13 再会
「ジョアンナ様、元気にしていらっしゃいましたか?」
孤児院の院長に迎えられて、ジョアンナは笑顔で返した。
「充実しているんです。前よりもずっと」
「そう。それは良かった。顔色が良くなっているわ」
マリアンからクリスティーンが目覚めたことは聞いた。屋敷が大騒ぎで、クリスティーンはレオハルトが一度も見舞いに来ていないこと、自分の顔に大きな傷が残っていることを知り、屋敷中に聞こえるような声で嘆き、喚き、手がつけられないということだった。
父親に関しては激怒して罵るだけ、母親はクリスティーンをなだめようと、レオハルトに連絡を取ろうと躍起になっているとか。
しかし、それでもジョアンナが部屋にいないことは気づかれておらず、マリアンはそれに対して言いにくそうに教えてくれた。
むしろきっぱりと捨てられるのだから、気にすることはないのだが。
院長には手紙で状況を伝えていた。仕事は忙しかったが、モニカは時折休みをくれて、針を置いて無理にでも休めと言ってくれたので、孤児院に来ることにしたのだ。
手紙で向かうことを伝えておいたので、服装の違いについては院長は口にしなかった。
「ずっとこちらに来ていなかったので、子供たちに忘れられていないか不安でした」
「まあ、そんなこと。皆首を長くして待っていましたよ」
久しぶりに会った子供たちは、出来上がった刺繍を見せてくれた。教えるのが途中になってしまっていたが、自分たちで進めていたようだ。
今度はレースを編もうと、材料を持ってきていた。しかし、皆が机に向かって何かをやっている。
「あら、文字を勉強しているの?」
「おじちゃんが、本と書くものをくれたの」
「おじちゃん?」
奇特な人が道具を寄付したようだ。子供たちは絵なども描くのですぐに文房道具は無くなってしまうのだが、買い足してくれたらしい。見覚えのない木炭が机の上に散らばっている。ペンではインクをこぼす子供がたえないので、ジョアンナも院長も困っていたところだ。木炭ならば手は汚れるがこぼしたりしない。
本も何冊かあり、年齢によってわけられていた。
「大きな子供も増えたから、少し難しい本も寄付してくださったのよ」
「よくいらっしゃる方なんですか?」
「ええ。勉強を教えてくださるの。大きい子には剣も教えてくれているわ」
「剣ですか?」
それはジョアンナが真似できないことだ。たしかに男の子には剣の使い方は知っていて損はない。騎士になれなくとも警備の仕事に就けるかもしれない。
「女の子にも教えてくれているのよ」
「女の子にも??」
「外に出る時に、もしかしたらということもあるでしょう。使い方を覚えれば、相手の急所をいかに早く狙えるか、大事だとおっしゃっていたわ。守れるのは自分だけのこともあるからと」
ジョアンナも、今までは騎士の一人は連れていたが、平民のふりをするようになって一人で町をうろつくことになり、その時は度胸がいった。モニカも入ってはいけない道などを教えてくれたし、小道でも安全な道を通って外に出ている。
孤児院に来る時は馬車だが、馬車に乗れなければ歩くしかない。女の子でも剣の使い方を覚え、自分を守る力を得るための学びは決して無駄ではない。
自分もお願いしたくなる。
「ほら、噂をすれば、ね」
馬車がカラカラとやってくる。家紋の入った馬車だ。降りてくる人を見て、ぎくりとした。
「あ、おじちゃんだ!」
子供たちが椅子から飛び降りて、その馬車に駆け寄って行く。
馬車から降りたのは、黒髪の青年。アルヴェール・ギルメットだ。
どうしてあの方が? 思う前に、ここで会っているのを忘れていた。アルヴェールが訪れてもおかしくないのに。
帽子は持ってきているが、部屋の中でかぶるわけにはいかない。そうこうしているとアルヴェールが子供たちと一緒にやってきた。
「よくおいでくださいました。今日はいらっしゃらないかと思っていましたよ」
「時間が空いたからな」
院長がアルヴェールと話しているのを、後ろで居心地の悪い思いをして聞いていた。あの会話に入る勇気はない。このまま後退して逃げ出そうかと思っていれば、アルヴェールがこちらを向いた。
持っていた帽子でつい顔を隠して、頭を下げる。ここまま立ち去った方がよさそうだ。アルヴェールにはドレス姿で、ここで会っている。
(でも、サンドイッチをご馳走になったこと、お礼をもう一度言っておきたい、けれど、でもでも)
「やあ、また会ったな」
またって、いつのまたを言っているのだろうか。孤児院で会った時からまたなのか、町で会った時からまたなのか。返事をしあぐねていると、町では世話になったと言われて、そちらかと安堵する。
「あの時はご馳走になり、ありがとうございました」
「付き合わせたのはこちらだから」
ゆるりと微笑まれて、ジョアンナは顔が赤くなるのを感じた。そんな風に柔らかい笑いは見たことがないからだ。
(平民にはお優しいのね。パーティではそっけないと聞くのに)
「ジョアンナおねえちゃん、編み方教えて」
「ええ。もちろんよ」
子供に引っ張られて、ジョアンナは頭を下げてその場を離れた。
名前を呼ばれても、アルヴェールは気づいていないだろうか。
(顔を見られても気づいていないのだから、気づいてないわよね。自意識過剰だったわ)
妹を殺そうとしたと言われるのに慣れるわけがない。もしもそれを真正面から言われたらと考えれば、恐怖でしかない。気づかれていないのならば、ここまま気づかれない方がいい。
ジョアンナは屋敷を出て生きていくつもりだ。貴族であることも過去になるだろう。
「手先が器用なんだな。これも君が?」
子供たちにレース編みを教えていれば、アルヴェールが話しかけてきた。
手に持ったのは手本用のリボンだ。単調なデザインだが初心者には丁度良いもので、始める前に軽くジョアンナが作ったものだ。
「ジョアンナお姉ちゃんが、ぱって作ってくれたの」
「それはすごいな。この前拾ったハンカチも君が?」
「お恥ずかしいですが」
町でハンカチを拾いあった時、落としたハンカチもジョアンナが作ったものだった。
今も持っているかと聞かれて、町で落としたものとは違うハンカチを差し出す。アルヴェールはなぜかそれを手にして、じっと見つめた。そこまでまじまじ見られると恥ずかしいのだが。汚れていないか気になってくる。
「あの、なにか?」
「いや、素晴らしい出来だと思って。ハンカチに加護を与えるとは、珍しいな」
「かご? ですか?」
なんのことだろう。首を傾げると、アルヴェールは目を細めて、小さく笑う。
「気づいていなかったのだな」
「なんのお話でしょうか」
「誰かに渡すつもりの物だったのだろうか?」
「なぜそれを」
これは前にクリスティーンへ編んであげたハンカチだ。ジョアンナが持っていたハンカチを欲しがったので作ってあげたのだが、やはりいらないと突き返されてしまった。それで仕方なく自分で使用している。自分自身で作ったものを使うが、これに限っては自分のために作ったものではない。
「気持ちを込めて作ったのだろう。温かさを感じる。特異な能力だな。知らず魔法を使っているのだろう」
「私がですか?」
「君が作った物ならば、効果が出ることだろう。病気になりにくいとか、体調がよくなるとか、怪我が少ないとか、なにかしらの影響があるはずだ」
「まさか、そんな。私にはそんな力は」
「間違いない。たまにいるんだ。女性は魔力を測ったりしないから、気づかず魔法を使えてしまう人が。それでも、とても珍しい力になるが」
信じられない。そんな力があるなど。
けれど、祖母がジョアンナの作ったものを持つと気分が良いと言ってくれたことがあった。あの時は褒め言葉だと思っていたのだが、本当にそんな効果があったのだろうか。
「作ったものに、それも日常的に使うようなハンカチに加護を施す人は初めて見た。普通は魔道具などの宝石にいれるものだから。ハンカチを作って、気分が悪くなったりしたことは?」
「そんなことは。集中しすぎて疲れることはありますが、一枚二枚作ったところで、特には」
「よければ、魔力を測定したらどうだ? その力を伸ばせれば、もっと力のある加護を作れるだろう。魔法を学んだことはないのだろう?」
「ありません。そんなこと。伸ばすことなんてできるんですか?」
「それはもちろん。魔法の才能があるのだから、当然だ」
アルヴェールは大きく頷くが、ジョアンナはすぐには信じられなかった。そんな力があるなど、考えたこともない。作っているものに加護があるならば、あれもこれも、製作したなにもかもということになる。他人のためにと言うならば、店で売った商品すべてになってしまうだろう。にわかには信じられない。
「学べば強い加護をかけることができる。今よりもはっきりと。そうであれば、加護だけでなく治療も可能だろう」
「治療……」
治療が必要な人が思い浮かんで、ジョアンナはぎゅっと手を握りしめた。
(クリスティーンの傷を、治せるのかしら)
治療できるのならば、学びたいとも思う。けれど、学んだところで、母親が治療などさせない気もした。ジョアンナがなにかしようとすれば、母親は大きく罵るだろう。ジョアンナを信じるはずがない。ジョアンナがクリスティーンを傷つけたと思っている限り。
それに、魔法を学べるのは貴族だけだ。それに加わればすぐに素性が知られるだろう。
ちらりと見やったアルヴェールは、無理強いはしないと引いてくれる。ジョアンナの希望を優先してくれるようだ。
「もし学ぶとしたら、言ってくれ。悪いようにはしない」
「ありがとうございます」
「おねえちゃん、続きは!」
子供に急かされて、その話は終わった。アルヴェールも剣を教えると、外へ出て行った。
(私に、魔法の才能)
だが、平民になることを望んだジョアンナが魔法を学ぶ姿など、到底想像することができなかった。




