彼氏の回想 3
「ちが、ちがう、私じゃない、……みんな、みんながっ、皆が勝手にやって、私、悪くないっ」
後ろからどうしようもない人物の声が聞こえて来て、そっと床、というかマットに寝かせ直す。
外に出ると、もうすでに顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
でも今の発言で、ただ寝てただけだったなんて安心させるような事、絶対言うもんかと思った。
本当に救いようがない。
「バカなの?」
「しろき、くん」
「アンタがやったんだろ」
「ちが、」
「全部アンタだ。アンタが仲間集めて、逃げられない様にした。閉じ込めた時だってそのままにしてた。ダメだと思うなら、今みたいに鍵を開ける事だって出来たのにな」
「だって、だってそんなことしたら、皆にいじめられる、仲間外れにされちゃうから……っ」
「違うだろ」
「そんな事どうだって良かったんだ。だってあんた、教室入る時笑ってたろ」
「!?そ、それは、周りに合わせないと、嫌われちゃう、嫌な顔、される…っ、だから、仕方なく…っ」
「嘘吐け。ザマミロって思ってたくせに」
その時のコイツの表情、一瞬だけだけど、物凄い憎いって表情だった。
何に対してか知らねーし、知りたくもねーけど。
「あの子が、あの子が悪いの!!私、私っ…!!」
「いつまでも他人のせいにしてんじゃねーよ!!」
進まない話にイライラして、思わず怒鳴ったその時だった。
かたん、と背後から音がして、彼女が小屋から出て来たのは。
夕日に照らされた彼女は、キラキラして眩しく見えた。
……直後に何故か睨まれたけどな。
何で助けたのに睨まれなきゃいけないんだよ。
ムカついて喧嘩腰になる。
おまけに「貸し借り作るの嫌いだった」なんて言った覚えの無いポリシーまで持ち出されて、否応なく空条先輩との約束まで思い出させられた。
後ろで泣いてる誰かさんは、この期に及んで「白樹君が好き」とかぬかすし。
とっととどっか行けよ、もう用無いんだから。
目の前の人はのほほんと「おつかれー」とか言うから、さっきまでの怒りや焦りが噴き出て来て止まらなくなった。
勝手に以前の話をし始めた時に自分でもヤバいとどこかで思ったんだけど、それでも、もうこんなごたごたは2度とゴメンだったのも事実で。
央川は悪くないって分かってた。
でも央川の事を見ていたり、一緒にいると動揺する事が多くなってた俺は、その勢いのまま最悪の言葉を吐き出してしまったんだ。
「もう俺に関わるな」
その時の彼女を、どう表現したら良いだろう。
それまで凄く真面目な表情で、それこそ睨む位の瞳でこっちを見ていた彼女は、その言葉を聞いた途端急に力を抜いた様に、酷く軽く、表情もまるで無く、「うん、わかった」と、こくんと頷いたんだ。
その様子に「え?」と思わず呟く。
恐らく茫然としていたであろう俺にかまわず、彼女はそのまま踵を返し、まるで何も無いみたいに去って行こうとして―――
あ、スキップした。
鳴った携帯の着メロに足を止め、その後猛然と何処かに…話から察するに空条先輩に電話し、慌てて駆けて行こうとする央川を止める事が出来たのは、その時の俺の状況からして奇跡に近い…と言ったら大げさか。
ともかくこうして、『篠原友美誘拐事件』は幕を開けた。
央川は篠原の親父さんと連絡を取りつつ、あっという間に現場を特定し、止まらない彼女の暴走とも言える突入で、事件の犯人は空条の関係者だと分かった。
1人は“空条四家”の内、北条の一人息子。
そしてもう1人は、最近先輩方につき纏っていた例の気持ち悪い女だった。
発言内容ももうサイアク。
思わず、「あーあ、これだから女って面倒で身勝手で最悪なんだ」と言いかけて、その途中、隣に央川がいた事を思い出して口が止まった。
……そう、だな、少なくとも央川は違う。
変な価値観持ってたりもするけど、自分より他人を優先するし、周りもちゃんと見えてる。普段の、冷静な彼女なら。
その彼女が心底大事にしてる篠原も、きっと良いヤツの範疇に入るんだろう。
彼女が付き合いきれないと判断したら、きっとあっさり切られていただろうし。
そこまで考えて、余計な事まで思い出した。
なあなあになってるけど、「かかわるな」って言って「分かった」って言われた訳だし、俺の扱い、今どうなってる…?
考え込んできたら飛んできた怒鳴り声に小声で反論して、状況を見守る。
突入直後にとっ捕まったおかげで、今の俺には、……俺達には取れる手段があまりない。
そうこうしてるうちに、空条先輩らが助けに来てくれて……色々あった結果、央川が殴られた。犯人のもっていたナイフの柄で。
とっさに篠原と庇い合う姿から殴られてぐらりと傾ぐその姿まで、俺は捕えられたままただ見ているしか出来なかった。
そこからはもう、テレビの刑事ドラマでも見てるかの様に現実味の無い光景が繰り広げられて行き―――――
気付けば俺達は、親父の病院に収容されていた。
念の為の検査を終え、央川の意識が戻るのを待つ。
この時間が一番きつかった。
ほんの数時間前だ。「央川にもし何かあったら」なんて言ったのは。
その時は本気で言った訳じゃ無かった。
持病なんか無いのは知ってたし、万が一なんて無いと思ってた。
ただ不安に思ってないか、泣きそうになってたりしないか、それだけが心配だった。
他人のしたこととはいえ俺が原因みたいな部分もあったし、悪いと思ってる部分もあった。
だから、余計かもしれない。
軽い気持ちで言った言葉が現実になって、俺があんなこと言ったから、なんて後悔に似た気持ちを抱いていたのは。
結局、篠原には擦りキズと強く揺さ振られたり、多少乱暴に扱われたりした跡があった程度でほとんど軽傷で済んだ。
央川は……あの後3時間ほどで目を覚まし、すぐに検査に入った。頭殴られたからな。
それでも篠原とおしゃべりしてる様子は普段と変わらなく見え、俺を酷く安心させた。
……問題は、この後だ。
見たとこ異常無さそうな央川に安堵したのか、口調がきつくなりかけた俺を遮って彼女が言ったのは、「何だったらもう帰っていいよ?」という、何とも無慈悲な宣告。
確かにそう言われる原因を作ったのは俺だけど、何も今言わなくても良いだろ!?
理不尽さすら感じ、いたたまれなくなって部屋を出る。
先輩達を置いて勝手に帰る訳にも行かず、ラウンジにでも行くかと足を向ければ、その先には関係者の父親達が立ち話してやがった。
「こういった事になってしまい、真に申し訳ない」
頭を下げたのは、空条先輩の父親だった。
パーティーや何かの大きな会合に出る時の小父様は、上から見下ろす様な威厳のある姿だけど、個人で話す時には結構フレンドリーで柔らかな印象で話す事が多い。
「いえ、こちらこそ家の娘が」
「それを言ったら私の方こそ」
いえいえ、とか、いやいや、とかいった応酬の後、ぎらつく様な目で空条の小父さまが言ったのは、央川の事。
「あの娘さん、以前から何かおっしゃっていたりしませんでしたか?」
人当たり良さそうに見えて、その実恐ろしい人だとこういう時に思う。
絶対逃がす気ねーな。
けど、央川の親父さんも中々に食えない人みたいだ。
「……確かに娘は以前から変わった子でした。それは認めます。」
「……ほう?」
「実際、幼い頃より幾度か、彼女の突拍子もない発想に社が救われた事もありました」
「ほう」
「ですが私はそれを何かの才能だと思った事はありません。子供特有の先入観の無い思考から導き出された結果だと思っています」
「……では今回、誰に言われるでも無く彼等の居場所を突き止めた事も……?」
「…………」
「……私がここで口を挟むのは無作法だと重々承知しておりますが、これだけは言わせて頂きたい。あの子は、央川櫻という子は、理由無く重要な件を言わずにいる子でも、ましてやそれを利用して人を陥れようとする子でもありません」
「………ええ、そうでしょうねえ。それは我々も承知しておりますよ」
人柄について承知してはいるが、それとこれとは問題が違う、そう言いたいのだろう。
「…………あの子がもし今後も何かを伝えるとすれば、それは空条の為では無く、あくまで『身内』の為だけに使うのだと思います」
硬い声で央川の親父さんが言った。
「返ってこちらで何かしようとすれば、あの子は金輪際一切黙り込んでしまうでしょうね」
篠原の親父さんも追従する。
「……それは、脅しですかな?」
「いえ、ただ……」
「ただ?」
「我々は何も手出しする必要は無いでしょう、と言いたいだけです。……もし、あの子が必要と判じれば、必ずや御子息や椿の方にご報告するでしょうからね」
「それは……」
「甚だ不本意ではありますが…、家の娘とそちらの御子息はなさぬ仲だと聞き及んでおります。彼女は娘の第一の親友。娘や彼らと繋がりがある限り、彼女が空条に対し不利益を被るような事をする筈がありません」
「やれやれ、今度は篠原さんもですか。ですがそれでは…」
「利益をもたらす事も当然、あると思いますよ。このまま彼等の良き関係が続くのであれば」
「……………なるほど」
「彼等の強固な結びつき、壊すか見守るか、どちらに利があるかは考えるまでもないでしょう?」
「………………ええ、そうですね」
驚いた。
たかだか一介の、それなりに大きいとはいえ空条から見れば只の社長が、ただの料理人が、……あの食えない人を頷かせるなんて……!
「分かっていただけた様で良かった」
「これも娘達を思う親心ですよ」
「ははっ、これは一本取られましたな」
何が1本なのかよく分らないけど、先輩の親父さんはそのまま2人と少し話した後、何処かに移動して行った。
「……ふー、胃が痛くなる様な思いをしたのは久しぶりだよ」
「会長さんが引退を宣言した時くらいかな?」
「あんなもんじゃ済まないって、君も分かっているだろう?天下の空条だよ?」
「ハハッ、凄いオーラだったねえ」
先輩の親父さんが立ち去ったと思ったら、急に空気が変わった。
……なにこのゆるーい空気。
「いやあ、今回は本当にやらかしてくれたねえ」
「いつかは、こんな日が来るんじゃないかと思っていたよ」
胃を抑えながら央川の親父さんが言う。
「あの子は小さい頃から無茶ばっかりして、それでこっちが叱るときょとんとするんだ。『出来ると思ったからやった』って……!!そう、昔っから、昔っから……!!」
「まあまあ拓さん。櫻ちゃんがちょっと変わった所があったのは、昔っから分かってた事なんだしさ」
「ちょっとじゃないよ……。あんなのちょっととは言わないよ……」
おい央川、お前何やらかしたんだよ。親父さんすげー落ち込んでるぞ。
「……でも、それでもそのおかげでうちの娘は助かったんだ。だから、礼を、言わせてくれないか」
「……ああ、そうだったね。こちらこそ感謝するよ。友美ちゃんがいてくれたからこそ、あの子はこの世の中から逸脱せずに済んでるんだと思う」
「そんな大袈裟だよ」
「ホントの事さ。ただまあ、これほど大きな事件にはもう巻き込まれて欲しくないけどね」
「全くだよ、ああっ、友美っ!!」
「ハハハ、君はいつもそればっかりだなあ」
……何だろう、この壁を殴りつけたくなる感覚。このおっさんたち、いつもこんな感じなの?
でも、それでも……酷く羨ましいとも思った。
多分うちの親父なら、こんな風に子供を庇ったりしない……。
「去夜」
今一番聞きたくない声が聞こえて、仕方なく踵を返す。
いつまでも盗み聞きみたいな真似してる訳にもいかないしな。
「アナタ、南棟の会議室抑えられたからミーティング始めるわよ!」
「貴子さん、……貴子さんはいつも元気が良いなあ」
「何言ってるの、せっかく娘が作ってくれた空条との縁よ!?この機会に強固にせずに一体どうしろって言うの!それこそ一生宝の持ち腐れじゃない!」
「貴子さんらしいなあ」
「奨さんもね!これを機に業務拡大!くらいの野心はもたないと情勢において行かれるわよ!さ、下手な事して娘達に笑われたくなかったら、2人ともキリキリ歩く!!」
「いやあ、僕はこれ以上大きくするつもりは……」
「ああ、胃が痛いなあ……。あの子は一体僕に何をさせようとしているのか……」
「………拓さん、今日はとことん付き合うよ」
「……一番良い酒を頼む」
背後で交わされる、そんな会話を聞きながら。
呼ばれた親父から聞かされたのは、央川の検査結果。
頭の怪我自体は、犯人が直前になって手加減したらしく、大事には至っていない様だと聞かされた。
ひよったのか、正気に返ったのか、それは分からない。
ただそれでも脳を揺らされた事でのダメージを考慮し、しばらくは学校でも様子を見る様に言いつけられた。
脳派は正常、CTも異常なし。
……だから、医学的観点からも、彼女がどうして“一連の不可解な話をしたのか”説明がつかないのだそうだ。
「去夜、彼女からは目を離すな」
親父にはそう言われたけど、
俺が見張りたくっても、向こうが関わり合い拒否するんじゃどうしようもないだろ!?




