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20 夜に呼ばれて


 ほのかにオレンジ色を帯びた柔かな光が、アストレアの部屋の中を照らしている。

 ランプには油が入っているが、火は燃えていない。明かりの源は魔法の光だ。

 魔力の訓練と油の節約が同時にできる。合理的なこの方法をアストレアは長年続けている。

 今日読んでいるのは本ではなく、領地に関する資料だ。


 ジークフリートが言っていたとおりに魔物が活発化してきているなら、対策が必要になる。王都には騎士団と魔導院があるが、地方にはなかなか派兵されない。

 領主の兵を中心に自警団と協力し、時には冒険者や傭兵を雇って対応しなければならない。

 そのすべてに必要になってくるのが資金だ。

 レーヴェ領は肥沃な平野と水源があり、代々産業の発展にも力を入れてきたおかげで資金面でも備蓄にも不安はない。昨今は教育関連に予算が割かれてはいるが、これもまた必要な投資だ。すぐには結果は出ないかもしれないが、確実に未来に繋がる投資。

(さすがお母様とお父様)

 兵の数には不安があるが、領地を守るだけならなんとかなりそうだ。備蓄は十分な余裕がある。難民が出ても受け入れられるほどに。

(戦うためじゃなくて、守るための領政)

 これが両親の方針なのだろう。自らに流れる血を誇りに思う。

(これが、物語なら――)

 魔物が活発化して魔王が現れたときは、勇者が現れて世界を救ってくれるけれど。

 そんなものは夢物語だ。一人一人が戦わなければ、強大な敵に打ち勝てるはずがないのだから。

 領主は領地を守るために。

 貴族は王を助けるために、国と民を守るために存在するのだから。



「――はいっ?」

 しん、と静まり返った部屋に、アストレアの声が響く。魔法による揺らぎのない光と残響の中で、目を瞬かせる。

「え……? 寝てた?」

 調べ物の最中に椅子でうたた寝していたらしい。手から滑り落ちた書類が床に落ちている。

 椅子から降りて絨毯の上の書類を拾う。すべて拾って机の上にまとめ、大きく息をついた。

「夢……だったのかしら」

 誰かに呼ばれたような気がする。遠くで、近くで、さざ波のように。

 しかし部屋の中にはアストレアひとりだ。部屋のすぐ外にも誰かがいる気配はない。

「夢か……夢よね、うん」

 夢のはずだ。覚えていないけれど。それでも何かが気にかかる。

 じっとしていられないような焦燥感が胸の奥にくすぶる。

「――よし」

 アストレアは夜着を脱いで服を着替え、乗馬に出るような格好になる。動きやすさ重視のシャツとズボン。脛当てにショートブーツ。厚手のベストに首元にタイ。長い髪をくるくるとまとめて、黒いコートを羽織る。

 細い身体の線は、コートでほとんど隠される。これでもう傍目には高位貴族の令嬢には見えない。領地をこの姿で回った時も、アストレアだとは気づかれなかった。

 最後に、悩んだがジークフリートからもらった指輪をはめ、手袋をする。

 魔法の明かりを消して部屋から出ると、隠し通路を通って屋敷の外に向かった。



 夜の王都をひとりで歩くのはいつぶりだろうか。

 昼は少し暑いくらいの陽気を感じるが、夜の風は涼しく気持ちがいい。空には薄く雲がかかり、その向こうには星空が見える。

 静かだった。

 社交シーズンの貴族街の夜だというのに、虫や鳥の鳴き声が時折聞こえてくるほどに。

 治安が悪化しているという話だからパーティーの数も減っているのだろうか。

 もうすぐ建国祭だというのに、静かな夜だ。

(そうだ。建国祭だった……)

 毎年、建国祭には王城で盛大な舞踏会が開かれる。

 アストレアもすでに新しいドレスもつくってある。

 そして今年はジークフリートにエスコートされることに決まってしまっている。それが実質的なお披露目になるのだろう。それを思うと、複雑な気分になる。


 建国祭の前には、前夜祭のようにあちこちで夜会が開かれているものなのに。

 今夜は出歩く人々の姿や馬車もまばらだ。しかし、危険な感じはしない。

 夢うつつに誰かに呼ばれた気もしたのに、そんな気配もない。昼間の賑わいとは別世界のようだ。

 ――一回りしたら帰ろう。

 何もないのなら、それに越したことはない。つかの間の夜の散歩を楽しんで、家人に気づかれないうちに帰ろう。

 そう決めて、歩き続ける。

 そろそろ帰ろうかと思い始めたとき、前を歩く人影の存在に気づいた。外出用の外套をはおった、細身の若い女性。

(ルシーズ?)

 顔が見えないので確信はなかったが、ルシーズに雰囲気がよく似ている。

 女性の影が、道の途中の角を曲がっていくのが見えた。さらに人気のない方向へと。

(追いかけるべき?)

 決断は早かった。アストレアはルシーズらしき影を追って走り出す。

(夜にひとりで出歩くなんて普通じゃない)

 追いついてどうするのか、とか。

 なんて声をかけるのか、とか。

 そんなことは後で考える。

 角を曲がると、まだ道の先に人影が見えた。そして、すぐに角を曲がってまた見えなくなる。また急いで追いかける。

 その繰り返しをしながら、なんとか見失わずについていく。そして人影は最終的に、大きな屋敷の敷地内に入っていった。

(お屋敷……?)

 さすがに、他人の敷地の前では足が止まる。

 門のところから中を覗いてみたが、見える範囲には誰もいない。既に中に入っていったのか。

 しかしそこは、まったく人の気配のしない屋敷だった。警備もいなければ、窓に明かりの一つもついていない。真っ暗だ。

 こんなところに入っていったとしたら。

 どんな用事があってのことだろう。

「…………」

 指輪を手袋越しに撫でる。

(だいじょうぶ)

 意を決して門を通ろうとした時、背筋にひやりとした悪寒が走って身体が固まった。


 ――圧が。

 屋敷からではなく背後から。

「お前は――」

 覚えのある圧が、低い声とともに後ろから迫る。

「俺の言ったことをもう忘れたのか?」

 恐る恐る振り返ると、黒衣の騎士がすぐ後ろに立っていた。

「ジーク様っ? ど、どうしてこんなところに」

 どうして普段と全然違う姿をしているのにバレたのか。しかも後ろ姿だけで。夜にひとりで静まり返った屋敷の前で棒立ち、という怪しすぎることをしている自覚はあったけれども。

「見回りだ」

「こんな夜中におひとりでですか?」

「嫌な予感がするときはな。案の定だった。で、なんだその格好は。ここで何をしていた」

「領地では割とこんな格好で動き回っていて……中心部だけではなく地方の村も回るので、ドレスだけだと動きづらくて冒険者の方にアドバイスをもらって……ってそんなことはどうでもいいんです! いまはルシーズです!」

「ルシーズ?」

「ここに入っていった友人です。いえまだ確証はないんですけど。なんだか眠れなくて散歩していたら、一人で出歩いているところを見かけて、気になって追いかけたらここに――」

 ジークフリートが屋敷を見上げる。揺らぐ明かりのひとつもない屋敷を。

「ここは先月から売りに出されている屋敷だ」

 それならば誰もいないはずだ。誰もいない屋敷に夜にひとりで訪ねるとは、どんな理由があってのことか。

「密会にはちょうどいいだろうな」

「ひどい憶測をしないでください」

「ぐっ」

 ジークフリートの息が詰まる。小さく咳払いをし。

「俺が見てくる。お前はここにいろ」

「いいえ、私が行きます」

「ダメだ。中で何が起こっているかわかったものじゃない」

「何が行われていても受け入れます。怒られても、恨まれても構いません。私が行きます」

「ダメだ。俺が行く」

 ――もし「何か」が行われていたとして。

 ルシーズはアストレアによりも、ジークフリートに見られることのほうが嫌だろう。

 気持ちを思えばジークフリートだけには行かせられない。

 しかし、不意をついて一人で屋敷に駆け込んだとしても、現役の騎士を振り切れるだろうか。そんなわけがない。絶対にすぐに捕まる。下手をすれば拘束される。

 それでも――

 放っておくわけにはいかない。

 ジークフリートの左手を、両手でぎゅっと握る。

「お願いします。いっしょに連れて行ってください」


 緩やかに手を振りほどかれて両肩をつかまれる。力は優しいが、振りほどけない力強さがあった。

 夜の中でも輝く青い瞳が、アストレアを映す。

「お前はここにいろ。頼むから」

「ジーク様……」

 そんな真剣な表情で懇願されてしまうと決意が鈍る。絶対に行こうと思っていたのに。

 ジークフリートはアストレアの身を案じている。

 それだけこの状況を危険だと思っている。

 危険ならば余計に。

(私が守らないと)

 ひとりで行かせることはできない。

 アストレアの方が弱くても関係ない。何よりも命を守りたいと思う。

 か細い悲鳴が静寂を裂く。

 聞き覚えのある響きに、身体が自然と動いた。

 走り出す。思考を置き去りにして。

「レア!」

 考えたり迷ったり、そんなことは後でいい。

 声は泣いていた。泣いて、助けを呼んでいた。


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