第5話「評判の広がり」
リバーサイドの朝は、川を渡る風の音で始まる。
俺は工房の扉を開け、看板を外に出した。昨日作った「高品質・低価格ポーション、本日より営業開始!」の文字が、朝日を浴びて輝いている。
「さて、今日も頑張るか」
昨夜は遅くまで製造に没頭していた。リリアの口コミ効果で、今日は確実に客が来る。少しでも在庫を増やしておかないと。
結果、徹夜で作った下級回復ポーションは15本。品質チェックも完了している。温度管理、魔力量、混合比率、全てを記録しながらの製造だ。
「1日10本が限界って言ったけど、頑張れば15本いけるな」
とはいえ、これ以上は無理だ。品質を落とさずに作れる限界がここだ。前世で学んだことがある。無理な増産は、必ず品質低下を招く。
工房の中を確認する。作業台は整理整頓され、薬草は適切に保管されている。5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を徹底した結果だ。
「よし、準備OK」
時刻は朝の7時。開店までまだ1時間あるが——
「おはようございます!開いてますか!?」
扉の外から、元気な声が聞こえた。
「リリアさん?」
扉を開けると、そこには金髪の少女が立っていた。昨日、俺の最初の客になってくれたリリア・ハートウェルだ。
「おはよう、アレンさん!今日も開いてるかなって思って!」
「ええ、もちろん。でも、まだ開店時間前ですよ?」
「あはは、早起きは得意なんだ!それにね、今日は仲間も連れてきたの」
リリアの後ろを見ると、三人の冒険者が立っていた。
「こいつらが、昨日俺が言ってた仲間たちだ」
一人は大柄な戦士風の男性。一人は弓を背負った女性。そして、ローブを着た若い男性。典型的な冒険者パーティだ。
「初めまして。俺はジェイク、このパーティのリーダーをやってる」
戦士風の男性が手を差し出してきた。俺はその手を握った。
「アレン・クロフォードです。錬金術師をやっています」
「こっちがエレン。弓手だ」
「よろしく」女性が軽く会釈した。
「僕はトム。見習い魔法使いです」
ローブの男性が、緊張した様子で頭を下げた。
「リリアから聞いたぜ。銀貨2枚で、めちゃくちゃ効くポーションがあるって」
「正直、俺は半信半疑だったんだ」ジェイクが笑った。「でも、リリアがあそこまで興奮してるの初めて見たから、気になってな」
「試しに買わせてもらっていいか?」
「もちろんです。どうぞ中へ」
四人を工房に案内した。
「おお、綺麗な工房だな」
ジェイクが感心したように周りを見回す。
「整理整頓は品質管理の基本ですから」
「へえ...錬金術師って、もっとゴチャゴチャしてるイメージだったけど」
「それは偏見ですよ」俺は苦笑した。「清潔で整った環境じゃないと、良いポーションは作れません」
棚に並べた15本のポーションを指差す。
「昨夜作ったばかりです。一本銀貨2枚になります」
「まず一本試してみてもいいか?」
「どうぞ」
ジェイクが銀貨を差し出し、ポーションを手に取った。栓を抜き、中身をチェックする。
「透明度が...すげえな。こんなに綺麗なポーション、見たことない」
「不純物を徹底的に取り除いているので」
「マジか」
ジェイクは一口飲んでみた。そして——
「...うまい」
「え?」
「いや、味のことじゃなくて...なんていうか、スッと体に入ってくる感じがする。いつもの薬臭さがないっていうか」
そう言いながら、彼は自分の腕を軽く切った。
「おい、ジェイク!?」エレンが驚く。
「大丈夫だって。ちょっとテストしたいだけだ」
血が滲む。ジェイクはそこにポーションを少量垂らした。
数秒後。
「...マジかよ」
傷が、見る見るうちに塞がっていく。
「早い。明らかに、今まで使ってたポーションより早い」
「効果が現れるまでの時間が短いんです」俺は説明した。「有効成分の濃度が高く、吸収されやすい形になっているので」
「なるほどな...」ジェイクは感心したように頷いた。「リリアの言った通りだ。これは本物だぜ」
「僕も一本買います!」トムが前に出てきた。
「私も」エレンも続く。
「じゃあ俺も追加で何本か買うか。予備があると安心だ」
結局、四人は合計10本のポーションを購入していった。
「また来るぜ、アレン」
「ありがとうございます」
ジェイクたちが去った後、俺は在庫を確認した。
残り5本。まだ開店前なのに、すでに10本売れてしまった。
「これは...予想以上だな」
開店時刻の8時になると、状況はさらに加速した。
「ポーションください!」
「俺も!」
「在庫ありますか!?」
次から次へと冒険者が訪れる。全員が「リリアから聞いた」「ジェイクから聞いた」と口々に言う。
口コミの威力、恐るべし。
残り5本は、あっという間に売り切れた。
「申し訳ありません。今日の在庫は完売してしまいました」
「マジか...」
「明日は何時に来ればいいんだ?」
「8時の開店と同時に来てくれれば、在庫があると思います。ただ、数には限りがあるので...」
「分かった。明日、一番乗りで来る!」
冒険者たちは残念そうに、しかし期待を込めた表情で去っていった。
昼過ぎ。ようやく客足が途絶えた。
俺は椅子に座り込み、大きく息をついた。
「すごい人気だな...」
嬉しい。嬉しいんだが、このままじゃ需要に全く追いつかない。
昨夜徹夜で作った15本が、開店後わずか3時間で完売。まだ午後の冒険者たちが来る前だというのに。
「1日10本ペースじゃ、絶対に足りない」
でも、品質を落とすわけにはいかない。それだけは絶対に譲れない。
前世で見てきた。品質を軽視して量産に走った企業が、どんな末路を辿ったか。クレーム、リコール、信用の失墜。一度失った信頼を取り戻すのは、何倍も大変だ。
「どうする...?」
製造記録を広げて、データを見直す。
1本あたりの製造時間は約45分。これは、温度管理、計量、魔力注入、品質チェック、全てを含めた時間だ。
「工程を効率化できないか?」
いや、これ以上は難しい。既にギリギリまで無駄を省いている。
「なら、作業を分担するしかないのか...」
でも、誰に任せる?
この街に他の錬金術師はいない。そして、品質管理を理解してくれる人も——
その時、工房の扉がノックされた。
「はい?」
「あの、アレンさん...」
扉を開けると、そこには見覚えのある少女が立っていた。緑色の短い髪、茶色の瞳。両手には籠を抱えている。
「エミリアさん」
「こんにちは。今日も薬草を持ってきました」
彼女は籠の中を見せてくれた。昨日と同じように、丁寧に選別された新鮮な薬草が並んでいる。
「ありがとうございます。助かります」
薬草を受け取りながら、俺はふと思いついた。
エミリアは真面目で、薬草に対する知識も深い。丁寧な仕事ぶりも信頼できる。
もしかして...
「エミリアさん、少し時間ありますか?」
「え?はい、大丈夫ですけど...」
「実は、相談したいことがあるんです」
工房の奥に案内し、椅子を勧めた。
「突然なんですが...エミリアさんは、錬金術に興味ありますか?」
「錬金術...ですか?」
エミリアの目が、少し輝いた。
「はい。実は、ポーションの需要が予想以上に高くて、一人では追いつかないんです」
「それで...?」
「もしよければ、エミリアさんに手伝ってもらえないかと思いまして」
「え?私が?」
エミリアは驚いたように目を見開いた。
「はい。エミリアさんは薬草の扱いが丁寧だし、品質へのこだわりも感じます。そういう人なら、俺の作り方を理解してもらえると思うんです」
「でも、私、錬金術なんて学んだことないです...」
「大丈夫です。ゼロから教えます」
俺は真剣な目でエミリアを見た。
「正直に言うと、この街には俺の考え方を理解してくれる錬金術師がいません。だから、一から育てる方が早いんです」
「一から...」
「エミリアさんは、なぜ薬草を丁寧に選別するんですか?」
「それは...」エミリアは少し考えてから答えた。「薬草は生き物だから、大切に扱わないといけないと思うんです。それに、質の良い薬草じゃないと、良いポーションは作れませんよね?」
俺は笑顔になった。
「その通りです。その考え方が、既に品質管理の基本なんですよ」
「え...?」
「良い材料が良い製品を作る。それが分かってる人なら、俺のやり方も理解できます」
エミリアは黙って考え込んでいた。
「もちろん、いきなり決めなくていいです。まずは、どんな作業なのか見てもらって——」
「やります!」
エミリアが顔を上げた。その目は、決意に満ちていた。
「本当ですか?」
「はい。私、ずっと思ってたんです。薬草を採るだけじゃなくて、それをどう使うのか知りたいって」
「エミリアさん...」
「それに、アレンさんの工房、すごく綺麗で整っていて...こういう場所で働けたら、きっと楽しいだろうなって」
俺は胸が熱くなった。
王都では、誰も俺のやり方を理解してくれなかった。「面倒くさい」「伝統に反する」と言われ続けた。
でも、ここは違う。リリアは俺のポーションを認めてくれた。ギルバートさんは応援してくれた。そして今、エミリアは俺の弟子になろうとしている。
「ありがとうございます。一緒に頑張りましょう」
「はい!よろしくお願いします、師匠!」
エミリアの笑顔が、工房を明るく照らした。
その日の午後、俺はエミリアに基礎講義を始めた。
「まず、なぜ温度管理が重要なのか、理解してください」
「はい」
エミリアは真剣な顔でノートを取っている。
「ヒールハーブの有効成分は、温度によって抽出率が変わります。低すぎると十分に抽出できず、高すぎると成分が壊れてしまう」
「そうなんですか...」
「だから、常に一定の温度で抽出することが大切なんです」
俺は温度計を見せた。
「これが温度計です。この色が目盛りになっていて——」
説明を続けながら、エミリアの表情を観察する。
彼女の目は輝いていた。まるでスポンジが水を吸うように、知識を吸収している。
「今まで、誰もこんなこと教えてくれませんでした」
「そうでしょうね。この世界では、錬金術は『経験と勘』で教えられることが多いですから」
「でも、アレンさんの教え方は...なんていうか、ちゃんと理由があって分かりやすいです」
「ありがとうございます。前世で——」
俺は口を滑らせそうになって、慌てて言い直した。
「えっと、俺が昔学んだ方法なんです。理論から理解すれば、応用もきくので」
「前世...?」
エミリアが首を傾げた。
「あ、いや、気にしないでください。口癖みたいなものです」
危ない危ない。うっかり転生のことを言いそうになった。
「それより、次は計量の話をしましょう。正確な分量を測ることも、品質管理の基本です」
日が沈む頃、エミリアは基礎講義を終えた。
「今日はここまでにしましょう。頭に詰め込みすぎても良くないですから」
「はい。でも、すごく楽しかったです!」
エミリアは目をキラキラさせていた。
「明日から、実際に製造を手伝ってもらいます。最初は簡単な作業からですが」
「頑張ります!」
彼女が帰った後、俺は一人、作業台に向かった。
「さて、明日の在庫を作らないと」
今日は完売してしまって、午後に来た客には申し訳ないことをした。明日は、もっと多くの在庫を用意したい。
でも、エミリアが手伝ってくれるようになれば、生産量も増やせるはず。もちろん、彼女が一人前になるまでには時間がかかる。でも、その価値はある。
「教えることで、自分も学べる」
前世の上司が言っていた言葉だ。人に教えることで、自分の理解も深まる。エミリアに教えながら、俺自身も成長できるはずだ。
夜遅くまで、俺は製造に没頭した。
明日もきっと、多くの客が来る。期待に応えなければ。
窓の外では、リバーサイドの街に静寂が訪れていた。
小さな工房の明かりだけが、夜遅くまで灯り続けていた。
【第5話 完】
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