047 再び、捨てられた悪魔
ときわと蛍は、油谷先生の引率のもと、例の事件現場で青海を待っていた。
ダグザは二人に幻術をかけ、姿を隠す。
「これで本当に青海に気付かれないの? あいつ、けっこうすごいんでしょ?」
「任せておけ。私だって、だてに冥王と呼ばれているわけではない。幻術に限って言えば、私のほうが専門だしな」
幻術と他の術との決定的な違い。それは、幻術は対生物に――それも、知能が高い生物を相手に――特化した術ということだ。
自分の術式だけ考えれば良い他の術式と違い、幻術には必ず相手が存在する。相手の心理から環境まで、さまざまなものを考慮に入れなければならない。
普通の魔術師には不得意な分野であり、リアルに空気を読むスキルが必要な術でもある。
今のレアリーはというと、覚醒してある程度の時間がたち、魔術に関する諸事情も理解しつつある。
適当に隠密呪文を使っておけばバレやしないし、逆に魔術的な手段で隠れている相手もいないと思っている。
……要するに、ダグザからすると、油断しまくったカモだった。
「あ、来たよ、二人とも」
ときわが小声でささやく。
長門青海は、ただでさえ暗がり(*1)では見えづらい黒の学生服の上に、紺色のローブを羽織っていた。
昨日探索した道路わきの茂みに立つと、きょろきょろとあたりを見回す。
準備体操のつもりか、軽く伸びをする。
青海は、くるんと手首を回す。クリーム色の杖がその手に握られていた。
暗闇の中でぼんやり浮かぶほどに目立つ色をしているのに、蛍たちには青海がどこから杖を出したのか、さっぱりわからなかった。
「さて、行くか」
小さな声だったけれど、蛍の耳にも届いた。続けていくつかの呪文を唱えたようで、淡く体が発光する。
光はすぐに収まるが、ときわは、なんだか表現しづらいムズムズが残っているような感覚を覚えていた。
青海は前触れもなく、ばっと山中へと飛び込む。
慌てて追いかける三人。
≪灯火≫の呪文も唱えていないのに、まるで昼間にアスレチックで遊んでいるように、ひょいひょいと木々の間をすり抜けていく。
ばしばしと乾いた音が、断続的に聞こえる。よく見ると、青海の直前で枝が弾けるように飛び散り、まるで森自身が道を譲っていくようだった。
青海が作った道の後ろを走っているにも関わらず、その差はどんどんと開いていく。
「師匠、すげー! こないだは私たちが一緒だったから、ぶち力を抑えてくれてたんだー!」
「ちょっと、早いって! なんであいつ、あんなに早く走れるのよ」
追いかけていたのは最初だけで、影は三人を置いてみるみる小さくなっていく。
ふむ、仕方ないか。
先導するダグザは、振り向いて蛍をひょいと抱える。背と膝を手で抱え、豊満な胸に蛍の顔を押し付ける。
俗に言う、お姫様抱っこである。
「え、ちょっと、離してよ、恥ずかしい」
「女同士だろう? 遠慮するな。それに、こちらのほうが早い。……黒いの、お前は私のすぐ後ろを走れ」
「え? え、ちょっ! ま、待ってー!」
言うが早いか、ダグザは疾風のように駆ける。抱えられている蛍がおどろくほど、揺れない。というより、ほとんど足が地についていない。
たまにせり出している枝や葉は、ダグザの前でガラスの壁に当たったかのように後ろへと流れていく。
青海に追いつきこそしなかったけれど、ダグザと蛍はあっという間に森を抜け、果樹園へとたどり着いた。
そして。
――そこには、異形の化け物と対峙する青海がいた。
化け物はかろうじて四つ足だったものの、腕らしきものは背中から生え、牙、いや、象牙のような角を持っていた。
赤い目が星明りでぎょろりと反射する。
口らしき穴からは、よだれが垂れ、そして、ふしゅーふしゅーと、鼻息らしき音が響いていた。
青海の声が聞こえる。何と言っているかは聞こえなかったが、苦しそうな、絞り出すような声。
「青海っ!」
蛍は叫ぶ。ダグザの手から滑り落ちると、カタナを構えて走った。
恐怖なんか感じている場合ではなかった。無理やり心を押さえつけ、化け物から青海を守ろうと、その身を割り込ませようとする。
そして、……はたと立ち止まった。
「ご、ごめんようっ、げてもの太郎。私には、お前を殺すことは、できないいぃ」
青海は膝をつき、化け物相手に、懺悔をしたのだった。
「は?」
蛍は眉を寄せ、青海と化け物を見比べる。
「なにやってるんだ、あのバカは」
ダグザは腰に手を当てて、呆れていた。
がさがさと音を立て、茂みが揺れた。
頭に葉っぱとクモの巣をつけたときわが、追い付いてきたのだった。
「ぜはーぜはー、え、えらいよう(*2)、もうだめだあ……。 げほっ。 ……あれ、みんな、どしたの?」
※1暗がり……街灯など無い。
※2えらい……「しんどい」、「きつい」などという意味の方言。山口県内での使用頻度は、ぶちの次に多い。




