第3話「最初の製品」
工房を借りて五日目の朝。俺は作業台の上に、昨日採取してきた薬草を並べていた。
一昨日、マルコから特注の温度計と計量カップを受け取った。
前世の知識を基に設計した道具が、この世界でも形になった。
これで、ようやく本格的な製造に取り掛かれる。
「さて、まずは材料の確認からだな」
ヒールハーブ、マナグラス、そして補助材料のミントリーフ。
リバーサイド近郊の草原で採れる、最も基本的な薬草たちだ。
前世では製薬会社の品質管理部門にいた。
そこで学んだ最初の鉄則は「原材料の品質が製品の品質を決める」ということだった。
ヒールハーブの葉を一枚手に取り、光にかざしてみる。
「色は...鮮やかな緑。傷や変色もない。触感は柔らかく、水分量も適切だ」
匂いを嗅ぐ。
爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「香りも良好。これなら問題ないだろう」
一枚一枚、丁寧に確認していく。
この世界には品質検査という概念がない。
だからこそ、俺がやる意味がある。
作業台の脇に置いた小さなノート—リバーサイドの雑貨屋で買った粗末なものだが—を開き、羽根ペンを走らせる。
【原材料記録 1日目】
ヒールハーブ: 50g
産地: リバーサイド東の草原
状態: 良好
色: 鮮やかな緑
香り: 正常
評価: A
王都のギルドでこんなことをしていたら、また「面倒くさい」と言われただろう。
でも、ここは俺の工房だ。
誰にも文句は言わせない。
「前世の知識が、この世界で役立つかどうか...今日で分かる」
期待と不安が入り混じった気持ちで、俺は次の工程に進んだ。
まずは水を沸かす。
小さな魔道炉—リバーサイドの鍛冶屋マルコに作ってもらった特注品だ—に魔力を流し込むと、青白い炎が立ち上る。
「便利だな、魔法って」
前世なら電気やガスだったが、この世界では魔力が熱源になる。
科学と魔法。
一見相容れないようで、実は原理は似ている。
エネルギーを制御して、望む結果を得る。
それだけのことだ。
鍋に入れた水に、温度計を差し込む。
これもマルコに頼んで作ってもらったものだ。
水銀の代わりに魔力に反応する特殊な液体が入っていて、温度によって色が変わる仕組みだ。
「70度...いや、まだ65度か。もう少し待とう」
温度管理。
これが最も重要だ。
前世で学んだことだが、化学反応は温度に大きく左右される。
高すぎれば有効成分が壊れ、低すぎれば十分に抽出できない。
「確か、ヒールハーブの有効成分は70度で最も効率よく抽出できるはずだ」
この世界の錬金術師たちは「適当な温度で」としか教えられない。
経験と勘に頼っている。
でも、俺には前世の知識がある。
数値化できることは、全て数値化する。
温度計の色が変わった。
目標の70度だ。
「よし、ここでヒールハーブを投入」
細かく刻んだ葉を、計量して正確に10g。
鍋に入れると、淡い緑色が水に溶け出していく。
「時間は...5分だな」
砂時計をひっくり返す。
この5分間、温度を一定に保つ必要がある。
魔道炉の魔力供給量を調整しながら、じっと見守る。
前世の研究室を思い出す。
白衣を着て、ビーカーを眺めていた日々。
過労で倒れる直前まで、俺はずっとあの部屋にいた。
「まさか異世界で、また同じことをするとはな」
でも、嫌じゃない。
むしろ、これが俺の居場所なんだと思える。
5分後。
砂が全て落ちたのを確認し、次の工程に移る。
「精製の魔法...いくぞ」
手を鍋の上にかざし、魔力を集中させる。
「『精製』」
淡い光が手のひらから溢れ、液体に溶け込んでいく。
不純物が分離され、沈殿していくのが見える。
魔法と科学。この世界では、この二つを組み合わせることができる。
「魔力の量は...感覚だけじゃなく、時間で測定しよう」
10秒間、一定の魔力を流し続ける。
前世の経験から、一定の条件を保つことが品質の安定につながると知っている。
「これで基本的な抽出は完了。次は混合だ」
別の容器を用意し、マナグラスの抽出液を加える。
こちらは事前に準備しておいたものだ。
同じく70度、5分間の抽出。全て記録済みだ。
「ヒールハーブの抽出液50ml、マナグラスの抽出液30ml、そして安定剤として蒸留水20ml...」
計量カップで正確に測りながら混ぜ合わせる。
この世界の錬金術師たちは「適量」「目分量」で作業する。
でも、俺は違う。
1mlの違いが、品質の差につながる。
最後に『混合』の魔法をかける。
「『混合』」
液体が均一に混ざり合い、美しい淡い青緑色に変わっていく。
「後は冷却して、瓶詰めだな」
常温になるまで待つ間、俺はノートに今日の全工程を記録した。
【製造記録 試作1号】
日時:エルデンシア暦998年 春月15日
材料:ヒールハーブ抽出液: 50ml (70度、5分)・マナグラス抽出液: 30ml (70度、5分)・蒸留水: 20ml
製造時間:45分
魔力使用量:精製10秒、混合5秒
前世の習慣だ。
全てを記録する。
データがあれば、次回はもっと良いものが作れる。
30分後。
完全に冷めたポーションを、小さなガラス瓶に注ぐ。
光にかざしてみる。
「これは...」
透明度が、王都で作っていたものとは比べものにならない。
まるで宝石のように透き通っている。
「温度管理と、正確な計量の効果か」
品質が安定すると、こんなにも美しくなるのか。
でも、見た目だけでは分からない。
本当の評価は、効果だ。
「自分で試すしかないな」
小さなナイフで、左手の人差し指をわざと切る。
じわりと血が滲む。
「いてっ...まあ、これくらいなら」
ポーションの瓶を開け、一口飲む。
甘く爽やかな味が口の中に広がる。
そして—
「おっ...」
傷口がみるみる塞がっていく。
10秒もしないうちに、完全に治ってしまった。
「すごいな、これ」
王都で作っていた下級回復ポーションは、この程度の傷なら1分はかかっていた。
効果が、明らかに違う。
「品質管理...やっぱり正しかった」
前世で学んだことは、この世界でも通用する。
いや、むしろこの世界だからこそ、品質管理の概念が革命的なのかもしれない。
残りのポーションを見つめる。
今日作れたのは5本。
少ないが、これが俺の最初の製品だ。
「この品質を保ったまま、量産できれば...」
可能性が見えてきた。
王都では「使えない」と言われた俺だが、ここでなら、やれる。
作業台を片付けながら、俺は明日の予定を考えた。
まずは、もっと薬草を集める必要がある。
それから、製造プロセスをさらに改善できないか検討しよう。
今日の記録を見返せば、きっとヒントが見つかるはずだ。
「少しずつでいい。確実に、前に進もう」
窓の外を見ると、リバーサイドの街並みが夕日に照らされていた。
この街で、俺は本当の錬金術師になれる気がする。
その夜、俺は工房の片隅に設けた小さな寝床で、ノートを読み返していた。
今日の製造記録。全ての数値、全ての手順。これが俺の財産だ。
「明日はもっと良いものを作ろう」
そう心に誓って、俺は眠りについた。
(第3話 完)
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