求婚にまつわるいくつかのこと
召喚されて三年、聖女に気に入られ無茶振りをされた結果、店と弟子を持つことになりました。より、幼馴染カップルの色々。
超、長いです。想定を超えすぎて長いです。体裁を整えてここじゃなくて別短編にする気力はありませんでした。
ローラはある貴族家の次女で出戻り女である。それも、子供ができなかったというかなりの傷物である。そのローラに出回ってくるべき縁談というのは、訳あり再婚くらいである。
「縁談、ですか?」
両親に呼ばれて話を聞きに行けば、機嫌の良い父と心配そうな顔の母がいた。喜べ縁談があると。相手も乗り気ですぐにでも再婚できると言われ、ローラは眉をひそめた。
離縁されてまだ半年程度だ。さすがに早すぎはしないだろうか。元夫の家との関係もあるのだから一年はそのままであるだろうとローラは思っていた。
よほど困った家があるのだろうとローラは相手の名を聞いた。
何かの間違いかと二度聞いたが、間違いはなかった。
気の優しい幼馴染の名だった。出戻りでも、子を産めない女でも喜んで引き取ってくれるだろうという父のさえずりにティーポットをぶっかけてやろうかとローラは思った。
何かの気配を察したのかローラの母がティーセットを下げるようにメイドに告げていた。たしかにアレは母のお気に入りだった。壊されるのを心配したのだろう。
代わりに水差しを用意したのだから。たっぷりの水は濁って飲むようには全く見えない。
「近頃は役に立つようになって、縁ができてもよかろう」
そういう言い方にローラは腹が立つ。彼女は母へのアイコンタクトを取って了承を得た。
「ふざけんな、ですわよっ! お断りします!」
ローラは水草も入っているような水を、ぶっかけてやった。
喚く父を置いてローラは部屋に戻った。
「お嬢様、どうしました?」
長年の付き合いのメイドがカバンを取り出しながらそういった。ローラは彼女の顔とカバンを見た。どう見ても旅行用のカバンである。
「あなた、知ってたの?」
「奥様付きのメイドが、お嬢様はご旅行に行かれるので準備するようにと」
つまり、ローラの母はローラがこの結婚を受け入れることはないと予測していた。
それでも父を止めることもできなかった。
その代わりに、この家をでることを提案してきた。ここにいれば、もう、逃げられない。
「……そうね。旅行行ってくるわ」
家出という名の旅行に。
どうしても、結婚を受け入れることはできなかったから。
ローラは幼馴染が嫌いなわけではなかった。しかし、間違っても、初婚の最近縁談が舞い込みまくる幼馴染と結婚はあり得ないとも考えていた。
あの人にはもっといい人がいる。私のような女ではなく、とローラは堅く信じていた。
周囲からすれば、どう見ても幼馴染のほうが入れ込んでいると気がついているのにそれが見えないほどに。
ローラの家出先はその幼馴染の務めている店だった。その店の店主から働いても良いという言質をもらっていたのだ。
菓子店としてはかなり重厚な店構えの店は休店のお知らせが貼ってあった。確かに暫く休むと幼馴染から聞いていたなとローラは思い出す。
「な、なんと!」
その後ろから愕然とした声が聞こえた。見れば異国の男性がこの世の終わりとでも言わんばかりの表情で崩れ落ちていた。
「拙者、このために長旅したのに」
ローラに聞かせるつもりでもないだろうが、嘆きようが半端ない。思わずその様子を伺ってしまうまでに。
その男にローラは関係者かと聞かれ、そうよと答えてしまった。これからそうなるんだからいいだろうと居直って、扉を押してみた。
なんか、開いた。
少々びびりながらもローラは店の中に入った。異国の男性が勝手にたのもー! と入っていったあとに付いていけばよかったのだからすこしだけ入りやすかった。
ただ、ローラは入ってすぐにおかしな雰囲気に気がつく。そして、周囲を見回し幼馴染の姿を見つけた。
目があったなと思って、ん? と首を傾げられた。
「ローラ!?」
びっくりするくらいの大声だった。
「え、なんで。
拙者の人と知り合い?」
「違いましてよ。入口でちょっとお話しただけ」
「そ、そう。
ええと、僕に会いにきた?」
「いいえ。
店主をご紹介いただきたくて。
家出して参りましたの」
にこりと笑ってローラは告げた。店内にいた他のものたちがざわりとする。
家出。
貴族のご令嬢が家出。家と絶縁覚悟である。
幼馴染のフローリスは唖然とした表情だったが、すぐに気を取り直してローラにきちんと目線を合わせるように少し屈んだ。
「家に帰りなさい」
聞いたこともないような厳しい声でいう幼馴染をローラは睨んだ。
「あなたが、一人で生きていくこともできると言ったでしょう!」
家に戻されて、どうにもならない気持ちを抱えていたときに、この幼馴染は訪れてきた。そして、言ったのだ。貴族のご令嬢らしく生きる必要もないと。
考えたこともない生き方に迷いながらも足を踏み出そうとしたのにと詰れば、い、いや、それはとしどろもどろになっていた。
「そ、それは、そうだけど。
ちょっといきなりすぎる」
「望まない縁談をまとめられそうで、今すぐに家出が必要でしたのよっ!」
「縁談?」
「ええ、私には了承できない相手ですの」
とてももったいなくて、申し訳なさすぎる。この優しすぎる幼馴染には、初婚の可愛いお嫁さんが必要だ。可愛げというものを習得しそこねたローラではなく。
「誰?」
「言えません」
「……誰?」
重ねて聞かれてもローラが言えるわけもない。相手はフローリスである。言えば、構わないとか言いそうな人の良さがだめなのである。
もったいない。
元騎士、貴族の子息、現在は王都一有名な菓子職人の弟子。望んで得られるステータスではない。さらに背は高いが威圧的なこともなく、性格は穏やか、一緒に暮らして行くには十分の利点。
平民から階級の下の方の貴族なら、ぜひとも娘をと押し込むような相手だ。
「だから、そんなに、嫌なら俺が」
言いかけてやめた。
フローリスはムスッとした顔で黙る。めったに見ない面白くねぇという顔である。ローラは小さい頃からの付き合いだが、見たのは数度くらいである。そのくらい温厚である。
「フローリス?」
「……相談してくれれば、なんとかなるかもしれないじゃないか」
不貞腐れたような態度にローラは少しばかり罪悪感を覚える。あなたのためなのよ、というのはエゴである。
「……はいはい。うちで揉め事やめてねぇ」
そう声をかけられて、ローラは声の主に視線を向けた。
背の高い黒髪の女性が、困り顔でいた。店主は若い女性と聞いていたが、ローラが想像していたよりもずっと華奢で若く見えた。
うちの師匠は威圧感があるすごい人と聞いていたが、全くそんな様子もない。
「家出したの?」
「はい。戻りたくありません」
「んー。そっかぁ。じゃ、しばらくいていいよ」
詳細を聞くまでもなく、あっさりと彼女は許可した。
「師匠!?」
驚く周囲に、彼女は都合がいいと軽く言った。
貴族相手のパーティーを開く必要があり、その経験がほとんどなく教えてくれる相手を探していたとローラに説明した。
貴族出身でも男じゃわかんないっていうから、途方に暮れてたのよねとしみじみと言っていたので嘘でもなさそうだった。
ローラは貴族の妻をしていたし、実家にいた頃は母の手伝いをしていたので最低限度は対処できる自信があった。
ローラが思うよりもずっとあっけなく、滞在先と仕事が決まった。
問題があるとすれば、苦虫を噛み潰したような顔のフローリスだけだ。
「ここで、追い返しても困るでしょ。心配でしょ? フローリス」
「…………くれぐれも、師匠に迷惑をかけないように」
師匠からのとりなしにフローリスはようやくそういった。
本当に渋々といったところだった。
ローラはその後に店主にちょっとこっちとこそこそと話を聞かれた。フローリスには言えないだろうが、一応縁談相手は聞いておきたいと。
「フローリスなんです」
嘘をついても仕方ないのでローラは正直に言った。
「……おぅ。
わかった。おっけー。あいつを締めておけば」
「そ、そうではなくっ! 私のような出戻りにはもったいないという。それに本人は知らないんじゃないでしょうか。あの反応だと」
まずは家どうしで話をするというのはよくあることだ。フローリスが知っていたらすぐにローラに会いに来るであろうと想定もできていたが、それもなかった。
「……そっち……」
がっくりと肩を落としたような様子に、ローラは慌てた。
「いいの。なんか、こう、波動がね……。
まあ、二人でちゃんと話しなよ……。それが滞在条件」
「可能な限り、しますわ」
ローラは一応は約束した。説得が必要であるのは確かなのだから。
その日から、生活は一変した。
まず、何もかもを自分ですることになった。ある程度はローラも覚悟し、知識を入れてはいたが実際の経験は乏しかった。幼児のようになにもできないという状態に申し訳なく、早く習得しようと気合を入れるローラに同僚となったシアは少し困っていたようだった。
シアはローラよりも数ヶ月前にこの店に入り、菓子職人としての修行中であるらしい。ただ、まだなにかを商品として出すまでは許されていない。本当はちゃんと教育したいけど、時間が足りないのよね、無念と店主であるシオリが本当に残念そうに言っていた。
一周年終わったら、特訓しよう、そうしようとシアに言っていたが、当のシアはちょっと腰が引けていた。特訓という言葉に弟子一同がざわめいて、そんな恐ろしいことやめましょうと店主に訴えるくらいのなにからしい。
ローラさんもいかが? と誘われたがすぐに首を横に振った。料理の一つも作ったこともないローラには恐ろしいことに思えたのだ。
シオリはそっかーと気落ちしているが、周囲がホッとしているのを見てほんとになんかまずいものだったらしいと気がつく。
「師匠は、師匠だからね……」
弟子たちはそういう意味の通じないなにかでわかりあえるらしい。
屈強な男たちを従えるにはちゃんと理由もあるようだ。
別に厳しいところはなさそうにローラには見えたがなにかはあるのだろう。たぶん。
ローラは今は来る開店一周年のパーティーの準備要員として働くことになった。裏方のほうが見つかりにくいだろうという配慮だ。
同じ裏方を仕切っているのはアンネマリーという御婦人だった。未亡人というが、それにしては夫の痕跡がなさすぎて本当だろうかとローラは疑っている。
アンネマリーは物腰柔らかく、穏やかであるがそれだけではなさそうだった。
シアは元々この家の使用人だったが、他のメイドに仕事を譲るために転職したらしい。元々数年でメイドを入れ替えるのだそうだ。中流家庭から貴族の家へと仕える先を上げるための教育を施して、紹介状を書いて送り出すそうだ。
ローラもそれまでの教育の蓄積によりある程度のことを教えてもらうことにもなっている。
ただ、今は忙しすぎてそれどころではなかった。
菓子店のパーティー。甘く見ていた。ローラは遠い目をしながら、来客リストの管理をしている。
招待客が幅広い。貴族家に限っても侯爵家から騎士爵まで。普通は同じ階級か、同じくらいの経済力などでの集まりが多い。さらに一般市民というより紳士階級と言われる中流の上層と教会のシスターも入り込んだ。
貴族の家は基本的には弟子の親族である。12人もいるが元々は軍属で騎士だった。
そんな弟子を抱えることになった師匠であるシオリは、菓子づくりは体力、筋力、根性、といったのが悪かったのかなぁと遠い目をしていた。そういう本人は、普通の女性のように見えた。
ただ、師匠、20キロくらいある小麦袋持てる、という証言がある。さらに2つくらい余裕だよという追加証言もあった。その上、そこいらの騎士くらいなら倒すくらいの技量もあるらしい。
控えめに言って、どこに、そんな能力が? という感じではあった。
それはともかく、弟子の親族というのが問題ではある。各家、4人までという制限がついていた。ほぼ、女性で埋まる。おそらく、父親であろうという男性名がひとり入っていればいいほうだ。普通は夫婦での出席で思い悩む必要さえないことだ。
追加がなんとかならないだろうかという陳情の手紙がやってくる。それだけでなく、招待状をよこせと言わんばかりの手紙もやってくる。
ローラは一つの手紙の中身を確認して、アンネマリーにそれを差し出した。
「……あの、これ、本当に断っていいんですか?」
「いいのよ。フェリクス君が嫌だっていうんだから」
「そうですか……」
侯爵家からのお手紙をお断りだ。
フェリクスというのは、弟子の一人でっすという口調が特徴の男性である。大体っすの人と覚えられるらしい。ローラもああ、あのっすの人とおぼえた。
その人の実家は侯爵家らしい。しかし、絶縁済みだった。それなのに、呼べという手紙を送りつけてくる。恥知らずというべきか、利用できるものは利用しようというしたたかさなのか。
「報復とかされないんですか?」
「報復返しされて終わりね。
シオリさんは、身内はちゃんと守るという意識があるわ。そうできる権力があるともちゃんと理解している。だから、安心していいわよ」
「そうですか……」
「ローラさんのおうちもね、ちゃんとしてくれるから大丈夫」
「うち、ですか?」
「そう。
弟子の幸せ大事なのですって」
そういうとアンネマリーはおかしそうにわらった。
ローラは困惑する。ローラは弟子ではない。それに、身内として扱われるほどの関わりはなかった。これまでも会ったのは数えるほどだ。
店主が忙しすぎる。
「そういえば、あなたの元夫の話を聞いたのだけど、再婚したそうよ。
ただ、やっぱり揉めているそうだから気をつけて。もしかしたら、元の状態に戻そうと復縁を要求することもあるかもしれないわ」
「嫡男が生まれれば良いのでは」
ローラが元夫と暮らしたのは結婚してすぐの一年ほどだ。それ以降は愛人の元にいた。元々、愛人と結婚したいが家の反対により、仕方なしにローラと結婚したらしい。だから、当たり前の結果ではある。
それを、ローラは知らずに結婚し、一年経って真実を知った。
知っていたら、結婚しない、修道女になると家出した。それがわかっていたから、ローラには言われなかったのだろう。
それから、5年後に離縁されて現状に至っている。
離縁した理由も愛人に子ができたからだ。
「生まれた子は、黒髪だったそうよ」
ローラの元夫は金髪で、愛人の方は銀髪。どちらの色でもないというのは、火種になる。
「祖父母に黒髪の方がいらっしゃったみたいだからそれからの……とは言い繕っているでしょうけどね。面白おかしく妄想するのが楽しい方もいるから、どうなるかしら」
「そうですか」
儚い容貌であった元夫の愛人は参ってしまいそうだ。ローラはちょっとだけザマァ見ろと思った。
「彼のしたことは広まっているから、新しく妻を得るのは難しい。でも、今の妻の子をもう一人という冒険は犯せないんじゃないかしら」
「それで、私、ですか」
「バカにした話だから、さっさと再婚しておきなさい。
そうすれば安全よ。今のままでは、親の都合で再度縁談を組まれかねない」
「再婚も許可がいるのでは?」
「大丈夫、ちゃんと、ねじ込むから」
とても力強い言葉だった。なにに、どう、と説明されないだけ怖い。
ローラはご厚意に感謝しますと告げるだけにした。相手がいないことには話にならない。
「……だめだわ」
ぽつりと呟かれた言葉にローラはものすっごい悪寒がした。風邪引いたかなと思うくらいのゾクゾク感だった。
そんな話をした数日後に、ローラは危機に直面していた。
アンネマリーの家から帰る時には、誰かが護衛代わりとして迎えに来ることになっていた。王都の治安がというより、貴族のご令嬢を独り歩きさせることに不安があるらしい店主の意向と聞いている。
そこまでとローラは思ったが好意は受けておいた。拒否して事件に巻き込まれたらとんでもない迷惑がかかる。
そして、その迎えにフローリスが来たことはなかった。
「今日は、どうしたの?」
「……聞きたいことがあって」
とても歯切れの悪い返答だった。
黙って先に立って歩くようなことも今まで一度としてなかった。ローラが先に立って歩くことはあっても。
ローラが小走りで隣に並ぶとちらりと見下ろしてくる。そして、歩調を変えた。
「フローリスって、今まで歩調合わせてくれたんだよね。
気が付かなくってごめんね。ありがとう」
ローラは結婚して家を出るまで気が付かなった。元夫は歩調を合わせるなどということを知らなかった。ローラが頑張ったところで必ず遅れる。それを冷ややかに見下されたことは幾度もあった。
「それくらい、教育される。されてないなら、甘やかされすぎだ」
「それでも嬉しかったから」
「それなのに、復縁するって?」
「復縁?」
何を言っているのか。困惑顔のローラを見てフローリスは表情を変えた。
「あの野郎。ふざけたこと言いやがって」
「何を聞いたかはわからないけど、今のところ、再婚する気はないわ」
「元夫と復縁するから、二度と関わるなと君のお父さんから言われた」
「……あのカカシ、何言ってんのかしら」
「君の意思はない。わかった」
「ちょ、ちょっとまって」
その場を去ろうとするフローリスをローラは捕まえた。
「ちゃんと送っていきなさいよ。迷子になったらどうするの?」
通い慣れた道で一人でも帰れるが、今のフローリスを止めるためには嘘も必要だ。
一度も見たこともない怒りがそこにあるなら止めるしかない。
「急ぐから」
そういうから走らされるのだろうかとローラは思った。全力疾走など結婚前にしたきりだ。走れるだろうかと足元をみた瞬間だった。
ふわっと浮いた。
「ちょ、なに!?」
「これのほうが早い」
ローラはフローリス抱き上げられていた。花嫁になったときによくされるようなものだったが、そこにあるのは運搬である。
周囲が注目し、恥ずかしくてローラは顔をうずめた。
「ほんとなんなの」
「……あんな男のところに、ローラを戻すなんて俺はしたくない。
話ごと潰してくる」
「ちょ、ちょっと」
いつものフローリスではない。これは、噂に聞くブチ切れた状態ということではないだろうか。
「そんな家同士の話、どうやって」
「師匠に頼む。
それでも言うなら、きちんと話し合ってくる」
「私の話よ?」
その言葉は黙殺された。ローラはますますわけが分からない。
ローラはフローリスにとってただの幼馴染でしかない。
そう知っていた。そうでなければ、いけなかった。
望んではいけないのだ。
どうしても、嫁ぐことなど許されないから。
彼は貴族とはいうが、三男で家業の手伝いをするか学者になりたいと言っていた。ローラは次女でどこかの有力な家に嫁がねばならなかった。どこかの家の嫡男が妻にと言われれば断れない。
断るという選択さえ考えていけなかった。
仮の家までローラはそのまま連れて行かれた。
「ほんと、大丈夫だからなにもしないで」
ローラはそういうしかなかった。フローリスの人生の邪魔をしてはならない。
彼はローラを見下ろして、ため息を付いた。
「後悔は一度で十分だ」
いつ、後悔したのだろう。
ローラは重ねて聞こうとしたが、そのまま背を向けた。問を拒むように。
フローリスを捕まえるのは今はできそうだが、それより先にしたほうがいいことがある。
そこまで話が行っているということは、こちらにも知らせが来ていそうだ。宿泊先の管理人室にローラは飛び込んだ。
管理人がぎょっとしたようにローラを見たが、そんなことを気にしている時間はない。
「手紙来てませんか?」
「え? ああ、一通」
「ありがとうございます」
ローラはいつもしない強引さで手紙を奪った。
差出人はないが、手書きの絵がついていた。うさぎである。ローラの姉からだ。小さい頃にそうやって遊んだものだ。
その場で手紙を読むと予想外のことが書いてあった。
「……すっごい影響力」
幼馴染の勤務先は菓子店である。
それも、王家御用達どころか、王族もお忍びでやってくるような、だ。元々、王の声がかりで開店したような店は社交界では特別である。
さらに人気で入手困難な菓子というのは、ステータスアイテムでもある。
お茶会で十分に用意できるというのは、尊敬さえ集めてしまうようなほどの。店主はえ、そんな?と首を傾げてしまうところがあるが、事実である。
その店の店主が、ローラのことというより、元夫のやったことを知って、ありえないわぁ、付き合いたくないなぁとまで言った。それを聞いた者が他の者へ話をして、本当かしらと調べて、あらぁと話題に出すようになった。
即反応したのが社交界を仕切る女性たちである。彼女たちにしてみても政略結婚ではあるが、それでもドン引きするようなものであったらしい。ねぇわ、と一切付き合いをやめた。慌てたのが元義母である。いびられたのでローラはちょっとすっとした。
そして、その話を聞いた女性の夫に話は広まり、ねぇわ、第二弾が発生した。
そこに生まれた嫡男が黒髪である。
愛人がそのままそこに居着くことはできず、離縁された。
やっぱりローラを愛していたのだという茶番を用意されている最中らしい。
「……ないわぁ」
そこで応じようという父もない。母に離縁を進めておこうとローラは決意した。幸いというべきか、シオリはきちんと給料を払ってくれる。アンネマリーの家の2階が空くそうなので時期を見て借りる予定もあった。母子の二人暮らしくらいなんとかする。
母も母で刺繍の腕がある。繕いものくらいやってくれるだろう。
ローラは部屋に戻って荷物を片付けた。カバン一つでやってきたが、カバン一つよりちょっと余った。その部分をなんとか別の袋に詰める。
管理人には身内に見つかったんで、しばし隠れますと告げた。元々、結婚が嫌で逃げ出したという話はしているので、管理人も快く送り出してくれた。
ローラはひとまずアンネマリーの家に戻ることにした。菓子店の方は人目が多すぎて行くには向かない。
辻馬車を使い、ローラはアンネマリーの家に戻ってきた。
「あら? あらあら?」
アンネマリーは困惑していたが、事情を説明すると表情を険しくした。
「よくないわねぇ」
「ええ、フローリスを止めてもらいたいんです。あと、貴族籍を抜く方法はご存知ですか?」
「ほんとに逃げ腰の男はいけないわねぇ」
ローラが思ったのと違う返答が返ってきた。
「君のためとよく言う男もだめだけど、何も言わず見守ろうなんてただの自己満足よ。
シア、他のメイドも呼んできて。
それからシオリさんに伝令。そのヘタレをぶっ潰してやるから覚悟しておけと」
「え、つぶす?」
「ローラさんは、心置きなく、武装して、殴り倒してきなさい」
柔らかな物腰の淑女は物騒極まりなかった。
物騒極まりない淑女監修のローラは麗しい淑女のようだった。
「ほら、似合うじゃないですか」
シアは笑みを含んだ言葉をかけつつ仕上げのネックレスをローラにつける。アンネマリーが若い頃つけていたというそれは美しかった。
「そうかな」
「そうです。
では、こちらもお持ちください」
「……はい?」
シアが渡したのは、婚約の書類である。保証人のところはきっちり記載されていた。
「これ、ほんもの?」
「ほんもの。国王陛下に書かせたらしいですよ」
貴族なら誰もが記憶している国王陛下の正式名称が記載されている。
これを覆すようなことはできないだろう。店主のシオリは国王陛下とも懇意だったのか、とローラはうなだれそうになった。
これで、なにをしてこいというのだろう。
ローラはわかったけど、わかりたくなかった。つまりは、ローラの好意はダダ漏れだったということだ。そして、フローリスの師匠は弟子に無理強いはしない。
「フローリスにはもっといいひとがいると思うの」
「ないですね!」
シアの力強い否定だった。他の意見は聞かないといわんばかりだ。
「可憐で可愛い子がいるわよ」
「大丈夫、今、可憐でかわいい。問題ありません。
ほら、馬車が来ました。お出かけしてきてください」
ローラの抵抗も虚しく、笑顔で押し切られた。豪華な二頭立ての馬車は店の前に乗り付け、即座に降ろされた。
曰く、超じゃま、であるらしい。容赦なく追い出された。
「おお、来たっすね」
店の前に立つローラを見つけたのはっすの人ことフェリクスだ。丁重にエスコートする手つきは慣れている。
「まあ、振ってもいいっすよ。あとはなんとかするんで。
無理してほしいわけではないけど、素直になってほしいっすね」
「わかったわ」
よくできましたと言わんばかりの笑みにローラは少し面白くない。
店内は片付いていた。いつもはあるテーブルや椅子も端に寄せられ、準備のものも積み上げられている。
「じゃ、よろしくっす」
そう言って、フェリクスはその場を去る。誰もいない店内に慌てたようにフローリスが駆け込んできた。
「ローラ!?」
いつかの再来のような大声だった。
「なぁに?」
「そ、その、きれいだけど、なんで?」
そう、こういう男だった。
シアが、きれいで可愛くって、すぐに結婚しようとか言ってくれますよ! といっていたが、やっぱり無理筋だった。
基本的に、なんか、にぶい。
「婚約の申し込み。正装じゃないと失礼でしょう」
そう言って、婚約届の紙を見せる。
「…………これ、ほんもの?」
フローリスはローラと同じ反応した。ローラは小さく笑った。
「本物らしいわよ。すごいわね、シオリさん」
「え、師匠、最近忙しいって、城にも行ってないと思うよ。恋人にもあえない死ぬとか」
じゃあ、誰が? とローラは思ったが。もしやアンネマリーの仕業だろうか。国王陛下に、書類仕事をさせる淑女。
ローラはそれ以上考えることを辞めた。どう考えても怖い結論が出そうだ。
「答えはもらえる?」
「君が望むなら」
「……なにそれ」
「結婚で相当嫌な思いしたんだろうから、もうしなくても、いいんじゃないかと思っていたんだよ。せっかく、一人で楽しめるかもしれないのに、俺、邪魔じゃない?」
本気でそう思っている風だった。
それでローラにも合点がいった。再婚には反応した理由が。そして、一度も俺と結婚してほしい、といわなかったことも。
つまりは、彼なりの最大限の気遣いだ。
「邪魔じゃない」
「それなら、いいよ。
君が嫌になるまでの間よろしく」
全く煮えきらない態度だ。
ローラは潰しておけと言われた理由がなんとなくわかってきた。
「あなた、私のことどう思ってるの?」
「大事な幼馴染」
即答過ぎた。予定通りの言葉を返したのだろうと思えるほどに。
ローラは苛ついてきた。
「大事なって、どのくらい?」
「比較するものじゃないと思うよ」
「言って」
「……学者を捨てるくらい」
ローラは言われたことの意味を測りかねた。
そう、確かにフローリスは学者になりたいと言っていた。きっとそうなれるとローラも励ましたのだ。それが、ある日、急に軍に入ると告げたのだ。
向いてないからやめなよというローラに、欲しいもののためにちゃんと向き合うことにしたと。
「知らなかったと思うけど、うちからローラの家に婚約の申し込みしたことあるんだよ。
その返答は騎士ならば、だ。もう、他に選べる道はなかった」
「しらない」
「うん。知っていたら、断固拒否すると思ったからね。
最初から俺に婚約させる気はなかった。無理な条件を出して、望みを捨てればいいと思ってたんだよ。ばかにしてるよね」
フローリスは静かにそういう。
責めるような言葉ではないが、それだけに傷の深さを語るようだった。
「それなりに適正があって望みが果たせると思ったら、もう結婚してるって、ひどいなとは思ったよ。
恨まなかったとは言わない。
でも、ローラは悪くない。俺も伝えておけばよかった」
「ごめんなさい」
「ローラは、悪くない。
婚家で苦労したんだろ。あとで聞いて、もっと早く、会いに行けば良かったと思ったよ。知りたくなくて、なにも聞かなかったことを後悔した。
だからね、離婚したって聞いてよかった思ってしまったんだ」
それこそが、罪のように彼は告げる。
ローラだって逆の立場だったら喜んでしまうだろう。ようやく、もう一度と。
「ローラはとても傷ついていたのにね。
会って、思ったよ。結婚して俺が守ってとかさ。でも、師匠とか見てやっぱり違うなって。
ちゃんと嫌なときに嫌だと言っても良いように、きちんと自立するのは大事だ。
俺と結婚したとして同じ事にならない保証はないんだ。
だから、まあ、結婚は申し込むのもなって」
「……そう」
「それはそれとして元夫とよりを戻すとかありえないので、きちんと師匠に話をして、同僚にも協力を求めたから、そっちは大丈夫」
「むしろ心配だわ」
すでに瀕死なのにとどめを刺しにいっている。
「だから、婚約はしなくても」
「そうね」
ローラは一度は同意した。ほっとしたようなフローリスににこりと笑う。
「結婚しましょう。書類はアンネマリー様に用意してもらって、すぐに」
「話に聞いてた?」
「聞いたので、素直に、結婚することにしたわ」
「なんで」
「好きだからよ。
ずっと、すきだったの」
ただの一度も言うことさえ許されなかった。
「私があなたを好きだから結婚するの。なにか文句ある?」
「なにも」
笑ってフローリスはローラの前に跪く。
「幼い頃から、あなたは俺の憧れでした。
もう遅いかもしれませんが、ともに歩む栄誉を与えていただけますか」
ローラに否はなかった。
周囲はおそらく、やっとかよ、と胸を撫で下ろしたところでしょう。
なお、ローラの実家は、父親のほうが家をだされることに。なんと! 入り婿だった。
元夫の家は、腫れ物扱いで、肩身が狭いままに。




