6 買い物
「お兄様、付き合ってくれるのはありがたいのだけれど、その、面倒そうな顔、やめていただけるかしら?」
妹のエスターが微笑みながら、文句を垂れた。
「婚約者がいれば、付き合わせるのに」
「だって、いい男なんていないもの! それに、お兄様がいれば、ほら、注目を浴びて、私が見るものが増えるでしょう? 濡れ羽のような艶のある黒髪。鋭いながら黒曜石の瞳は色っぽく、ミステリアスな雰囲気。流し目で見られたら女性は倒れちゃう。無駄に顔がよくて、容姿端麗の若手貴族、アルヴェール・ギルメット! さ、私が商品見ている間、女性たちを集めておいて」
エスターはこれでゆっくり堪能できると、集まっていた女性たちを押し除けて、店内の奥へと入り込む。
なにを言っているやらだ。アルヴェールはため息混じりでエスターの後を付くのをやめて、ソファーに座り込んだ。妹の買い物の付き合いなど、面倒でしかない。しかし今日は、誕生日だからついてこいと命令されて、エスター望みのブティックに仕方なしにやってきた。
好きな物を買ってやると言ったのは自分だが、店について行くのは話が違う。そう思ったが、我が妹ながら、口が達者で人をこき使うのが得意だった。
店の中で他の令嬢たちの視線を受けながら、さっさと選んでくれないかと妹を見つめる。その姿を、周りの者たちが見つめてくるが、アルヴェールはとことん無視をした。いつも通りのことだ。気にする必要はない。
「アルヴェール様よ。素敵ねえ」
「女性と一緒なの? まさか、婚約者?」
「違うわよ。エスター様よ。妹さん」
「そうよね。ご婚約者がいるなんて、聞いていないわ」
「いないのが不思議よねえ」
「本当。立候補したい」
その言葉、すべて聞こえているのだが。少しくらい声を抑えたらどうだろう。そう口にしたくなる。アルヴェールは耳を塞ぎたくなる衝動を抱えながら、宝石の前でうんうん唸っているエスターに近寄った。座っていても気が休まらないのならば、さえずりでもうっとうしくない方を聞いた方がましだ。
「さっさと決めたらどうだ?」
「うーん」
唸っていないで、さっさと選んでほしい。催促するが、エスターは迷っているようで、実のところ不満でいっぱいという顔をしていた。好みのものが全くないようだ。すでに宝石は見終えて、今はドレスに目移りしている。
「気にいる物がなさすぎるわ」
「前に行っていた所へ行ったらいいだろう」
「あそこ、今よくないのよ。メインデザイナーが引き抜かれちゃったんだって。それだけじゃなくて、他にも引き抜かれたとかで、目新しい物がないのよね」
「それでこの店に?」
「そうよ。お兄様、知らない? 最近手広くやっている家、ユーステス家が援助しているのよ。ほら、鉱山手に入れて、宝石業に手を出しはじめたって」
「聞いている」
ユーステス家は古くから事業で儲けている家で、身分としてはさほどだが、金満貴族の一つである。しかし、先代が事業失敗で大損し、そこから盛り返すために資金繰りをしていたところ、購入した土地に鉱石が埋まっていることがわかった。そこで採れた宝石を使用し、ブティックに卸し、投資も行っている。
そのうち店も買い占めるだろう。そのための人材を他店から奪ったのである。
その投資には他の家も協力する予定があると耳にしている。ジョアンナ・ラスペードの元婚約者、レオハルト・セディーンの家だ。
(あの家の財源で賄えるのか疑問だが)
婚約破棄の慰謝料でも使うのかもしれない。可能性はある。
「それより、なにを探しているんだ?」
「噂の令嬢が着ていたドレスって、どこのものだったのか、探しているのよ。レースのあしらいがとっても素敵で、見ているだけでうっとりするのよね。あと、宝石がついた髪飾りも。売ってる店、見たことないのだけど。新しい物じゃなかったのかしら。ああ、あの時声をかけていればよかったわ。妹が倒れたとかで、付き添いで早めに帰られてしまったのよ」
「前のパーティか」
「よく倒れる妹よね。男性たちと一緒にいる時はニコニコして、血色良かったのに」
エスターは愚痴る。ジョアンナに声をかけるつもりだったが、急に体調が悪いと退室する妹に付き添って、早めに帰宅してしまったのだ。ラスペード家の妹は、そういって体調を崩すことが少なくない。男たちに囲まれて元気そうに見えながら、しかし気分が悪いとかで広間を出て行くことがあった。倒れるわけではないが、大仰に騒いでいる様を見たことがある。その度、姉のジョアンナもパーティを後にした。
「体弱いって本人は言ってるらしいけど、体調悪いなら来るなって話よね。いつもお姉さんが男に声をかけられると倒れるものだから、絶対わざとだって思ってるんだけど」
男たちは妹のクリスティーンを心配しながらも、ジョアンナが会場を出て行くのを残念そうに眺めた。
婚約者ができる前からジョアンナを狙っている男はちらほらいた。声をかけるのが難しいのは、彼女が近づきにくい雰囲気を持っているうえ、男たちに興味を持っていないのがよくわかるからだ。微笑みは女性相手にばかりで、男性が近づいても素っ気ない。
婚約前からそうだった。あの頃はガードが硬いというよりは、
「あの妹、お姉さんに男が近づくと、すぐ会話に割って入ろうとするのよ。だからお姉さんが妹の方向いちゃって、男が話し続けられないの。モテてるのはお姉さんの方なのよ。妹はそれを敏感に感じとってるから、すぐ邪魔するの。やな妹よね。お姉さんは気づいてなかったみたいだけど」
エスターも同じことを考えていて、アルヴェールはつい苦笑する。
「それに、お姉さんの元婚約者が付き添って帰るものだから、そっちも狙ってるんじゃない? って、そういう噂はあったのよ。だからって、姉が妹を殺そうとしたなんて本当かしら? 私、あの方ってとても上品で素敵な方だと思ったけれど」
「声が大きいぞ」
「だってえ。いっつもお姉様ああとか言いながら、寄ってくる男に色目使ってたわよ。私、可愛いでしょ? っていうのを前面に出して、姉より可愛いわよね? って言ってもらうの待ってる感じ。だから婚約者のせいでもめたのかしらって話もあったけど、それでなにかするような人には見えないわよ。どうせ妹があの婚約者を気に入って突っかかったんでしょ。あの男の顔はいいし」
「好みなのか?」
「冗談でしょ? 軽薄すぎない?」
エスターはこれでもかと嫌そうな顔をした。妹がまともな感覚を持っていて安心する。エスターは、なんであれが婚約者になったのかしら。と顔をしかめた。
ジョアンナ・ラスペードと、レオハルト・セディーンとの婚約は意外だった。接点があるように思えなかったからだ。セディーン家の名とラスペード家の財産を考えれば、婚約は親の意向だろう。
「はあ、似たドレスすらないわね。この店じゃないみたい。どこのデザイナーの作なのか聞きたかったわ。あの方、もう社交界に出てこないのかしら」
なにもしていないと言っていたジョアンナの声が耳に残っている。無実であるのに、噂は誰もが知っているような状態だ。社交界に戻るとしても、苦労があるだろう。
「手助けできればいいのだが」
「お兄様? 急にそんな顔するのやめてくれる?」
呟きは聞こえていなかったか、エスターが心底嫌そうな顔をしてくる。なんのことか、エスターは面倒そうにため息をついた。
「お兄様こそ、お相手見つけた方がいいと思うわよ。無駄に顔だけはいいんだから」
脈絡がなくて意味がわからないが、もうこの店には用はないようだ。逃げるように足早に店を出ていく。後ろから女性たちの嘆くような声が聞こえて、さらに面倒そうな顔をした。女性たちの視線が集まっていたのだろう。
「あーあ、あの方に会えればいいのに」
エスターの言葉に、まだ泣いているであろうか、ジョアンナの顔を思い出させた。
「父親も出てきていませんね。沈黙しています」
ラスペード家に動きはない。屋敷に戻ると、部下のホレスが知らせてくれた。ジョアンナの父親が娘の無実を証明するのならば、早めに動いてその手助けをしたいと考えていたのだが、特になにかをしているわけではなさそうだ。
「そもそも、どこから出てきた噂なんだろうな。ラスペード家の当主であれば、そんな噂、簡単に広げさせるはずがないのだが」
アルヴェールの知っているラスペード家の当主は、事業に長け、金のなる気配に鋭く、冷淡なところがある男だった。娘の不祥事などとんでもないだろう。なにかあればどんな手を使ってでも噂の元を消し去るくらいは行うと思っていたのに、誰もが知っている状態となっている。
たとえ無実でも、噂が流れることを良しとするとは思えない。
噂によると、ジョアンナはクリスティーンを突き落とす際、魔道具まで使ったという。
それを、誰が見ていたのか。メイドしかいなければ、誰が話したなどすぐにわかるはずだが、メイドが追い出された気配はない。それなのに詳細な話が耳に入ってくる。ジョアンナが魔道具を使ってクリスティーンを殺そうとした。崖から突き落とした。婚約者を取り合った。加害者はジョアンナで、被害者はクリスティーン。それが強調されて噂が流れている。
「気づいたら、みんなが知っているという感じですよね。あちらの茶会、こちらの茶会でそんな話を聞いたと噂されるようで、誰が最初なのか特定できませんでした」
「ならば、意図的に流された可能性があるか?」
「はっきりとは言えませんが、あの速さを考えますと、まず間違いないかと」
「問題は誰が流したかだが。父親の関係かもしれないな」
「幅広く事業を行っていますからね。投資などもしていますし、邪魔に思う者は多いのかもしれません」
「クリスティーンが大怪我をしたのは事実なのか?」
「はい、意識不明のままだとか」
「どこで事件が起きたか聞いているか?」
「それは、入ってきていませんね。二人が争いはじめて、魔道具を使って殺そうとしたとしか」
ジョアンナと院長の話を聞いた限りでは、ジョアンナは無実で、妹と婚約者が浮気をしていたということ。そして、殺されかけたということだけ。
それだけしかわからないが、ジョアンナが無事でレオハルトに罪が及んでいないことから、犯人がクリスティーンだということがわかる。だからラスペード家の当主も沈黙しているのかもしれない。
「事件のせいでジョアンナ・ラスペードの婚約は破棄されたようですが、レオハルト・セディーンも沈黙しています。さすがに顔を出せないのではないですか? 二人が取り合ったようですから」
「それが確かとは思えないがな」
「え?」
「いや、引き続き調べてくれ」
こんなことならば、あの時聞き耳を立てていたからと、話をしっかり聞くべきだったか。
今さら言ってもだが。
助けたいのは山々だが、事件の真相がわからないことには動くことができない。
「一度会って、話せないものだろうか」




