18−3 練習
頭が真っ白になった。
「今、なんと……」
婚約を申し込む? 聞き違いではなかろうか。
妹を殺そうとした姉として、屋敷から逃げて針仕事をしているジョアンナに対し、婚約など、あり得なかった。
けれど、アルヴェールの目は真剣そのもので、いつもの雰囲気に比べて自信なさげな、緊張した雰囲気を感じた。
「こんなに急ぐつもりはなかった。驚くのは当然だと思う。ここに連れてきたのも、そんなつもりはなく。君の加護については、悪用される可能性があった。放置するのは危険だと判断した。だから、その力を認識して使いこなせるようになってほしかったんだ」
「危険、ですか?」
「王宮でも稀に見ぬ珍しい力だ。貴族たちに気づかれれば、こぞって欲しがるだろう。ブティックで商品を売っていれば、いつか気づかれてしまうかもしれない。その前に対処しておいた方が良いと思い、君に魔法を、その力を制御する方法を教えたかった」
治療の力を持つ者は王宮にいるが、そこまで多くない。平民で持っている者がいたとしたら、貴族に囲われるのは当然のことだ。ジョアンナが令嬢として手に入れる力と、平民として手に入れる力では大きく差がある。それに気づいていなかった。
アルヴェールはそのことにいち早く気づき、手助けしようとしてくれていた。
ありがたいとしか言えない。どうしてそこまでしてくれるのか。
そう頭の中で問うて、それが好意だからと上書きされて、また顔が熱くなった。
「加護を与えられることも、癒しが行えることも、子供たちのことを考えて学びたいと思ったのだろうが、しかし、貴族がなにをするかは君も想像できると思う。癒しが行えれば君自身も治療できる。だが、それを誰かに奪われることになれば、君の身が奪われるということだ。そういう者が現れてもおかしくない」
「そ、そうですね。無意識に加護を与えているのならば、魔法に詳しい方が気づくかもしれません!」
アルヴェールの意見に大きく頷くと、アルヴェールはなぜか間を空けた。恥ずかしさで声高になったせいだろうか。
「心のない者が、君を手に入れようとするかもしれないということだ」
「わかりました。私が考えている以上に、大変な力なんですね!」
よくわかったと返事をしたが、アルヴェールは眉を傾げた。理解が足らないところがあっただろうか。
「婚約を、したがる者もいるかもしれないということだ。レオハルトが再び君に婚約を求めるかもしれない」
「レオハルトが……」
なにかの利益でジョアンナからクリスティーンに、そして次の婚約者ところころ相手を変えるような男だ。再びジョアンナとの婚約を望むかもしれないと危惧しているのか。あり得そうな気はするが、ジョアンナは大きく首を振った。
「レオハルトと婚約し直すなど、あり得ません。妹までも騙すような人です。父もここまでコケにされたと気づけば、頷くことはないでしょう」
「そうか」
アルヴェールはどこか安堵したように肩を下ろした。
まさか、レオハルトとよりを戻すようなことがあると、心配したのだろうか。そこまで無神経な真似をする男だと思いたくないが、万が一もある。加護の力について知られたくないものだ。
「それで、先ほどの話に戻るが」
コホンと咳払いをされて、ジョアンナは首を傾げそうになった。
「聞いていただろうか。君に、婚約を申し込みたい。もちろん、加護の力について欲しがっていると思ってほしくない」
改めて言われて、ジョアンナはつい背筋を伸ばした。アルヴェールは本気で言っているのだ。胸が温かな気持ちでいっぱいになる。しかし、ジョアンナは自分の現状を思い出して、その気持ちがしぼむのを感じた。
「私は、家を出た身です」
「理解している。だから、噂の真相を聞きたい。襲われたのは君の方なのだろう?」
「それは……」
「真実を教えてくれないか」
噂など信じない。そう言ってくれるアルヴェールにじんわりと胸が熱くなった。
ジョアンナはあの時起きたことを、ゆっくりと思い出すようにアルヴェールに語った。
「魔道具を使ったのは間違いないんだな?」
「ですが、それが私には影響はなく、逆に妹が被害に遭いました。そのせいで血に濡れて、妹は崖下に」
思い出しても寒気がする。力が無さすぎて手から滑り落ちていったが、血に濡れていなければもう少しクリスティーンの体重を支えていられたかもしれないのに。
「君に使おうとして、跳ね返ったのかもしれない。その時もハンカチを持っていなかったか?」
「持っていました。クリスティーンに出かける前に渡そうとして、断られたんです。それで手にしていて」
「妹に渡すはずのハンカチを受け取らず、魔道具を使い、そのハンカチの加護に跳ね返されて自分に当たった。ハンカチをもらっていれば、結果は違っただろう」
「私のハンカチが、魔道具の魔法を跳ね返したと?」
「そうであれば納得できる。その上、原因のレオハルトからも捨てられたか。哀れだな」
アルヴェールの言葉は辛辣だ。顔に傷を作り体も怪我だらけになった。クリスティーンは目覚めても苦しんでいることだろう。クリスティーンの怒りが見えるようだ。そして、母親も、クリスティーンの状況に歯噛みしているに違いない。
「私が、クリスティーンを治せるでしょうか」
ぽそりと言った言葉に、アルヴェールは目を丸くした。
「君が殺されかけたのに、どこまでお人よしなんだ」
「ですが、クリスティーンもレオハルトに騙されたのです」
「そうかもしれないが。レオハルトに騙されたとはいえ、君を傷つけようとした妹だ。治療するにしても、居場所は伝えない方がいい。その時があっても決して二人で会ってはいけない」
次に会うときこそ殺されるかもしれないとはっきり言われて、気落ちしそうになる。けれど、クリスティーンの憤りは計り知れない。
「今はまだ、屋敷を離れている方がいいだろう。とはいえ、このままブティックで加護を与えながら商品を作るのも危険だ。商品を作るなとは言わないが、続ける気ならば、この屋敷で行わないか?」
「この屋敷で、ですか??」
「保護させてほしい。できるならば婚約がいいのだが、急に言われて戸惑いもあるだろう。しかし、君の力を知った今、魔法を制御できるようになるまでは、ギルメット家で君を保護したい。君が嫌なら別の手を考えるが」
「嫌などと、むしろ、そんなことをされては、ご迷惑が」
「迷惑など。君に了解を得られたら、ラスペード家に断りに行くつもりだった。そうすればこの屋敷に滞在できるから」
アルヴェールは婚約を望んでいるが、考える間だけでもギルメット家に滞在しないかと勧めた。いつ商品に加護がかかっているか気づかれるかわからない。魔法を教えてくれるとは言ったが、そのことを提案するために屋敷に呼んだことも申し訳なさそうに口にした。時間をかけて話すつもりが、エスターが現れたため、急な話なってしまったと言って。
「少し、考えさせていただけないでしょうか」
言えたのはそこまでで、アルヴェールは当然の答えだと、静かに微笑んだ。




