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嘘彼と、私  作者: ひめきち
そして、彼とクリスマス
18/19

中3・12月(後)

 一晩で治まるかと思われた症状は予想外に長く続き、結局私は一週間以上寝込むことになった。


「終業式だけでも出席出来ませんかって聞かれたけど無理そうねえ」


 お母さんとの電話のやり取りの後、担任の先生が二学期の成績表と諸連絡のプリント、そして冬休みの課題を持って来てくれた。

 熱血受験指導は継続なんですかそうですか。こちとら病人なんですけど多少まかりませんか先生?


 微熱が続き、検査も数回受けたけどよく分からなかったらしい。医師と両親が話し合っているのが聞こえた。白血球がどうとかマイコプラズマは陰性だとか。


「タチの悪い風邪をこじらせちゃったって事なんでしょうか……?」


 そうこうしているうちに原因は不明のまま体温は落ち着いていき、点滴をすればどうにか歩けるほどに私は快復した。


 とはいえ病院から帰って来てパジャマに着替えたところで力尽き、そのまま自室のベッドに倒れ込む。

 熱はなんとか下がったけど、しばらく伏せっていて食事を満足に取れていなかったせいか、筋力と基礎体力が低下している。いつかの筋肉痛並みに身動きが取れない状態だ。


 鈴木先輩と話している間、北風に吹かれ続けてたのがマズかったのかな。あの時はイッパイイッパイで意識してなかったけど、今にして思えば結構寒かったもんなあ。

 それともあれかな、『知恵熱』。受験勉強に酷使していた上、他の事まで頑張って色々考えちゃったから、私の脳細胞がオーバーヒート起こしたんだろうか。もしもそうだったとしたなら、ちょっと……いや大分情けないぞ私。


「はあ……」


 私は布団の中で寝返りを打った。


 壁のカレンダーが視界に入る。

 曜日の感覚が結構狂ってしまったけど、そう言えば、今日ってクリスマス・イブじゃない?


 巷ではイベントムードだというのに私は病床かぁ。お母さんが一応準備しておくと言ってくれていたケーキも、全然食べられる気がしない。悪いけどお父さんと二人で食べてもらおう。

 今年は恒例の家族旅行もなかったな。まあ見送りの理由は私の発熱じゃなく受験生だからって事だったみたいだけど。原因の如何を問わず、毎年やってた行事が開催されないのは少し寂しい。


 去年のバレンタインにインフルエンザに罹ってから、体調管理にはわりと気を付けていたつもりだったのにな。

 根を詰めすぎたのかな。

 そう思う一方で、焦りもある。受験生なのにこんなに勉強休んじゃって大丈夫だろうか、私。

 ……いやいや、受験生は身体が資本だもんね。まずは健康を取り戻さなきゃ。

 体調を崩したのが受験当日じゃなくて不幸中の幸いだった。もう、そうとでも考えてないとやってられないよ。


 あーあ。一緒に冬季講習通う約束していたのに、美和ちゃんきっと心配してるよね。

 それに、告白するんだって折角決意出来たところだったのに。伊織くんは今頃何してるんだろう……。


 そんな事を考えているうちに、うつらうつらしていたらしい。


「あ、起きた? ちー」


 次に私の意識が浮上したのは、ここにいるはずもない人の声が聞こえたせいだった。

 こんな事、前にもあったような。

 ……幻聴?


「良かった千奈津、お粥食べられそう?」

「ん……んー?」

「頂き物だけど、林檎のすりおろしは?」

「うん……多分……」


 私は瞼をこすり擦りお母さんに返事をした。


 いつの間にか寝ちゃってたんだ。

 点滴の効果か、眠る前より怠くない。食欲も少しだけ出てきた気がする。


「じゃあ用意してくるから少しだけ待っててね」

「あ、では俺はおいとまを」

「気にしなくていいのよ、すぐだから。これ遠慮なく頂いていくわね」


 パタン。……キィ。

 扉が一度閉まり、数秒後にまた開いた音がする。それから枕元に人の気配が戻ってきた。


「ちー。ごめんな、寒くない? 扉は開けといた方がいいかと」


 ああ、お母さんが閉めちゃった扉をわざわざ開けに行ってくれたんだ。私の事なら、お布団があったかいから平気だよ。さすが伊織くん。そう、マナーは大事だよね。


 ……


 ………


 …………



「い、い、伊織くん⁉︎」


 私は慌てて布団を跳ね上げた。

 くらり。急激に上半身を起こしたせいで眩暈に襲われたけど、腕を突っ張って気合いで堪え、枕元に座る人物を見やる。


 烏の濡れ羽色の短い髪、一重で切れ長の瞳、すっと通った鼻筋、薄い唇。

 カーペットに正座している姿は、自然体なのに背中に一本棒が入ったように真っ直ぐで。


「ちー。良かった。熱下がったんだってな。心配してた」


 目を軽く細める、私の大好きな笑い方。

 ……夢じゃない。

 やっぱり伊織くん(本物)だあ‼︎


 私は高速で顔を俯けた。


 お母さんめ……!

 寝ている娘の部屋によその男の子を勝手に通すなんて、何考えてるの? 母親としてあり得なくない⁉︎

 受験前の伊織くんにこの風邪(?)が感染うつったらどうするつもりなのよ⁉︎

 いや、それより何より、どうしよう。私ったら、髪の毛ボサボサだろうし、パジャマは寝汗でクシャクシャだし、寝起きで顔も洗ってない。まさか目脂なんか付いてないよね⁉︎ 変な寝言とかも言ってなかったかな? やだ、そう言えば私、昨日から歯磨きもしてないよ!

 は、恥ずかしくて顔が上げられない。

 お母さんのバカ──‼︎


「悪い。俺が無理を言ったんだ。眠っていても構わないからせめて顔だけでも見たいですって」


 構う! 伊織くん、私の方は構うから!


「も……もっとちゃんとした格好で会いたかった……」

「なんで? ちーは病人なんだから気にしなくていい。押しかけて来たのは俺の方だよ」

「だって折角イブなのに」

「あ──クリスマス、そうか……ごめん、ちー。俺、気が利かなくて……」


 ベッドに座る私の位置からだと、伊織くんの横に置かれたビニール袋の中身が見える。

 赤い林檎と、エネルギー補給のゼリー飲料。

 ああ、さっき、お母さんがここから林檎をひとつ貰って行ったんだろう。

 ……何て言うか、すごく伊織くんらしいお見舞いの品だ。


「ううん、充分だよ。ありがとう」


 会いたいと思っていた時に、会いに来てくれた。"元気になれ"って──心の籠もった品を携えて。

 これ以上のプレゼントが他にあるだろうか。

 そうだよ。

 ちょっとみっともなくて気恥ずかしいからって顔を背けている場合じゃない。


「私の方こそごめんね。伊織くんへのクリスマスプレゼント、今年も準備してなくて」


 去年も何も渡せなかったもんなあ。

 不甲斐ない私。

 伊織くんが喜びそうな物って何だろう。


「伊織くん、サンタさんに毎年どんな物お願いしてるの?」

「……特にお願いはしてないかな。って言うか、ちーにお願いしたい事ならあるけど」

「えっ何? 私に出来る事なら何でも言って?」

「…………」


 逡巡する伊織くんなんてホワイトデー以来かも。

 何だろう。珍しいな。


「……病み上がりの人に向かってなんだけど」


 と断ってから、伊織くんはこう続けた。


「抱き締めてもいい?」


 ハグ⁉︎


「だ、ダメ! 私今、汗くさいから!」


 私は秒速で前言を撤回した。


「防具に比べたらたいしたことないって」


 わぁん、伊織くんの正直者!

 分かってたけど、自分でも分かってたんだけど、そこは建前だけでも否定して欲しかった……!


「や、ダメ、絶対ダメ!」


 少しでも伊織くんから距離を取ろうと、私はベッドマットの上に立ち上がって壁際に身を寄せた。

 好きな人にクサイと思われてるなんて最悪……!

 私の乙女心は完膚なきまでに叩きのめされてしまった。これ以上臭いを嗅がれたら泣いちゃう。

 もうもう、一メートル以内に近寄らないで!


「……くしゅっ」

「わ、馬鹿っ、まだ本調子じゃないのにぶり返すだろ。布団に入って」

「やだ、やだやだ、やだ」

「ちー、頼むから」


 我ながら幼い子みたいに駄々をこねていたら、手首を掴まれて伊織くんの方へ引き寄せられた。

 毛布で一周くるまれて、ストンと腰を下ろした伊織くんに背後から抱え込まれる。

 私が座ってるの、伊織くんの 膝 の 上 と か !

 伊織くんは私を殺す気なの⁉︎


「ちーが嫌なら息止めておくから。俺へのクリスマスプレゼントだと思ってちょっとだけ我慢して」


 いつの間に伊織くんはこんなに大きくなってしまったんだろう。私の身体は伊織くんの腕の中にすっぽり入ってしまう。

 背中が温かい。

 毛布越しに伊織くんの心音が伝わる。

 その鼓動は早鐘のよう。

 これは私の心臓? それとも伊織くんの?


「……元気になって本当に良かった。俺さ、ちーに伝えたい事があって」


 とくん。

 私の鼓動が更に跳ね上がった。


「わ…たしも言いたい事ある」

「そうか。ちゃんと聞くから、取り敢えず先に言わせて」


 駅で鈴木先輩に会った事とか。野球部の倉庫裏で女の子に告白されていた事とか。

 伊織くんは多分、そういう事を言わない。

 枝葉末節に囚われない。

 ここぞという場面で斬り込んでいく時のように、伊織くんの言葉の軌跡はいつも真っ直ぐだ。


「好きだ、ちー。付き合って欲しい。……どうか俺の彼女になってください」



 その言葉を。


 伊織くんの口から聞きたくて、自分でも言いたくて。


 願い始めてから二年も経ってしまった。



「はい……! 私も、私も伊織くんが好き」


 幸せすぎて胸が苦しい。

 やっとの思いで答えながら、私の前に交差して回された伊織くんの両腕に、そうっと自分の指で触れた。

 硬くてしなやかな伊織くんの腕。けして拘束するようにではなく、毛布をそっと支えるように寄せられたそれ。

 あの時少しだけ離れた場所で私を守ってくれていた伊織くんの背中は、今はこんなに近く触れ合える腕に代わって、けれど変わらず私を守ろうとしてくれている。


「それがちーの言いたかった事?」

「うん、嬉しい……私、嘘彼でも嘘彼女でもない、本物にずっとなりたかったの……」


 あ、いけない。私の瞳から零れた涙が伊織くんの腕にポツリポツリと落ちる。

 私は慌てて毛布の端で水滴を拭き取った。


「嘘彼? ……って何?」

「え?」


 訝しげな伊織くんの反応に、思わず涙が止まってしまった。


「あの……前から学校の皆に、私達はとっくに付き合っているんだって誤解されてたでしょう?」

「そうなの? いつから?」

「一年の冬……」

「あー……波瀬がいやにからかってくるなとは思ってたけど……あいつは元々俺の気持ち知ってたから」


 まさか伊織くん、気付いてなかった──⁉︎


「俺、噂話とかに疎くて。人見知りも治さなきゃとは思っているんだけど」

「人見知り?」

「そう。だから、誰とでも仲良くなれるちーは俺の憧れだった」


 あれ。もしかして。

 私はずっと伊織くんの事、八方美人気味な自分とは違って、"友人と知り合いの境界線をはっきり引く人"なんだと思ってたけど……あれ?


「なんかごめんな。朴念仁ってよく言われるんだ俺」


 え。待って。ちょっと待って。

 なんだか展開が急過ぎてついていけない。

 私が誤解していたのかな。公認カップル扱いされてるって思っていたのは私だけだった? いや美和ちゃんや田中くんや他の子達からも言われてたし、周囲の認識はそれで合ってるよね。て事は、学校内で伊織くん一人だけがそれに気付いてなかったの? そんな馬鹿な。もしかしてひょっとすると伊織くんて天ね……


 混乱する私の耳に、ノックの音が響く。


「そろそろ入ってもいーい?」


 お盆を抱えたお母さんが、開かれたドアの向こうに立っていた。

 私と伊織くんは自分達の今の状況に気付いてパッと離れる。伊織くんはまた床に、私は毛布を纏ったままベッドに座って布団を膝に掛け直した。


「あらあら、ふふふ。仲が良いのねぇ」


 ニヤニヤしながらお母さんが近寄ってきた。

 お盆の上には林檎のすりおろし。変色していないのはすりたてだからって訳じゃなく、きっとレンチンしてきたからだ。

 うわぁもう、いつから見られてたんだろう……!


「樫木君……だったわよね。お名前は勿論最初にご本人からきちんと伺ったんだけれど、千奈津、あなたからも改めて紹介してくれる?」


 お母さんに言われて、私達は顔を見合わせる。伊織くんが優しく頷いてくれたので、私は面映ゆい気持ちを抑えてお母さんを見上げた。

 こんな風に伊織くんを家族に紹介出来る日が来るなんて、奇跡みたいだと思いながら。


「樫木伊織くん。えっと、私の──彼氏、です」





 その後伊織くんがお母さんから質問攻めにあったり、私の赤面が治まらず熱がぶり返したのかと疑われたり、私の快気祝いに会社を早退して来てくれたお父さんと伊織くんが鉢合わせしてしまったり、本当に大変な目に遭った。けどその間中、伊織くんはずっと真摯に対応してくれて、その潔い姿勢に「やっぱり大好きだなぁ」と私は惚れ直してしまった。


 でもね。多分私はまだまだ伊織くんの事を知らないのだ。

 "誰よりも格好良くて優しい、嘘が嫌いで真っ直ぐな人"

 伊織くんの事をずっとずっとそう思っていたけれど、実際の伊織くんはもしかしたらそれだけじゃないのかもしれない。


 だって──

 本当に息を止めてたらあんな風に喋ったり出来なかったんじゃないだろうか。

 その事に遅ればせながら気が付いて私の血の気が引いたのは、伊織くんがとっくに帰ってしまった後だったのだけど。



*****



 去年のクリスマスには、伊織くんから初めてのプレゼントを貰った。夢のように嬉しくて、今でも胸の奥でキラキラと輝いている宝物のような思い出だ。


 でも、今年のクリスマス・イブはきっと、もっと特別な思い出になるだろう。

 ずっと欲しかった言葉を貰えた。ずっと口にしたかった言葉もあげられた。

 大好きで憧れだった伊織くんの意外な一面を知り、ちょっと恥ずかしかったけど、一番近くで伊織くんの鼓動を聞けた最初の日。


 そうしてこの日は、私達が本物の"彼氏彼女"で過ごす初めての記念日になったんだ────。

ここまで読んでくださって有難うございました!

ちーちゃん視点はここで終了。

次回、伊織視点の小話で完結です。

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