19 相談
アルヴェールの提案は、ジョアンナにとって素晴らしいものだ。
婚約となれば、この上なくありがたい話だ。そうでなくとも、保護してもらいながらブティックの仕事ができれば、ジョアンナも安心して行える。しかしそれはアルヴェールに大きな迷惑がかかり、不名誉を与えるものだった。
「お嬢様? 大丈夫ですか?」
「ああ、ええ。大丈夫よ。ごめんなさい、マリアン。それで、私がいないことに気づかれたのね」
「申し訳ありません。扉の前の警備も仕事をしなくなっていたんですけれど、急に奥様がやってきて」
クリスティーンの怪我が思わしくなく、苛立ちげにやってきたらしい。罵りたかっただけなのではと思う。そうであろう、マリアンは口ごもってうつむいた。
「あなたに迷惑をかけてしまったわね」
「そんなことありません! 奥様が来る前まではいたと嘘をついても気づかれていませんでしたし。ただ、旦那様にも知られて、さっさと探せと」
「今さらね」
あれから何日、何ヶ月経っていると思っているのだ。それまでジョアンナが屋敷にいないことに、両親は気づかなかった。食事はマリアンが運び、その食事を食べていたとはいえ、閉じ込めておいて気にもしない。部屋にいろと命じておきながら、誰も彼も忘れていたのではないだろうか。
「クリスティーン様も、すごいんですよ。物を投げたりとか、怒鳴り声が聞こえたりとか。部屋から離れていても聞こえるんです。あの男をまだ信じているみたいで、ずっと呼んでいるらしいですよ」
クリスティーンもレオハルトに騙されていたとは思わなかったのだろう。今でもまだ信じているのだ。
見舞いどころか手紙一つよこさないのだから、騙されたと気づいて当然なのに。もしかしたら、わかっていても理解したくないのかもしれない。
「私は彼を愛していなかったし、決められた結婚だから仕方ないと思っていたわ。婚約が決まった時、私は何も感じなかった。いいとも悪いとも思わなかったし、そんなものなのだと漠然と考えていたから。それは彼も嫌だったのかもしれない。クリスティーンが魅力的に見えるのは当然だわ。でも、婚約破棄になって別の方と婚約するとは思いもしなかった。きっと彼にも大きな罰が与えられるわ」
レオハルトは落馬して怪我をしたとエスターは言っていた。もう小さな罰が与えられているのかもしれない。
「そうですよ! クリスティーン様も罰を受けてあんなことになったんです! 私たちはもうあの部屋には近づきません。お嬢様があそこにいないことに安堵しています。ただ、お屋敷にいないと知られてしまったので、もしかしたら捜索が出るかもしれません。孤児院などに行くときなど、どうか、お気をつけください」
父親が思いつく場所など、孤児院だけだろう。そこにジョアンナを探しにきてもおかしくない。だがブティックで働いているなど、誰が思うだろうか。父親も母親も、ジョアンナが裁縫を得意としていることすら覚えていなそうだ。
気をつけるのは孤児院だけだ。それ以外に両親がどうジョアンナを探すというのだろう。
「ここにいることなど、知る由もないでしょう」
「私も、誰かにつけられないように確認していますから」
「ありがとう、マリアン。もうお父様の道具にされるのはうんざりよ」
マリアンも屋敷にはいづらいだろう。まだお金が集まっていないため、マリアンを引き取ることが難しい。
もしも、ギルメット家に行くことになれば。
「お嬢様? どうされました? お顔が赤く」
「いえ、なんでもないのよ!」
声高になって、マリアンがじっとりと見つめてくる。馬鹿なことを妄想したせいで、急に恥ずかしくなってしまった。婚約すれば、マリアンを連れて行けるのではなどと、利益を考えるような想像をするとは。
「ずっと気になってたんです。そのブレスレット、どうなさったんですか?」
マリアンがめざとい。とっさにブレスレットに触れると、マリアンが疑いを深めた。
「どこの、どなたにお会いしたんですか!?」
「ど、どうしてそう思うの!?」
「だって、お嬢様は装飾品をしませんもん。普段そういったものをされないのに、どうしてブレスレットなんてしてるんだろうって、ずっと気になってたんです!」
「普段だって装飾品はつけるでしょう? ネックレスやブレスレットをつける時だってあるわ」
「作業をされる時は絶対につけません。このブティックに来るのに、ブレスレットを持って行ったりしてませんし!」
断言されて、頭を抱えたくなる。マリアンはいつもジョアンナの側にいたのだから、それくらい知っていると胸を張った。
「どなたか好きな方ができたんですね!」
「す、好きな方というか」
「きゃあ、どなたからもらったんですか!? あまり高価そうではなさそうですから、職人の方とか? お嬢様がどんな方をお選びするか、私が口を出すことではないですけれど、お嬢様をお守りできる方でないと許しませんよ? さあ、教えてください。どなたからもらったブレスレットですか??」
にじり寄られて、ジョアンナは観念した。アルヴェールや加護の話をすると、マリアンが目を見開く。
「ギルメット家の、ご長男の!? ジョアンナ様、大物を釣りすぎでは?」
「言葉がすぎるわよ、マリアン」
「すみません。でも、あのギルメット家? 婚約の申し込みまでされているんですか!? じゃあ、受けないと! お嬢様がこの状況だとわかっていながらのお話なんですよね!?」
「それは、そうなのだけれど。加護のこともあるでしょう? そういったことも含めて、気になされているのだと思うの。危険があるとおっしゃられて」
「疑ってらっしゃるんですか? その力をほしがってるって」
「まさか、そんなことはないわ!」
「なら、いいじゃないですか。お嬢様のことを思って、屋敷に来てほしいと言っているなら、迷う必要なんてないと思いますけど。お嬢様の好みではないのなら話は別ですが」
「好みだなんて、そんな、おこがましいわ」
「なに言ってるんですか。旦那様がとやかくいうことはないんですから、お嬢様が決めていいんですよ。断っても旦那様の預かり知らぬ話ですし」
「私が、決めていい……」
「そうですよ。当然ですよ。お嬢様が決められるんです。自分の意思で」
婚約相手を、自分で決める。不思議な話だ。ジョアンナはどこか人ごとのように思えた。今までなにもかも父親が決めてきた。それに反対する気力もない。その昔、小さな頃には意見を口にしたことがあった。そういう時は大抵母親が口を出し、なかったことにされる。父親の意に沿わなければ、父親から叱咤される。意見など通ったこともない。自分の否応なしに決まり、決まったことにクリスティーンから文句を言われることも多かった。
なにを言っても自分は責められる。だったら、黙っていればいい。言うだけ無駄だ。はい、と返事をし、頷いていればいい。たとえクリスティーンや母親に文句を言われても、父親が決めたのだから覆らない。
ずっとそうやって決められてきた。
「いいんですよ、お嬢様が決めて。自分で考えて、自分で決断するんです。誰も邪魔したりしません」
マリアンの言葉が胸に突き刺さるようだった。
初めての決断は、家出だった。すべてを捨てる旅立ちだった。
これからも、その決断をしていいのだと、マリアンが言ってくれる。
「迷惑なんて考えなくていいんですよ。ギルメット様がよいとおっしゃっているのならば、お嬢様はその胸を借りればいいんです。それら含めて、お嬢様に来てくれとおっしゃっているのでしょう? あ、もちろん、私は賛成ですけどね! どっかの誰かと違って、女性の噂がない、憧れの若手貴族って噂ですもの」
「マリアンったら」
マリアンはとぼけるように笑う。けれど、とても温かい言葉だ。マリアンの言葉を聞いて、肩の荷が降りるような気がした。
「好き、なんですか?」
問われて胸が熱くなってくる。真っ赤になっているであろうジョアンナに、マリアンは嬉しそうに微笑んだ。
「好き、なんだわ。きっと。もう貴族ではないからと言い聞かせていたの。惹かれてはいけないと。けれど、ずっと前から惹かれていたのね」
「お嬢様には幸せになってほしいです」
幸せになっていいのだろうか。なれるのだろうか。
「なれますよ。だから、ちゃんとお嬢様は自分のことを考えて、答えを出すといいですよ」
「マリアン。ありがとう」
心から礼を言いたい。マリアンがいなければ、もっと苦しんでいたことだろう。
どうか、マリアンも幸せになれますように。その呟きに、マリアンは朗らかな笑みを見せた。




