中3・12月(前)
──きっと罰が当たってしまったんだろう。
やらなきゃいけないことを後回しにしていたから。なんとなくこのままでいいような気がして、恥ずかしいのと勇気がないのを言い訳に、やるべきことから私はずっと逃げ続けていた。
だから。
だから今、ここで、伊織くんのこんな言葉を聞かされるはめになっているんだと思う。
全部私の自業自得なんだ。
それなら涙をこぼす権利なんか、私には無い──……。
*****
中三の十二月。
二学期最後の月だというのに、私達三年生の気持ちはもう既に次の学期に飛んでいる。なんてったって(ほとんどの人にとっては)人生初の大イベント、受験戦争が控えているのだ。三学期は短い。始まったと思ったらそれこそあっという間に高校受験や卒業式当日になってしまうんだろう。小学校卒業の時とは比べ物にならないくらい、皆がバラバラになってしまう。私達が中学生活のフィナーレを迎える日までもうすぐだ。
推薦組・私立受験組は別として、一般的な公立高校の願書の提出は年が明けてから。という訳で今週は、あと何回設けられているのか分からないけど少なくとも今年最後ではあるはずの、進路相談の週だった。
三者面談。これって何回やっても緊張するよね。親と担任の先生に挟まれて自分の成績を目の前で話し合われるの。定期テスト順位の推移、模試の結果、志望校のランクを机上に並べられて、"将来なりたいものは何?" とか "C判定? もうちょっと偏差値上げないと危険だね。勉強頑張ろう!" とか言われちゃう。その居た堪れなさたるや授業参観の比じゃない。
確固たる信念を持って進路を選んでいる人とか成績優秀な人とかは違うんだろうけど、私みたいに希望の職種を一つに絞りきれないでフラフラしているような子は、友達と一緒に行ける普通科高校をとりあえず目指す。制服が可愛ければなお良し。……主体性のない生徒ですみません。
と、いうのが、夏までの私の進路相談でのスタンスだった。
「では甘糟さん、千奈津さんの第一志望校変更について確認させてください。『自宅から無理なく通学出来る範囲で、強豪の剣道部がある公立高校』──これですと当てはまるのが英高校ですね。前回までの希望先よりも偏差値高めの学校になりますが、進路についてはご家族で話し合われてますか?」
受け持っている平凡な生徒(つまり私)が、二学期も終盤になってから、進路の上位変更をしでかした。
それは先生も親に確認を取りたくなるってものだろう。
「そうですね、なるべく娘の希望に沿ってあげられたら、とは思っておりますが……。先生、率直に仰って、合格は難しいでしょうか?」
小テーブルを挟んで先生と差し向かいに座ったお母さんも、それを分かっていたようで、淡々と返す。
横にいる私だけが、なんだか座りが悪くて落ち着かない。
「いえ、千奈津さんの成績ですと、充分狙える範囲内ではあります。先日の模試での合格判定もAでしたからね。ただ、急に志望校のランクを上げてきたので、何があったのかなと。受験間際になって本人がやる気を出してきたという事なら大歓迎なんですが」
「まあ、どうなんでしょう、ホホホ……」
お母さんは手の甲を口元にあてて、普段しないような怪しいごまかし笑い。そんなTVドラマみたいな笑い声あげる人、リアルで初めて見たよ、お母さん。そして隣に座っている私にチラリと呆れた目線を向けてくる。担任の先生の言葉から色々と察したのだろう。
あー……うん。偏差値高めの高校受けるんなら、夏期講習に通わせてもらった時、それなりのコース受けとけば良かったんだよね。しかも『剣道の強いとこ』なんて、志望動機が不純なの丸分かりだし。
けどお母さんごめんなさい、どうしても私、伊織くんと同じ高校に行きたいの……!
だってね。夏以降地道に繰り広げていた伊織くんリサーチの結果、①高校は家庭の負担を鑑みて公立を目指すこと、②高校でも剣道を続けたいこと、③道場に通う時間が欲しいから学校は近場が良いこと──等が判明したんだ。(おお、我ながら結構マトモに調査出来ている! 一年前と比べたら凄い進歩なんじゃないかな、私?)
別々の学校に通うくらいで恋愛が駄目になってしまうとは思いたくないけど、でも……。
今年、クラスが別になっただけでも会える機会がグンと減ってしまったんだもの。これで学校が違ったらどうなるんだろう……と思うと、心弱い私は尚更不安になってしまう。
同じ学校に通えるチャンスがあるのなら、それに賭けてみたいよね?
「甘糟さん、お子さんに向上心があるのは良い事です。幸いにもまだ少し時間がありますし、内申点も悪くないです。千奈津さんは基礎が出来ていますから、ここから追い込みをかければ飛躍的な学力上昇も夢ではありません。私ども教師としましても、出来得れば万全の体制で生徒自身の希望する高校へ送り出してあげたいのです。そのための協力は惜しみません」
「まあ先生、そう仰って頂けると……頭が下がる思いです」
「よし、勉強頑張ろうな、甘糟! 分からない所はいつでも職員室に聞きに来なさい!」
「は、はい……」
知らなかった。私の担任の先生、意外と熱血だったんだ。それとも受験生の担任って皆こうなの?
娘の本心を察知しているお母さんは、苦笑いだったけど。いやもう向上心じゃなくて下心ありありな生徒ですみません、先生……。
三者面談の部屋を出て廊下の隅まで歩くと、お母さんが立ち止まった。
「……千奈津。あなた本当に行きたいのね? 英高校」
私は頷く。
「今現在A判定取れているとしても、受験に100%はないわよ。本番ではあなたが落ちるかもしれないし、一緒の高校に行きたいと願うその相手が落ちるかもしれない。それでも受ける?」
少し迷ったけど、もう一回頷く。
ダメもとでも、受験をしなければ確実に同じ高校には行けないもの。あれと同じだ、宝くじ。買っても当たるとは限らないけど、買わなきゃ絶対に当たらない。
「仕方ないわねえ。……じゃあ万全を期して、塾の冬季講習に申し込んでおきましょうか」
モチロンお父さんの許可を取ってからよ、とお母さんは優しく微笑んでくれた。
*****
「波瀬くん、伊織くんいない?」
「あー、いないね」
「坂江さん、伊織くんどこにいるか知らない?」
「ごめん、知らないなあ」
「国重くん、伊織くん見かけなかった?」
「見てないよ」
翌日の放課後、私は伊織くんを探して校内を歩き回っていた。昨夜も電話で少しだけ話したんだけど、伊織くんの進路相談はどうだったのか訊くためだ。手には塾の冬期講習のパンフレット。さり気なく同じ塾に伊織くんを勧誘してみようかな、なーんて思って。そうなったら冬休みになっても頻繁に会えるかもしれないし!
……あれ。でも、伊織くんって塾とか行くのかなぁ。部活を引退してからはもっぱら自宅学習に打ち込んでいたみたいなんだけど。
それで成績が上がるから凄いよね。夏前は学年でもそこまで上位陣ではなかったのに、二学期になってから見る見るうちに伊織くんの校内順位は上がっていった。
やっぱり部活に打ち込んでいた人は集中力が違うのかな。気持ちの切り替えが上手だって事なのかもしれない。
そんな伊織くんに感心する反面、たいして順位が浮上しなかった私は『塾通いしてこれかぁ』って自分が情けなくなっちゃったりもしたんだけど……まあ私だけが努力している訳じゃないもんね。つまりは、周りの子も皆同じように勉強頑張っているって事だよね。
彼氏(……でいいよね?)が大躍進を遂げているっていうのに、彼女(……なんだよね?)である私が変わり映えしないっていうのもどうなんだろう。理想的な彼氏彼女っていうのはお互いを高め合う関係だって聞くけど、そんなの一体どうやったらなれるの? 二人共成績上げればいいのかな。自宅で勉強会でも開催すべき? ……ううん、絶対無理だわ。挙動不審で勉強なんか手に付かない自分が容易に想像出来ちゃった……。
悲しいことに私は要領の良いタイプじゃないんだから、ひたすら地道にコツコツやるしかないよね。分かってはいるんだ、分かっては。
「はあ……」
ああ、いけない。テンション駄々下がりになってしまった。
……自信がないからいけないのかなあ。
離れてもお互いの気持ちは変わらない、大丈夫だっていう自信。寂しさになんか負けない、っていう自信。
『彼氏彼女』だっていう、強い自信が。
私は制服のポケットから、桜の栞を取り出した。
三年でクラスは別々になったけど、私の気持ちは変わらなかった。伊織くんも変わらず優しくしてくれた。少し寂しかったけど、ここまではなんとか乗り越えられた。
──でも、学校が別になってしまったら?
伊織くんが私の事を特別に想ってくれているのは分かる。伊織くんは親しい人とそうじゃない人との線引きをハッキリする人だから。自惚れじゃなく、好かれているんだろうな、とは思うんだ。
て、て、手も恋人繋ぎにするくらいなんだし、電話だってしてくれるし夏祭りにも誘ってくれたし。伊織くんは誰にでもそんな事をするような人じゃない。女の子の中で誰より私の事を一番大切にしてくれている。それは間違いない。でも。
──友人以上、恋人未満。
なんでだろう。私達二人の関係はここに位置しているって感じがどうしても拭えない。
『恋人』のラインより上に行けていない気がするんだ。
……今更だけどやっぱり、伊織くんに『好きです』ってきちんと告白するべきなのかなあ。
私達は出だしで躓いているんだもん。嘘彼&嘘彼女から本物にそれとなくシフトするだなんて、そんな器用な真似、この私に出来る訳がないんだ。仕切り直してちゃんと告白して、OKを貰わなきゃ。うん、分かってる、そうした方がいいのは重々分かっているんだけど、どうしよう、改めて言葉にしようとすると物凄く恥ずかしいんだよね……!
「好きです、付き合ってください」
そう。この言葉を口にするのにどれだけ勇気が要るのかを知っていたら。二年前、先輩にあんな失礼な態度を取らずに済んだのかもしれないのに──……。
「やっぱり先輩の事が好きなんです! 私……諦めきれなくて」
あれ?
私の想像のセリフじゃなかった。野球部の倉庫の裏からリアルに女の子の声が聞こえてきてた。
姿は見えないけど、誰かの告白タイムにうっかり乱入しちゃったって事か。わあ、どうしよう、マズイ! でもまだ気付かれてはいないよね。ここはこっそり立ち去らないと……。
「ごめん」
聞き覚えのあり過ぎる声に、踵を返そうとしていた私の足が止まった。
──伊織くん。伊織くんの声だ。
「どうしてですか。やっぱりあの人がいるからですか?」
「……お前の気持ちには応えられない。ごめんな」
どうしよう、こんな。
盗み聞きなんてやっちゃいけないのに。
息を潜めて耳をそばだててしまう。私、最低だ。
「あんな人……! 先輩のこと何も分かってあげてないじゃないですか。剣道だって勉強だって、先輩がどんなに頑張っているか知りもしないで、呑気に彼女ヅラしてて……! 私が彼女だったらもっと先輩のこと支えて」
「ちーは"彼女"じゃない」
そう答えたのは、確かに伊織くんの声で。
「──俺達は付き合っている訳じゃないから」
聞こえてきたその言葉に、鈍器で頭を殴られたような気がした。




