第10話:わたしの中で、生きていて。
過剰な依存と、「好き」の境界線が曖昧になる夜。
ミオの中でしか“生きられない”ユウの現実を、どうか最後まで見届けてください。
夜が落ちるたび、ミオは決まってその言葉を囁いてくる。
「ユウ……好き」
「もう、ユウだけ」
「愛してるの……ユウ」
震えた甘い吐息が、僕の鼓膜に静かに触れる。その声は囁きというには熱すぎて、叫びというにはか細すぎて、けれど確かに、僕の中の柔らかい場所に爪を立てる。
ミオの身体は、いつだって僕の上で震えている。
まるで何かを押し出すように、あるいは掻き消そうとするように、肌と肌のあいだに意味を埋めようとしてくる。
指が絡まり、舌が触れ、息が混じるたびに、僕の輪郭が曖昧になっていくのがわかる。
ミオは、僕の熱をその奥深くまで吸い込むようにして、目を細める。
その表情は、どこかうっとりとしていて――けれど、そこには「快楽」でも「喜び」でもない、もっと別の何か、静かな空虚が漂っていた。
満たされた顔をしているのに、目の奥は笑っていなかった。
口元がゆるむたび、逆に僕の胸がきゅっと締めつけられる。
ユウ、ユウ、ユウ――
名前を呼ばれるたびに、僕は“僕”を少しずつ手放していく。
ミオに溶かされる。
ミオに埋められていく。
それは、抱かれるというよりも、沈められていく感覚だった。
やめたいと、思わなかったわけじゃない。
拒みたいと、思った夜もあった。
けれど、その夜にミオが泣いていた姿が、どうしても焼きついて離れない。
「ごめんね……わたし、変なんだって。分かってるの。でも、でも……怖いの……。ひとりにされるの、もう無理なの……」
その声を聞いたとき、僕の中で何かが終わった気がした。
“優しさ”って、たぶん――自分を明け渡す覚悟のことなんだ。
そして僕は、静かにそれを選んだ。
それからというもの、夜が来るたび、僕の身体は“証明”の道具になった。
彼女が“ここにいる”と確かめるための、媒体。
僕の体温、声、鼓動、すべてを使って、ミオは“存在”を貼りつけてくる。
まるで自分のなかに、“生きた証”を刻むかのように。
そして僕は、何度でもその“証”を差し出した。
ミオが、僕の奥を覗き込んでくるたびに。
♢
あの夜を境に、ミオは“変わった”。
いや、正確に言えば――変わったふりをした。
朝の病室で目覚めた彼女は、何事もなかったように身を起こし、
洗面所で髪を整え、食堂では看護師に笑顔で挨拶をした。
「おはようございます」
「今日は天気いいですね」
「……ええ、大丈夫です」
口調も、語尾の抑揚も、完璧に整っていた。
まるで何度も練習してきたかのような、無駄のない受け答えだった。
短く、けれど礼儀正しく。
ごく自然に交わされる会話。
作られた笑顔。
頬の角度、目の動き、声の張り――それら全てが、完璧に“社会的な人間”の仮面だった。
看護師たちは、少しだけ安心したような顔をしていた。
ミオが“快方に向かっている”と、そう信じて疑っていない顔だった。
僕は、知っていた。
夜の彼女を知っている僕だけが、その笑顔の下にある「沈殿物」に気づいていた。
ミオは、明るくなった。
でもそれは、“内側から灯った光”じゃなかった。
火をつけられた蝋燭のように、誰かに見せるためだけに燃やされている明るさだった。
表情だけが、笑っていた。
けれどその奥にある“沈黙”は、決して笑ってなどいなかった。
瞬きのたび、感情が貼り付けられているように見えた。
声は柔らかく、所作は穏やかで――けれどその皮膚の内側で、何かがじっとりと澱んでいるのがわかった。
僕は、日中の彼女を見つめながら、
夜に囁かれた言葉のひとつひとつを思い出していた。
「ユウ……好き。好き、なんだよ……」
「ほかの誰か見ないで。触れないで」
「私だけで……いっぱいになって」
その声が、耳の奥で何度もよみがえる。
昨夜、僕の上で震えていたミオの顔と、今、職員に会釈する彼女の顔。
それが同じものであることが、どこか“間違い”のように思えた。
――僕は知っている。
この仮面は、壊れかけた彼女が生き延びるために、無理やり顔に貼りつけている薄い皮膚だ。
昼間の彼女は、“誰かに見せるためのミオ”。
そして夜の彼女は、“僕にしか見せないミオ”。
その乖離が、日に日に激しくなっていった。
演技が巧くなるほど、夜の執着は濃く、深く、重くなる。
瞳の奥に沈む“何か”――
あれは、決して消えたわけじゃない。
夜の闇にだけ浮かび上がる、執着の色だった。
きっと、看護師も、主治医も、気づいているのだろう。
ミオが、快方に向かっているわけではないことを。
夜に、僕に何が起きているのか――そのすべてを。
誰も、それを指摘しようとしなかった――見えていないふりをした。
なぜなら、表面上はすべてが“うまくいっているように見える”から。
ミオは笑っている。食べている。会話している。
“回復の兆し”を演じきっている。
そして僕もまた、何も言わない。
目を伏せて、口を閉ざし、何事もないふりをしている。
苦しみも、疲労も、恐怖も――すべてを無言の中に押し込めたまま。
僕たちは、“回復しているふり”をすることで、
この病棟での居場所を守っているに過ぎないのだと、どこかで理解していた。
毎晩、僕の中に沈み込んでくる彼女の温度を思い出すたび、
その真綿のような笑顔が、ますます息苦しく感じられていく。
♢
「今日、先生に褒められたよ」
それは、何気ない囁きだった。
夕食後、病室の灯りが落ちて、二人きりの静寂が戻った頃――
布団の中、僕の腕に頬を押しつけながら、ミオがそう言った。
まるで、恋人にだけ秘密を打ち明ける少女のような声色だった。
「えらいねって。顔色もいいし、食事もできてるって……。ふふ、私の“彼氏くん”のおかげだね」
“私の彼氏くん”
その言葉が、やけに耳に残った。
独占の響きと、関係性の拘束を含んだ、甘く濃い音。
その日を境に、ミオの中で僕は“彼氏”になった。
正式にそう言われたわけではない。
ただ、彼女の中の世界では、そう“決定された”のだろう。
それ以降、看護師の前で「彼氏くんが〜」と笑いながら僕の名前を出すようになった。
僕は、何も言えなかった。
言葉にできなかった。
違う、と否定する気力もなかった。
ただ、その笑顔の奥に――どこまでも僕しか見ていない視線が潜んでいるのを、感じていた。
その瞳は、愛でも憧れでもなかった。
信仰に近い“執着”の色をしていた。
♢
気づけば、僕の生活は――完全にミオ基準になっていた。
朝、ミオが目を覚ます時間に僕も起きる。
彼女が歯を磨く間、僕も隣で歯を磨く。
食事も、排泄も、洗顔も――
そのすべてが“彼女の機嫌”と“安心”のための儀式になっていた。
たとえば、ミオより先に食堂に行くことはない。
彼女が僕に「行こう」と言うまでは、椅子から立ち上がれない。
ミオがスプーンを置いたら、僕も箸を置く。
ミオがうつむいたら、僕も喋るのをやめる。
それが“日常”になっていた。
まるで僕は、彼女という生命体の“外付け装置”になったみたいだった。
自分で呼吸しているのかさえ、ときどきわからなくなる。
“僕”という主体が、少しずつ希薄になっていく感覚があった。
♢
一人になる時間が、怖いのは――もうミオだけじゃなかった。
ほんの数分でも、病室から離れると、胸がざわつくようになった。
どこかで「早く戻らなきゃ」と思ってしまう。
その焦りは、彼女を守るためじゃなく――
自分が責められたくないから。
責められることもないのに、罪悪感が胸を満たしていく。
自分の自由が、彼女の不安の代償になるような気がして、
「少し休もう」と思うことさえ、罪深く感じるようになっていた。
ミオが笑うたび、僕の中の何かが擦り減っていく。
彼女の安心と安定が、僕という“対価”で保たれていることを、どこかで知っているから。
そしてそれを、誰も止めようとしない。
看護師たちは、今日も言う。
「ミオさん、最近すごく落ち着いてますね」
「綴木くんがいてくれるおかげかな?」
笑顔で、軽く。
その言葉は無邪気だった。
けれど僕の中では、錘のように重く沈んでいった。
僕の心は、もう“個”ではなかった。
ミオに寄り添う“機能”。
彼女の情緒を支える“足場”。
そして夜には、その不安を受け止める“器”。
ミオの“回復”という名の幻想が続くかぎり、
僕は、そこに在り続ける義務を負わされているのかもしれない。
そんな日々が、繰り返されていった。
同じ時間、同じ動き、同じ微笑み――
それは、穏やかというにはあまりにひび割れていた平穏だった。
そして僕は、その“割れ目”に少しずつ足を取られていく。
自分がどこまで“本物”で、どこから“演技”なのか、わからなくなっていく。
♢
その夜は、ほんの少しだけ、体が重かった。
頭が鈍くて、目の奥が焼けるように痛んだ。
眠気があったわけじゃない。
どこかで「これ以上はもう、無理だ」と、体が告げているようだった。
ミオは、僕の隣で静かに横たわっていた。
そして、いつものように――肌を寄せてきた。
「……ユウ」
その呼び声は、もう“合図”のようなものだった。
僕も、いつものように応じる……はずだった。
けれど、その夜は違った。
わずかに、ほんのわずかにだけ――僕の指先が動かなかった。
身体を寄せられても、応えられなかった。
目を閉じて、呼吸を整えようとした。
ただ、それだけの間だった。
でも、ミオはすぐに察した。
「……ユウ、どうしたの?」
耳元に落ちてきた声は、かすかに震えていた。
僕はすぐに「なんでもないよ」と言いかけた。
けれど、それよりも先に、彼女の手が僕の胸元を掴んだ。
「……嫌いになったの?」
その言葉に、喉が詰まった。
「そんなわけない」と言えなかった。
「違うよ」とも、なぜか言えなかった。
ミオは、くしゃりと顔を歪めた。
まるで、自分で自分の首を絞めるような顔で。
「ごめんね、ごめんね……」
声が震え、息が途切れる。
涙混じりの唇が、僕の頬に、口元に、額に、何度も触れてくる。
それはキスではなく、赦しを請う儀式のようだった。
「ごめんね、私が、変だから……うまくできてないから……嫌になっちゃったんだよね……?」
違う、違うよ、と言おうとしても、喉が動かない。
そのたびに、彼女の口づけは深く、濃く、荒くなっていく。
涙の味がした。
なのにその中に、甘さと熱が混じっていた。
切実な吐息の中で、ミオは僕の身体に縋るようにしがみついた。
「大丈夫にするから……ちゃんとするから……ちゃんと“好きになってもらえる”ようにするから……だから、だから、嫌いにならないで……」
その言葉のすべてが、どうしようもなく哀しかった。
そして僕は――また、応じてしまった。
彼女の細い肩を抱き、
掠れた吐息に身を委ね、
「大丈夫だよ」と嘘をついた。
ミオの身体は震えていた。
けれど、その奥の奥は、熱と渇きに濡れていた。
彼女の中に沈むたび、僕は確かに“求められている”実感を得た。
それだけが、存在の証明のように感じられた。
そして、行為が終わったあと――
ミオは、穏やかに微笑んだ。
まるで、すべてが元通りになったかのように。
まるで、何も問題などなかったかのように。
「ね、ちゃんと私のこと、好き?」
その問いかけは、あまりにまっすぐすぎた。
澄んだ瞳。揺るがない声音。
どこにも歪みも疑念もなかった。
ただ、愛されていることを、確認したいだけの少女の顔。
――でも、僕は心の底から、「わからない」と思っていた。
好きなのか? それともただ、必要とされているだけなのか?
愛しているのか? それとも、自分を失っているだけなのか?
けれど、そんな言葉は喉から出てこなかった。
僕は、笑って頷いた。
その瞬間、自分の内側で、何かが小さく砕ける音がした。
♢
それは、些細な変化からだった。
廊下を歩く看護師の目線が、どこか長くなった。
食堂で声をかけられる頻度が、わずかに増えた。
定期診察のたび、主治医がほんの少しだけ、長く黙るようになった。
――でも、ミオに対する評価はむしろ好転していった。
「だいぶ安定してきたね」
「この調子なら、リハビリの段階に入れそうだよ」
「綴木くんが一緒にいてくれるのも、大きいみたいだね」
そう、言われるようになっていた。
確かに、彼女は笑っていた。
朝にはきちんと起き、食堂に来て、洗顔も欠かさない。
看護師の話にも頷き、会話もできる。
ごく普通の、“快方に向かう患者”だった。
けれど――僕は知っていた。
夜になるたび、ミオの手が僕を求めるその強さ。
何度も「好きだよ」と囁いて、身体の奥にまで僕を引きずり込もうとする温度。
そのすべてが、“癒えたから”ではない。
癒えないものを、他者に押し込めることで誤魔化しているだけなのだと。
ミオは、壊れたまま、明るくなった。
そして僕は、その光の仮面の裏側で、
じわじわと、影に沈んでいた。
♢
ある日の午後。
配膳の手伝いで食堂にいたとき、ふと、名前を呼ばれた。
「綴木くん」
声の主は、よく見かける看護師だった。
やわらかな目元の女性。ミオのこともよく気にかけている人だった。
「最近……少し、疲れてない?」
不意に、そんなふうに聞かれた。
僕は笑った。
反射的に、何も考えずに、ただ笑顔を貼りつけた。
「大丈夫です、問題ないので」
けれど、自分の声がどこか遠かった。
口が動いている感覚と、心の動きが、かみ合っていなかった。
「そう……でも、無理しないでね。もし何かあったら、ちゃんと話してね。私たちは、君の味方だから」
そう言って、看護師はほんの少しだけ、僕の肩に手を置いた。
優しい手だった。
だけど、その優しさが痛かった。
(……話すって、何を? 誰のことを? 僕は今、誰のために“平気なふり”をしている?)
わからなかった。
自分が「大丈夫」と言うたびに、心の中で何かが静かに死んでいく気がしていた。
その日の夜も、ミオは笑っていた。
明るく、無邪気に、恋人のような顔で。
「今日ね、先生に褒められたの。ユウが一緒だからだって」
嬉しそうな声。光を帯びた目。
だけどその笑顔の奥に、僕は――確かに、沈んでいった。
♢
その夜、ミオの腕は、いつも以上に深く僕の身体に絡みついていた。
息を潜めるように布団の中に潜り込んできて、背中に密着する温度。
震える指先が、僕の胸元に触れる。
まるでそこにしか、自分を繋ぎ止める“鍵穴”がないように。
「……ユウがいないと、わたし、壊れちゃうよ?」
囁きは、甘く、優しく。
「……わたしの中にいれば、ずっと大丈夫だから。外に出ないで……ね?」
けれどその奥に、じっとりと張りつくような、粘ついた狂気がにじんでいた。
「ねえ、ずっとこうしてて……お願い……」
「ユウの中で眠りたいの……ずっと……ずっと……」
「わたしを、いっぱいにして……」
言葉の一つ一つが、粘膜のように肌を這い、
胸の奥に溜まっていた冷たい空気を、じわじわと押し潰していく。
ミオの手が、僕の手を握る。
その細い指が震えながら、肌に縋るように重なってくる。
(もう……だめだ)
自分の中の、“拒否”という機能が、完全に壊れていることに気づいていた。
何かを「嫌だ」と思う感情は、もはや“彼女を悲しませたくない”という回路の中で、自動的に塗り潰されてしまう。
僕は、ただ“従う”ことしかできなくなっていた。
それが、優しさなのか、諦めなのか、あるいは共犯なのかも、もうわからない。
ミオがそっと顔を上げ、僕の唇に触れる。
吐息が重なり、身体が重なり、そして――感情が、擦れていく。
ミオは何度も、僕の名前を呼んだ。
「ユウ、ユウ、ユウ……」
名前が呪文のように繰り返されるたび、僕の中の“輪郭”が崩れていくのを感じた。
(僕は……何をしているんだろう)
その問いすら、遠くなっていた。
この密室、この温度、この呼吸――
そのすべてが、現実か夢かの境目を曖昧にしていく。
ミオの吐息が落ち着いていくたび、僕の中で何かがひとつ、静かに剥がれていった。
けれどその笑顔は、まるで“餌をもらって安心した野生動物”のようだった。
安心しているけれど、狂気を孕んだ目。
僕は、もう“彼女に愛されている”という感覚すら、錯覚なのかもしれないと思い始めていた。
けれど、愛されていると思わなければ、今ここに存在する理由すら見失ってしまう。
だから、すがるように“錯覚”に寄り添う。
ミオの言葉を、呼吸を、体温を、全身で受け入れる。
それが僕にできる、唯一の“生”の実感だった。
その夜――
僕の中にあった“最後の部屋”が、音もなく開いた。
そこは、誰にも触れさせたことのない、僕だけの領域だった。
なのにミオは、ためらいもなく足を踏み入れた。
何の前触れもなく。まるで最初から、そこにいたみたいに。
(もう、どこまでが自分なのか、わからない)
ミオの指先が、胸の奥に触れたような気がした。
それが幻でも、現実でも、どちらでもよかった。
もう僕は、自分の境界を知覚する術を、失っていた。
あたたかな布団の中。
湿った吐息と、塩味の汗と、微かな震えだけが、まだ“存在”を訴えていた。
僕は静かに目を閉じた。
そして、“ミオの中に沈んでいく自分”を、もう誰にも止められないのだと理解した。
♢
陽が、昇っていた。
病棟の窓から差し込む光は、やわらかく、どこか無慈悲だった。
昨日と同じ色をしているのに、何もかもが違って見える。
布団の中、僕は目を覚まして、ぼんやりと天井を見上げた。
隣にいる気配が、そっと動く。
毛布の下からのぞく細い指先が、僕の腕を撫でた。
「……ユウ、おはよう」
ミオが微笑んでいた。
明るく、無邪気に――まるで、何もなかったかのように。
その笑顔には、昨日の夜も、一昨日の夜も、そしてすべての“夜”がなかったことになっているような軽やかさがあった。
僕だけが、それを知っていた。
その目の奥に沈んでいるものが、何なのか――
「……おはよう」
返したその瞬間、自分の口が誰の言葉を喋っているのか、わからなかった。
そう返しながら、僕は思った。
(今日も、“彼女のための僕”を演じよう)
好きかどうかも、愛しているかどうかも、もはや関係なかった。
“そうであること”を求められる限り、僕はその形を保ち続ける。
彼女の中で生きるために。
彼女の中だけで、生かされるために。
ミオは、朝の光を受けながら、僕の髪を撫でていた。
その仕草は優しく、慈しむようでいて――檻だった。
瞼を閉じる。
思考を止める。
感情を沈める。
そして、ゆっくりと、心の奥底で、ただひとつの言葉が滲み上がってくる。
「君は、わたしの中でだけ、生きる」
それは呪いでも、愛でも、もうなかった。
ただ――僕たちが“選ばされた日常”の、静かな定義だった。
柔らかな朝の光に照らされながら、
僕は今日も、ミオの中だけで、生きていく。
それが僕にとっての、“終わりのない朝”だった。
今回も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
第10話『わたしの中で、生きていて。』は、過去の実体験をベースに、静かに沈んでいく関係の輪郭をなぞるように描きました。
愛されることが苦しくて、でも必要とされることだけが生きる理由になってしまう――
そんな夜を、確かにわたしも生きていました。
だからこそ、ミオが囁く「ユウがいないと、わたし壊れちゃうよ?」という言葉には、空想では届かない重みを乗せています。
ユウは、自分の意思よりも“彼女の安心”を優先することで、“個”としての境界を失っていきます。
けれどそれは、彼自身が望んだ「優しさ」でもあり、そこに救いがあると信じていた“嘘”でもありました。
朝の光の中で、ただ撫でられるだけの存在に変わっていく彼を、どうか覚えていてください。
これからも、ミオとユウのふたりがどこまで堕ちていくのかを、丁寧に綴っていきます。
どうか、見失わずについてきていただけたら幸いです。




