39話:2章 ヘンなの登場しました
ラーホンを出発して三日。
旅はことのほか順調に進んでいます。
盗賊騒ぎやら、ワイバーン騒動があったので『まだ何か起こるのでは?』と警戒していたのですが、この調子だと明後日にはソカリスの街に到着できそうです。
お昼休み、わたしは師匠の膝の上でファーブニルの腱を解す作業を行っていました。
現在、サードアイの弦は太めの銀線を使用し、強靭と頑強で補強しています。
通常の弓に使われる、動物の腱や糸では、弓本体の反発力に耐えられないからです。
魔法陣を刻む関連で弦が太くなってしまい、今一つしなやかさを感じられないのが、不満点の一つでした。
そこで手に入ったのがファーブニルの腱。
半端な鋼糸より遥かに強靭で、しなやかかつ反発力の高いこれなら、サードアイの弦に最適です。
問題はバカでっかい腱を解す作業が、とても煩雑で根気が要る作業だということ。
「むぅ、思ったより手間ですね、これ。念力の魔術だと、細かな作業には向いてないですし」
「問題は、なぜその作業を私の膝の上でやるか、ではないのか?」
「だって師匠、少し目を離すとベラさんとイチャつくでしょう?」
「そんな意図は毛頭ないぞ!」
「そうですね、毛根危ないですしね」
「その話はよせっ!」
頭を押えて悶える師匠。最近気になりだしたようですし。
それと、あんまり動かないでください。こないだから、ちょっと意識しちゃってるのですよ? その、当たってるところとか?
「ふふ、ハスタールさんはまだまだ大丈夫ですよ。現役です」
「そう言って貰えるとありがたい。ウチの弟子は容赦が無いからな」
師匠がフォレストベアと一緒に護衛に入った関連で、ベラさんのアタックが過激になっている気がします。
恥ずかしいのを我慢してこの体勢で作業しているのは、牽制の意味もあるのです。
バーヴさん、もっとしっかり手綱を握っててくださいよ!
「肉食系女子は危険なので、師匠も気をつけてくださいね」
「ユーリも大概肉食系だろう?」
「お肉は大好きですけどねー」
「それじゃ、ユーリちゃんのサンドイッチはハムを増量しましょうね」
「あ、俺も! 俺も追加お願いするッス!」
「あ、俺もください」
「シャギャ!」
食事を配膳してくれていたレシェさんが、わたしの分にハムを追加してくれました。
それを見て、ジャックが異論を唱えてます。そして、こっそり尻馬に乗るアレクとイーグ。
「ジャックさん、アレクを『アニキ』と慕うならば、ここは姉弟子のわたしにもハムサンドを譲るべきではないでしょうか?」
「いやっ、それは!? しかし……ぐぬぅ!」
忠誠と嗜好の狭間に挟まれ、悶絶するジャックさん。そこへなぜかバーヴさんの援護射撃が。
「それを言うなら、ユーリ嬢ちゃんもハスタールさんにハムサンド譲るべきなんじゃね?」
「ハッ!? いやでも、わたしはまだ成長期ですからっ!」
「お前は成長しないだろう?」
「師匠、それは禁則事項です」
「あ、すまん」
最大機密をあっさりと漏らす、うっかり師匠です。
もう、仕方ないにゃあ。
「あ、アレクさん、わたしの分どうぞ!」
「いいの? あー、でもマールちゃんは、キチンと食べないとダメだよ。大きくなれないよ、ユーリ姉みたいに」
「え、それは困りますけど……でもアレクさんのお腹の方が重要です!」
「そこ! なに、わたしを引き合いに出してるですか!」
あざとくポイントを稼ごうとしてる、リア充マールちゃん。いや、もはやリア獣か。
あと、わたしみたいになると困るだとぉ! ……はい、困りますよね。
「小さくてもいいじゃないか、こうやって膝に乗せられるのは子供のうちだけだぞ?」
「師匠まで子供扱いしないでくださいぃぃ!」
膝の上でピョンピョン跳ねながら、遺憾の意を表明しますです。
師匠、あまり子供扱いすると、このまま『入ってるよね?』な展開に移行しますよ?
なんだかんだで昼に師匠分を補充できたので、今日は満たされた気分で夜の散歩に出てます。
「今日は風が気持ちいいですね、イーグ」
「ウギュ?」
師匠も夜の散歩に付いては承知しているようですが、イーグが一緒と言う事で大目に見てくれています。
子供とはいえファーブニル種。イーグは、そこらの魔獣より余程強いです。
「今夜も護衛をヨロシクですよ」
「アギャ!」
あまり深い所には入らずに、木立の入り口付近を軽く散策。
夜は風が涼しく、また植物の放つ適度な湿気と言うか湿度が、肌に心地いいです。
「こういうのをマイナスイオンって言うんですかね?」
「ウギュ~ギャギャッ」
イーグもわたしの気分が伝染したのか、上機嫌のようですね。
クルクルわたしの周りを飛んで、まるで踊っているようです。
十分ほど歩き回り、腰を掛けるのに丁度いい石を見つけたので、一休みしましょう。
弦を張り直したサードアイを取り出し、軽く弾いて見ます。
「後は骨を裏打ちしたら、この弓も完成ですかね?」
イーグが不思議そうな顔で、弓に顔を寄せ、匂いを嗅いでいます。
やはり親の匂いと言うのは残っているのでしょうか。わたしは残酷な事をしている気分になります。
「この弓の一部はイーグの本当のお母さんで出来ていますからね。生存競争の結果とはいえ」
ファーブニルだって餌は必要でしょうし、子供が生まれれば、その分増えるのも道理。
ラーホンを生け簀にしようとしたのは頂けませんが、人間だって魚が多く集まっていれば、そこに網を投げるわけです。
もちろん此方だって、ただで食べられてあげる義理も無いので、歯向かいますが。
「あなたは人を襲わないで欲しいですね。本当に怖いのは人間だか――誰です!」
突然、近くに強い気配を感じ……そう、強い存在感としかいいようのない『何か』、です。
背の矢筒から鉄矢を引き抜き、その気配の居る方向に威嚇します。
「待って。脅かしたのなら、謝る」
そう言って木の影から、十四、五歳くらいの少年が出てきました。わたしと同じ、銀の髪に紅い瞳。
細身の身体は幻のようで……それでいて確りとした現実感を与えてきます。
わたしはその姿に眉を顰めます。
歳若いその姿にではなく、落ち葉の積もったその場所を、音も無く近付いてのけた、その技量に。
――こいつ、強い……いや、トンデモない、ですね。
師匠との修行で、相手の力量を見抜く、という技は習得しています。
ですが、そのわたしをもってしても、彼の力量が把握できない。
これはわたしの未熟でもなんでもなく、相手の技量が高すぎて把握できないからです。
「それ以上は近づかないでください。さもないと容赦なく撃ちますよ?」
「それは遠慮したいな。その弓はとても痛そうだ」
まったく脅威を感じていないかの様に飄々と話す彼。
恐ろしいことに、威圧感をまったく出していないにもかかわらず、イーグは地に降り立ち震え、怯えきっています。
何より恐ろしいのは……識別のギフトを掛けても反応が無いことです。
『空間』全体への識別ですら、そこには『何かいる』程度しかわかりません。
「もう一度問います。誰です?」
「ボクは……そうだね、バートと呼んでくれるかな?」
「隠す気すらない程の、あからさまな偽名ですね」
「うん、まあそうだね。本名はちょっと理由があって言えないんだ。キミのギフトと一緒でヒミツ」
「なっ!?」
わたしのギフトまで知ってる、というのですか?
「何を、どこまで知ってるんです? 何しにここに来たんです?」
「大体のことは知ってるつもり。あと、ここへは『竜退治の英雄』を見に」
「それなら、あっちの商隊にどうぞ」
「建前上のハリボテには興味ないよ。大体は知っているって言ったでしょ」
「なら、もう満足でしょう。お帰りはそちらへどうぞ」
少年の背に向けて指差すわたし。
「ツレナイなぁ。同じ世界の戒めを破壊した仲間じゃないか」
「……戒め?」
「あらゆる生命は生きて、そして死ぬ。そして魂は世界樹へ還る……この世界に生まれた以上、決して避けられない、神の施した『破れぬはずの戒め』さ」
つまり、彼も……ということですか?
「あなたも不老不死、とでも言うつもりですか?」
「キミとは起源が違うみたいだけどね。ファブニールが倒されたのも納得だね……そして懐いたのも」
軽くイーグに視線を流すバート。ファブニールのこともご存知ですか。
そしてサードアイにも目をやる。
「まあ、その死骸は世に流さない方がいいよ。一応理解はしてるようだから安心はしたけど」
「厳重に封印してますよ。ご安心を」
「本当は『彼ら』に配った分も回収したい気分なんだけどね。まあ、キミの権限の範囲内、ということにしておくさ」
「……人の収得物に、イロイロ指示してきますね。ナニサマのつもりです?」
「ボク様」
「っざけんなです!」
一声吼えて、鉄矢をファブニールを屠った改良型に取り替え、サードアイを全力で引きました。
魔術も全力で起動。身体強化二種に加え、前方に高圧の雷撃を二つ配置。
魔力と言うレールによって構成された五メートルにも及ぶ長大な仮想砲身内に、強大なローレンツ力を発生させる。
これが矢を鋼鉄製にした最大の理由……電磁加速砲。
――目の前にいるのは謎の存在。ただわかるのは脅威であるということだけ。ならば、その勘を信じます!
音速を超える矢を砲身内に撃ち込む。
パン、と爆竹の爆ぜるような、乾いた軽い音。だがそれは、磁力によって加速され、音速の二十五倍にも到達した鋼鉄矢が空気の壁をブチ破った音。
それ以降の音は全て、振動によって掻き消えた。
空気との摩擦で融け崩れ、蒸発しながら飛来する矢は、熱線の魔術と違い、確たる質量を持って破壊を撒き散らします。
同時に、発生した衝撃波がわたしを弾き飛ばし、地面を転がりました。
ゴキ、ベキと、転がる都度に骨の砕ける音。左足が、右腕が、左手の指が。
それでも、死なずに済んだのは僥倖だったのか、どうか。
目の前には三十メートルに渡って破壊の限りを尽くされた木立の残骸。
三十メートル。溶けて蒸発しながら飛来する鋼鉄矢は、それだけの距離しか飛べないのです。
最大の攻撃力を誇りながら、使い勝手の悪い理由がこの射程の短さと準備時間の長さ。
だけどその威力は絶大で、バートだったモノは足首を残して、掻き消えていました。
「……倒せ、た?」
掠れる声でそう漏らした瞬間――
再生が始まった。足首から骨が、肉が盛り上がり、逆再生のように人を形作る。
その間わずか数十秒。
「うそ……」
わたしを遥かに超える再生速度。
信じがたい光景を見せ付けた『ソレ』は、軽く首をひねっただけで──
「痛いな。まあ、怖がらせたこっちにも非はあるんだろうけどさ。いきなり撃つことはないじゃないか」
わたしの持つ最大の攻撃力を受けて、感想が『痛い』だけですか……ふざけんな、です。
「警戒するな、ということが無理な話だったかな? 自分だってこんな怪しいヤツは攻撃するしね」
「……あ」
そう、攻撃してしまったのです。明らかに敵対の意思を示したのです。
反撃されても文句は言えないのです。この、トンデモない存在に。
「まあ、今日のところはこれでお暇させてもらうよ。あ、安心していいよ。ボクは今のところ、キミたちの敵じゃないからね。だから、次会う時は歓迎して欲しいな」
そう言って振り返り――消えました。
目を離したつもりは無かったのですが、消えた瞬間すらわかりませんでした。
なんですか、アレは……
「……この世界ってバケモノの巣窟なんですかね、イーグ?」
気がつけば、背中はビッショリと冷や汗だか、脂汗だかわからない物で濡れています。
「ちょっと、水浴びでもしたい気分ですね。イーグ連れて行ってくれませんか?」
「ウギュ?」
地面を転がり泥だらけ、骨折は治ったけど、血塗れ。
水浴びは冗談ですが、軽口を言っていないと気を失いそう。
「実は腰が抜けました。歩けません」
「ギュ~」
腰も膝もまったく力が入りません。なのに全身は、今になってガクガクと震えが来てます。
疲労と心労で、もう寝ちゃいたい。この夢のような現実から逃げ出したい。
「ユ-リ! 無事か!? なにがあった!」
遠くで師匠の呼ぶ声が聞こえました。これで安心です。
「よかった……もう、寝てもいいんですね」
そういって、崩れ落ちるように眠りに落ちました。




