したあの日ですな。奥方は我が王の姿に耐えきれず精神を壊れた程度で済んだのは、暁光だったかと。それから六年かけて離婚という形をとったのも、英断だったと思われます」
『……だが中途半端な結果で失敗に終わった。人間だった時は多くの感情が得られていたのに、我が何だったか気づいた瞬間に、あっという間に霧散して消えた。だから妻だった彼女への思いも、娘への気持ちも今はない。……妻だった彼女が壊れていくのを見てもなんとも思わなかった。あの子が一人で大変な目に遭っていても、他人事のように思えたからな』
「……少なくとも私を遠方から呼び出し、あの子を保護するように指示を出したことや、貴方様が枢機卿の器を新たに手に入れて、あの子と接点を持とうとした段階で、貴方様自身が思っている以上に、あの子を愛していると──臣下の立場から見ても思います」
『貴公が言うのなら、そうなのだろう。貴公ら龍人族は人間を好み、その機微によく気づく』
「遙か昔、我が王が人間を庇護下に置くと決めたあの日から、臣下として当然なことです。我らは主人のために存在し、主人のために動けることこそが至高と考える種族。……ご命令を我が王」
この魔力、そしてやりとりの中で、そこにいる男が魔王様の重臣、龍人族族長だと言うことに気付いた。なぜ人間の姿でいるのだろう。
いやそれよりも、魔王の娘?
あの歌姫が──人間に転生していたとはいえ、魔王様の?
思考が上手くまとまらない。情報量が多いのと、母たちが話していたことと、かなり食い違っている。
『今回の件の後処理を任せる。あの子が困りすぎるのは、我も気分が悪い』
「承知いたしました。女王たちの掃討は、我ら龍人族が請け負いましょう。鬼人族と吸血鬼族も血気盛んなのが張り切っておられます故、お任せいただければ」
魔王様は消えてしまった。残ったのは黒薔薇の自分と魔王の重臣。
重苦しい空気が流れる中、私は身動き一つできなかった。根を張り増加を繰り返したとしても、その次の未来が確定された死だと直感で悟ったからだ。
ゆっくりとこちらに振り返る龍人族の眼光を見た瞬間に、死は決まっていたのだろう。
いや、それよりも前に、私があの呪われた歌姫を計画に組み込んだ時点で、この結末は覆らなかった気がする。
(ああ、お母様──、もうしわけ……ありません)
お母様には親子の情など欠片もないだろう。それでも最期に思える相手がいることは幸いなのかもしれない。
お母様も魔王も、膨大な力を持ちながら何とも無知で、自分本位で、愚かなほど純粋なのだろうか。
魔王がそうであったように、もしお母様がいつか、情と愛を理解してくれたならば──その時にまた転生してみたいと、少しだけ思ってしまった。




