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15 レオハルト

「しつこいな。娘ともども」

 レオハルトは馬車の中で一人呟いて、足を組み直す。


 苛立ちが募るのは、衆目も気にせず、醜悪なほどすがり寄ってくることだ。

 手紙をよこし、放っておいたら次の手紙を送ってくる。それでも放っておけば、度々届くようになった。

 飽きもせず、毎日のように。


 クリスティーンが目覚めたから、屋敷に来てほしい。書いてあることはそればかり。目覚める前は、娘のために会ってやってほしいというものだったが、今はすぐに来いとでも言わんばかりの連絡だった。

 それすら放置すれば、とうとうクリスティーンの母親が屋敷に押しかけてきた。

 約束もなく非常識にもやってきて、門の前で立ちはだかり、大声で娘に会ってくれと叫んだのだ。

 なんと印象の悪い真似をしてくれるのか。


「これから結婚だっていうのに」

 今日も出発前に母親が来ていることがわかり、警備が追い立てて、レオハルトは外出することができた。

 クリスティーンを可愛がっていた母親。ジョアンナには見向きもしなかったのに、同じ姉妹でこうも対応が違うのか。


「まあ、どうでもいいけれどな」

 今日が外出する日だとわかっていて、隠れて待っていたのだろう。会えないと追い返していたため、わざわざ朝のこの時間を選んだに違いない。

 今日は、王族主催の恒例の狩りの日だ。









「きゃ、素敵だわ」

「衣装がお似合いね」


 自分のことを話しているのかと思ったら、女たちは別の場所に注目していた。

 舌打ちしたくなるのは、この狩りの日に必ずと言って良いほど無駄な目立ち方をする、アルヴェール・ギルメットがいたからだ。

 相変わらず目障りな男だ。

 見たくもない顔を見てしまったと、レオハルトは鼻を鳴らす。


 あんな男のどこがいいというのか。黒髪で地味で、無口で、女性に褒め言葉ひとつも言えない。剣や魔法が得意で、身分もあるため、王からの目があるからと、王族主催の狩りはやけに張り切って活躍しようとする、邪魔な男だ。


 前回はレオハルトが大物を仕留めても、アルヴェールがそれ以上の獲物を持ってきた。対抗しているのか、後から運んでくるといういやらしい真似をした。

(ふん。前は運が良かっただけだろう。今回は僕がもらう)


「では、あなたのために獲物を持って参ります」

 婚約者のリアンナにかしこまって挨拶をして、馬にまたがる。リアンナは微笑みながら、ハンカチをくれた。

 少し暗めの金髪。顔はそれなりに整っている。豊満な胸がそそられる。


 ジョアンナと婚約する頃、ユーステス家が土地を購入した。その土地の一画に珍しい鉱石が埋まっていると聞いたのは、婚約した後、ひいきにしている情報屋から耳にした。

 ユーステス家は事業に失敗してから、社交界の存在が薄くなっており、現状を覆す時をじっと待っていた。事業を盛り返すためにも、色々な家との繋がりをつけようと躍起になっていた。


 宝石業に手を出してから躍進しはじめたが、まだ信用度が低い。だが、無視するには勿体のない家だ。

 リアンナが独身なのは知っていた。頭が悪いわけではないが、周囲の雰囲気を読まないところがあった。そこは気に食わなかったが、今ではその性格に感謝したい。


 偶然会ったように声をかけて、ユーステス家の事業についてそれとなく話を聞き、父親との繋ぎをつけさせた。

 情報屋からかなりの資産額になると知らされている。もしも父親がセディーン家の名に釣られるのならば、その機会を逃す必要はない。相手がこちらに興味がないのならば、今まで通り、ラスペード家で我慢するしかない。


 ラスペード家は思った以上に父親の権威が強かった。独裁的で、たとえ長女と結婚しても、その事業を譲ろうという気は持っていない。セディーン家を利用するだけで、旨みをよこす気はなかった。

 ジョアンナはそれなりに美人だったが、真面目で物静かすぎた。派手なことを好まず、慈善事業や刺繍ばかりに時間をとる。

(よく渡されたハンカチは、店で買ったよりもずっと素晴らしかったが、良かったのはそれくらいだな)


 代わりに妹は自由奔放で、甘やかされて育ったのだとわかるほどわがままだった。屋敷に行けば姉の婚約者に色目を使い、わざとらしく触れる真似をしてくる。からかうにはちょうど良いくらいに、軽い女だった。


 婚約破棄を目論んでいたが、クリスティーンが勝手に動き、もめてくれたのだ。おかげでたやすく婚約破棄ができた。

(まさか、姉を殺したがるとは思わなかったが)

 それで自分が死にそうになっているのだから、自業自得で笑ってしまう。






「アルヴェール様、お見事!」

 木々の隙間から褒め言葉が聞こえて、そちらに視線をやると、再び嫌な男が視界に入った。

 アルヴェール・ギルメットだ。


 矢を使わず魔法で弓を射ったのか、獲物に矢が刺さっていない。

 格好をつけた仕留め方だ。矢では届かないからじゃないのか? と心の中で揶揄して、レオハルトは手綱を引いた。アルヴェールを背にして進みはじめる。同じ方向へ行きたくない。

 なんならここから矢を射ってやりたいが、持っている矢ではすぐに誰が犯人か気づかれてしまう。


 アルヴェールが倒したのは、人の体も何倍もある大型の獣だった。

 どの狩猟大会でも参加すれば必ず結果を出していたが、魔法であれば誰がやったかなどわからない。矢のように各々の印が入っていないからだ。

 今回は王が趣向を凝らし、物珍しい獣を放っていると聞いていたが、随分と巨大な獣を放っている。それを一撃で倒したのだろうか。


(どうせ、他の騎士たちが協力したんだろう)

 アルヴェールは部下を数人つけている、それらが手助けしてもわからない。


「レオハルト様、あちらに獣の足跡が。大物ですよ」

 人の頭くらいある足跡が地面に残っている。急に走り出したのか、つま先が土の中に埋もれていた。体重のある大型の獣だ。

 前回は大物を仕留めることができた。王から褒美を得たほどだ。驚くほど凶暴な獲物が大人しく現れたこともあり、たやすく射止められたのだ。


「もっと奥へ行くか。この足跡の主を探す」

 レオハルトは騎士たちを促すと、足跡を辿った。少し進めば木陰に気配を感じて、矢をつがえる。しかし出てきたのは野うさぎだ。しかも放った矢は、かすることなく土に突き刺さった。


「ま、的が小さすぎましたね」

「わざと外したんだ。さっさと大物を探すぞ」


 弓を持つのは久しぶりだった。まだ扱い方に慣れていないかもしれない。

 前回はいつ頃狩りに行ったか思い出せば、直近でラスペードと二人で狩り場に行った時だった。

 結婚前ということで二人で狩りがしたいと言い出したため、仕方なく付き合ったのだ。事業の経営権を渡してくるのかと思っていたが、セディーン家の借金について追求された。


 余計なことを聞いてくるものだ。

 気分は最悪だったが、獲物は大きめの鹿を数頭得られた。あのラスペードですら、レオハルトの腕を褒めてきたくらいだ。


「あ。また外れてしまいましたね」

「大物を探しているんだ! あんな小物は必要ない!」

 今度は子鹿を逃した。大物はどこへ行ったか、足跡も見失ってしまった。

 いら立ちがつのってくる。


「弓の具合が悪いんじゃないか?」

 野うさぎすらとれないとは。

「狩りが始まってどれくらい経った?」

「ふた時ほど経ったと思います」

「ちっ、しけているな」

 さすがにそろそろ鹿の一頭くらい狩っておかなければ。これではなんの土産もないままになってしまう。


「我々でなにか捕らえましょうか」

「うるさい! 僕が大物を獲ると言っているだろう!」

 叫んだ瞬間、木陰で草を掻き分ける音が聞こえた。弓に矢をつがえる。

 近寄ってくる足音が草から出た瞬間、この右手を離すのだ。

 ザッと矢が放たれた。


「しまっ!」

 放った矢が、人影に飛んだ。

 ガキンと、弾ける音がする。レオハルトの矢を剣で退けたのだ。

「申し訳な、」

 即座に謝ろうとしたが、見えた黒髪に言葉を止めた。

(ちっ。嫌なやつに)


「はは、申し訳なかった。手が滑ってしまって」

 よりにもよって、アルヴェール・ギルメットに矢を放ってしまった。周囲の騎士たちが気色ばんだが、アルヴェールが軽く手を振って抑える。


「よく見たらどうだ」

(くそ。偉そうに)


 内心舌打ちして、にこやかな笑顔を見せてから、馬の方向を変えた。近くにいるだけでむしゃくしゃするからだ。

 さっさと離れとうとした瞬間だった。

 ゴオオ、と突風が鳴ったような音が轟いた。


「な、なんだ!?」

「警戒しろ!」


 レオハルトが驚きの声を上げると同時、アルヴェールが剣を手にした。

 なんの警戒だ。そう口にしようとする前に、目の前が急に暗くなった。顔を上げれば、馬の背よりも遥かに高い場所から見下ろす、大型の獣、魔物が足を振り落とすところだった。


「うわあっ!」

「レオハルト様!!」


 間一髪、その太い足から逃げおおせたが、馬から転がり落ちて、馬が走り去る。再び巨体が日差しをさえぎった。レオハルトの騎士たちが矢を射ったが、壁に当たったように跳ね返った。開いた口から牙を見せつけるようにしてその騎士に振り向くと、前脚を上げて踏み抜こうとする。


「うわっ!」

 レオハルトのように馬から転げ落ちた騎士が、腰を抜かしたように這いつくばって走り出す。

「おいっ、主人を置いて先に逃げるな!!」


 その声に、魔物が反応した。

 濃い紺色の、象のように固く大きな体。太い足。鼻から伸びた鋭い角。金色に光る目。それが全てレオハルトに向いた。


「ひ。ひいっ!」

 日差しをさえぎる巨体が、レオハルトにのしかかろうとしていた。

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