第29話「空を駆ける濃縮液(エキス)」
「正気ですか、師匠!? せっかく完成したポーションを、また煮込むなんて!」
ルーカスの悲鳴のような声が響いた。 無理もない。錬金術の常識において、一度完成したポーションに熱を加えるのはタブーだ。成分が変質し、効果が失われるリスクがあるからだ。 だが、俺には確信があった。
「普通に運んだら間に合わない。リリアが連れてくるグリフォンにも、積載限界があるはずだ! 5,000本の瓶は重すぎて飛ばない!」
俺はホワイトボードに殴り書きした。 『濃縮還元』。 前世のジュースや液体調味料で当たり前に使われていた技術だ。 5,000本のポーション、その総重量は約500キログラム。さらにガラス瓶と木箱の重さを加えれば1トンを超える。 だが、有効成分そのものは、わずか数%に過ぎない。残りの90%以上は、ただの『水』なのだ。
「いいか、今のポーションは『完成品』じゃない。『材料』だと思え! 水分を蒸発させ、体積を10分の1にする! そうすれば総重量は50キログラム。グリフォン一匹で余裕で運べる重さになる!」
「10分の1……!」
「やるぞ! リリアが繋いでくれたチャンスを無駄にするな!」
俺の号令で、スタッフたちが弾かれたように動き出した。 先ほどまで歓喜に包まれていた完成品の山が、次々と開封され、再び大釜へと注ぎ込まれていく。 ドボドボと音を立てて逆戻りする光景に、涙目になっている新人もいる。だが、感傷に浸っている暇はない。
「温度管理が命だ! 沸騰させてはいけない。成分が壊れるギリギリの温度帯、95度をキープしろ!」
俺は釜の前に立ち、温度計を睨みつけた。 通常のポーション製造よりも遥かに繊細な作業だ。温度が低ければ水分が飛ばないし、高すぎれば焦げ付いて全てがパーになる。 しかも、今のスタッフたちは疲労困憊だ。この精密作業に耐えられるか……。
「……温度調整なら、任せてくれ」
横から手が伸び、魔力供給バルブを掴んだ。 見ると、ダニエルさんに連れられてきた『元ギルド員』の男性だった。
「アンタのマニュアルを見て、理屈は分かった。要は、この赤い線の温度から動かさなきゃいいんだろ?」
「……自信は?」
「あるさ。伊達にヴィクターの下で、理不尽な徹夜作業を何年もやらされてねえよ」
彼はニヤリと笑うと、絶妙な手つきでバルブを回した。 温度計の針が、ピタリと95度で静止する。すごい。機械のような精度だ。
「おい、こっちの釜は俺が見る!」 「撹拌は任せろ! 一定のリズムで回せばいいんだな!」
他の元ギルド員たちも、次々と釜の前に陣取った。 彼らは腐っても王都の精鋭だ。基礎技術の高さに加え、修羅場をくぐり抜けてきた胆力がある。 俺の理論と、彼らの技術。 かつては敵対していた二つの要素が、今、最強の生産ラインを生み出していた。
「……すごい」
ルーカスが呆然と呟く。 釜の中の液体は、ぐんぐんと嵩を減らし、その色は透き通った琥珀色から、とろりとした黄金色へと変化していく。
◇
そして、一時間後。
「……全量、濃縮完了です」
エミリアの声と共に、最後の釜の火が落とされた。 5,000本のポーション瓶の山は消え失せ、代わりに作業台の上には、たった5つの『樽』が並んでいた。
中に入っているのは、黄金色に輝く粘度の高い液体。 ポーションの有効成分だけを極限まで凝縮した、『超高濃度ポーションエキス』だ。
その時、工房の外が騒がしくなった。
「おいこら! 引っ張るな小娘! 俺は二日酔いなんだぞ!」 「いいから来て! 国の一大事なの! 酒ならいくらでもアレンさんが奢ってくれるから!」 「……本当か? 最高級のドワーフ火酒でもか?」
バタン! と扉が開き、リリアが初老の男をズルズルと引きずってきた。 ボサボサの白髪に、使い古された飛行服。いかにも偏屈そうな男だが、その背後には――巨大な翼を持つ獅子、グリフォンが控えていた。
「連れてきたよ! 『天空の運び屋』バルトさん!」 「へいへい。……で? 王都まで急行便だって? 騎士団の旦那までいるとは、穏やかじゃねえな」
バルトと呼ばれた男は、俺たちが用意した5つの樽を見て、片眉を上げた。
「なんだ、荷物はこれだけか? 5,000本とか聞いてたから断ろうと思ったが……これなら軽すぎるくらいだ」 「頼めますか。報酬は言い値で払います」
俺が言うと、バルトはニヤリと笑った。
「金はいらねえよ。その代わり、この嬢ちゃんとの約束通り、最高級の酒を樽ごと寄越しな。……それと、俺の可愛い相棒に、最高級の肉を腹いっぱい食わせてやってくれ」 「交渉成立だ!」
バルトは樽をひょいと持ち上げ、グリフォンの荷台に固定した。 熟練の手つきだ。この男なら任せられる。
「ロベルトさん、向こうに着いたら使い方を間違えないよう伝えてください。これは『原液』です」
俺は樽に貼り付けた注意書きを指差した。
「現地の水で『10倍』に薄めて使ってください。それで通常の下級ポーションと同じ効果になります。この樽一つで、兵士1,000人分です」
「樽一つで、1,000人分……。アレン殿、これは補給の革命だぞ……」
ロベルトさんはゴクリと喉を鳴らした。
「よし、行くぞ相棒! 久しぶりの全速力だ!」 「お願いね! 私たちの大事なポーション、絶対に届けて!」
リリアの声援を受け、バサァッ!! と強烈な風圧と共にグリフォンが空へと舞い上がった。
「頼んだぞーーっ!!」 「届けぇぇぇーーっ!!」
工房の全員が外に出て、空に向かって叫んだ。 リリアも、エミリアも、ルーカスも、農家の人々も。 みんなの視線が、一点に集中する。
グリフォンはぐんぐんと高度を上げ、朝日に輝く空の彼方へ、一直線に飛んでいった。 その背中には、リバーサイド中の人々の「想い」が詰まった樽が乗っている。
「……行ったか」
機影が見えなくなると、俺の体から不意に力が抜けた。 ガクン、と膝が折れる。
「っと、師匠!」
ルーカスが慌てて支えてくれた。 気がつけば、指先は震え、視界が白く霞んでいる。限界なんてとっくに超えていたのだ。
「……はは、悪い。少し、眠気が……」
「当たり前です。三日間、ほぼ寝てないんですから」
ルーカスが呆れたように、でも優しく笑った。
「お疲れ様、アレンさん」
リリアが駆け寄ってきて、俺の顔を覗き込む。
「ああ……。リリア、ナイス判断だった。よくあんな大物を捕まえてきたな」 「えへへ、でしょ? 酒場で奢っておいてよかった!」 「コネも実力のうちだよ。……間違いなく、君が救世主だ」
俺たちは互いに笑い合い、そして泥のように眠った。
◇
一方その頃。 王都近郊、対スタンピード防衛ライン最前線。
「総員、退避ィィッ! ラインが崩壊するぞ!!」
現場指揮官の絶叫がかき消されるほどの轟音が、大地を揺るがしていた。 土煙の向こうから現れたのは、巨大な角を持つ巨獣――S級魔獣ベヒーモス。 そして、それに続く無数の魔物の群れ。
「くそっ……ここまでか……!」
騎士たちは満身創痍だった。 剣は折れ、鎧は砕け、なにより回復ポーションが尽きていた。 出血多量で動けなくなる仲間たち。迫りくる魔物の爪。
「ポーションはまだか!?」 「き、来ません! 王都ギルドからの補給は途絶えました!」 「リバーサイドからの空輸は!?」 「到着予定時刻を過ぎていますが……まだ……」
絶望が、戦場を支配しようとしていた。 騎士団長が、苦渋の決断を下そうと口を開いた、その時だった。
『――上を見ろぉぉぉぉいッ!!』
上空から、落雷のような声が降ってきた。 全員が空を見上げる。 そこには、朝日を背に急降下してくる一頭のグリフォンの姿があった。
「あ、あれは……!?」
グリフォンは前線のど真ん中に着地すると、その背から飛び降りた男が叫んだ。
「リバーサイドより、補給物資到着!!」
彼は荷台から『樽』を引きずり下ろした。 たったの、5つ。
それを見た騎士の一人が、絶望的な声を上げた。
「ば、馬鹿な……。たったあれだけか!? 5,000本必要だと伝えたはずだぞ!?」 「樽なんか送ってきてどうするんだ! 酒盛りでもしろと言うのか!」
罵声が飛ぶ。 だが、男はひるまずに、樽の蓋をこじ開けた。 そして、近くにあった水桶に、樽の中身を柄杓一杯分だけ注ぎ込んだ。
「違う! これは『濃縮液』だ!! アレン殿からの伝言だ! 『水で10倍に薄めて飲め』!!」
「な……!?」
男は、薄めた黄金色の水を、瀕死の重傷を負っていた騎士の口に流し込んだ。 ごくり、と騎士が喉を鳴らす。
次の瞬間。
「……う、おおおおおおっ!?」
瀕死だった騎士が、カッと目を見開き、自身の足で立ち上がった。 その傷口からは光が溢れ、見る間に塞がっていく。
「ち、力が……力が湧いてくるぞ!! なんだこれは、普通のエリクサーより効くんじゃないか!?」
その光景に、戦場が静まり返った。 そして、爆発的な歓声が巻き起こった。
「水だ! 水を持ってこい!!」 「生き残れるぞ! 勝てるぞ!!」
たった5つの樽が、絶望の戦場を希望の色に塗り替えていく。 リバーサイドの奇跡が、ついに王都の空の下で花開いた瞬間だった。
(第29話 完)
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