25 決意
「おねえさま、これ、素敵! これにしません!?」
エスターが興奮気味にカタログのドレスを指差した。
隣でモニカがこちらの方も、とさりげなく誘導する。
「ああ、これも素敵! え、おねえさま、どちらがいい!?」
問われて、ジョアンナはつい微笑んでしまった。子供のようにどれがいいかを選び、ジョアンナに見せてくる。彼女のものではなく、ジョアンナの着るドレスだ。
「手袋は、自分で編まれます? 申し訳ありませんが、当店でジョアンナ様以上の腕を持つ者が」
「そんなこと。でも、小物は自分で編みたいわ」
「ええ、素敵。おねえさまが編むの!」
「エスターさんのも作りましょうか?」
「嘘! いいの!? いえ、待って。おねえさまの製作物は商品になるんだから、ダメよ、そんな安売りしちゃ。ちゃんと購入するわ! だから、一点物がいい!」
「まあ、そんなこと。でも、もちろんよ。エスターさんに似合う物を作りましょう」
「やったあ!」
エスターが飛び跳ねてよろこんでくれる。
それを微笑ましく思いながら、くすぐったい気持ちが本当の妹に向かなかったことを、ふと思い出した。
クリスティーン。
アルヴェールから聞かされた言葉に、まさかという思いよりも、やはりそうなのかという落胆の気持ちがまさった。
ラスペード家に配達に行っていた男が、母親の指示で孤児院を見張っていたのだ。
その母親はクリスティーンに言われて、ジョアンナを探していた。
実の娘を、妹に頼まれて始末しようとした。
どうしてそうなったのか。そこまで恨まれていたのか。何度考えても、ジョアンナにはよくわからなかった。
アルヴェールからの話では、母親はクリスティーンの狂気を恐れて、怯えるように動いていたそうだ。
最初はクリスティーンが不憫だったのかもしれないが、そのうちクリスティーンの衝動を止められなくなった。
クリスティーンは物を投げたり奇声を発したりと奇行が目立ち始め、前のクリスティーンの面影はなくなっていた。レオハルトのことも正直に告げることができずにいれば、クリスティーンの要求は増して、日を追うごとに激しい気性となっていった。
強迫観念を植え付けられたのは母親の方で、クリスティーンの爆発するような激怒を恐れたのだ。
母親はクリスティーンがジョアンナを害そうとしたことに勘づき始めていたが、今さらクリスティーンが悪かったとは言えない。
そして、そこまでになってしまった娘を放置する父親を見て、母親は一つの恐れを持った。
父親は娘を捨てる気だ。ジョアンナだけでなくクリスティーンまで捨てられれば、母親も捨てるだろう。
それを恐れた母親は、クリスティーンの罪を隠したくなったのかもしれない。クリスティーンに協力し、証拠隠滅を図ることに同意した。
父親は、すでにクリスティーンの仕業だと知っているのに。
ジョアンナは完全に両親と妹から見捨てられたのだ。
「ジョアンナ様?」
「え? すみません、ぼうっとして」
モニカに呼ばれてハッとする。糸はどれにするか聞かれて、急いで答える。
「私もレースの編み方覚えようかしら」
エスターが物欲しそうに呟いた。
エスターはそんな風に言いながらも、ずっと気を遣ってくれていた。甘えるように話しかけてくれるエスターに、心底安堵しているのはジョアンナの方だ。
ジョアンナは今、このギルメット家に滞在している。モニカの店のこともあるため、この屋敷で作業を行っていた。モニカには助けてもらった恩がある。アルヴェールことがあるとはいえ、針子をやめる気はなかった。それもアルヴェールは了承してくれている。
苦しさにブティックへ仕事を探しに行ったが、ジョアンナにとっては天性だったのだろう。
加護を与えないように、与えても強力にならないようにアヴェーエルに確認してもらいながら、商品を作っている。
「お嬢様、おかわりをどうぞ」
マリアンがお茶を注いでくれる。
アルヴェールにマリアンが家出を手伝ってくれたことを告げると、マリアンを連れてきたらどうかと提案された。結局、多くのことを助けてもらってしまっている。申し訳ない気持ちでいっぱいだが、正直ありがたかった。
(私のお給料で一緒に住みたいと思っていたけれど)
せめて、ブティックで稼いだお金でマリアンに何かお礼をしなければと算段している。
「ジョアンナ。決まったか?」
「アルヴェール様」
部屋に入ってきたアルヴェールを迎えると、エスターが目を細めてきた。
「お兄様、女性たちが集まっているのに、少しも待てないの? やあねえ。浮かれちゃって。もう決まったから、お二人でどうぞ」
「エスターさん」
「ジョアンナ様、こんな兄ですが、頑張って付き合ってくださいませ」
「頑張ってってなんだ」
「頑張っては頑張ってよ」
エスターは舌を出しながら出て行った。モニカも続き、マリアンまで部屋を出て行ってしまった。
残されたアルヴェールと二人きりにされて、急に恥ずかしくなってくる。
アルヴェールも気恥ずかしそうにして、邪魔して悪かったな、と言いながら、隣に座った。それでまた緊張しそうになる。
「決めたのか?」
「はい、二人が選んでくれて」
ドレスはモニカのブティックのものだ。デザイナーが戻ってきたらしく、ドレスをあつらえるくらいは作業ができるようになったらしい。
「楽しみだな。君をエスコートする栄誉を得られた」
「そんな。私こそ」
アルヴェールと、婚約者として王族主催のパーティに出席する。
アルヴェールは、いつの間にか父親に婚約の了承を得ていた。正式に婚約が決まったのだ。
そのため、婚約して出席する、初めてのパーティとなる。
「緊張しているか?」
どんな目を向けられるかわからない。そんな視線だったが、ジョアンナは首を軽く横に振った。
「いえ。アルヴェール様が一緒ですから」
それにいつかは、社交界に出なければならない。アルヴェールと婚約したのだから。
「君が陥れられて無実であるのは事実なのだから、堂々としていればいい。しばらくは騒がしくなるだろうが」
「製作も続けるので、集中すればあっという間にすぎますしね」
時間があればすぐに噂も消えていくだろう。そう口にすると、なぜかアルヴェールが小さく唸る。
「私との時間も作ってくれるとありがたいんだが」
「まあ。も、もちろんです」
そんなことを言われるとは。アルヴェールとしっかり話す前は冷徹な人ではないかという噂さえあったのに、今ではそんな噂はただの噂でしかなく、真実でないとよくわかった。噂など、無関係な人間が話す真実と嘘が入り混じった話だ。そんな話を信じてしまったことが恥ずかしい。
頬が赤くなっていないだろうか。恥ずかしくて頬に触れると、アルヴェールがその手をそっと握った。
時折、二人になると、こうやって近づいてくる。恥ずかしくて、けれど、心が温かくなって、そして、嬉しくて、涙が流れそうになる。
温もりの残った唇に一筋の涙が流れて、アルヴェールが慌てて涙を拭いてくれた。
「泣かないでくれ」
「いえ、この幸せが、嘘みたいで」
「嘘なんかじゃない。申し訳ないが、婚約破棄してくれて、本当に安堵している」
「私もです」
アルヴェールの笑みに、幸福を感じる。それがアルヴェールも同じならば良いのだが。
微笑んで、一緒に笑って、そして、もう一度口付ける。
不安はある。しかし、レオハルトの時のように、人任せに身を置いているのではない。自分で決めたのだ。
だから、しっかりしなければならない。
アルヴェールの隣に立つ者として、恥ずかしい真似はできない。




