第十話
スペンサー王子の完全なる独断で、ミサをパーティーに招いた……?
彼女は信じられない思いで彼を見つめたが、少し申し訳なさそうな、それでいて悪戯っ子に似た表情はまるで変わらない。どうやら本当らしかった。
驚きに声も出ない彼女をよそに、華やかな音楽が鳴って舞踏が始まる。
ドレスのご婦人や令嬢、それに見目のよろしい貴公子たちが手に手を取って踊り出した。
「……ダンスは踊ったことがあるか?」
「――――」
「踊った経験がないなら、この場で俺が教える。簡単ではないから完璧を目指さなくてもいい。君にはただ楽しんでほしいと思っている」
呆気に取られつつも、ミサはやはり状況を受け入れるしかなかった。
頭は混乱しまくりである。けれどスペンサー王子と一度向き合い、両手を取り合ってしまえばややこしい考えなど全て吹っ飛んでしまう。
……やるしかない。ミサはぎゅっと唇を噛み、彼を見上げた。
「踊っていただけますか、レディ」
スペンサー王子にしては珍しい……というより初めて聞いた丁寧な言葉で尋ねかけられる。
自分が彼と踊るなんてできるはずがない。そう思いながらも彼女は否定することができず、首を縦に振ったのだった。
赤い王子と軍服の美少女、この舞踏会には似合うはずもない二人の奇抜なダンスが幕を開ける。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ダンスというのはやはり難しいもので、何度も相手の足を踏んでしまった。
しかしステップは単調なものが多いおかげで覚えやすい。普段から戦闘訓練を積んでいる体は芯がぶれることがなく、「きっと練習さえすればすぐに上手くなる」と言われたほどだ。
息のかかるような距離にスペンサー王子がいる。それがまるで夢のようで、ミサの心はいつしか浮かれ、先ほどまで抱いていた恐怖や不安、驚きなどどうでも良くなってしまう。
戦場で血の花を咲かせる姿も美しいが、ここでぎこちない自分をリードするように踊る彼はキラキラと輝いて見える。思わずうっとりしてしまう自分をミサは制することができないでいた。
一曲目が終わり二曲目になる。すっかり甘い空気に浸り切っていたミサが嬉々として次のダンスを頼もうと思っていた、ちょうどその時のことだった。
突然、ダンスホールに甲高い声が響いたのは。
「まあっ! スペンサー殿下ではありませんこと!?」
それがあまりに大声だったし、不意をつかれたこともあって思わずビクッとなりそちらを見た。
するとそこに立っていたのは金髪に榛色の瞳の少女であった。薄緑に赤い薔薇のあしらいのドレスを目一杯に広げ歩き、ズンズンとこちらへやって来る。
一体何事だろうとミサは思った。しばらく思考を走らせた後、やっとスペンサー王子の友人ではないかという考えに思い至り、息を詰める。
もしそうだとしたら王子と今までダンスしていたミサのことをどう思うだろう? それにもしかするとこの少女はただの友人ではなく……もっと深い関係なのかも知れなかった。
知恵が足りないと自覚している頭で精一杯考えている間にスペンサー王子が口を開く。
「確かに俺はスペンサー・クノールで間違いないが、挨拶もなしに話しかけて来るとはずいぶん奔放な令嬢なのだな」
口元には笑顔が浮かんでいる。しかし目が笑っていないようにミサには見えた。
対する少女はにっこりと笑いながらお辞儀をする。そして直後――とんでもないことを言い放ったのである。
「あら、わたくしとしたことが。大変失礼をいたしましたことを謝罪しますわ。わたくし、ビジータ侯爵家長女、メリッサ・ビジータですの。先日王子殿下にお手紙させていただきました者でございますわ」
全身から血の気が失せるのがわかった。
聞き間違いかと思った。今まで幸せででろんでろんに溶けそうだった脳が途端に焼け焦げるような痛みを発し、ミサは思わず小さく呻く。
でも確かにはっきり目の前の少女は口にしたのだ。ビジータ侯爵家の長女であると――。
「君が……ビジータ侯爵令嬢なのか」
「お会いできて光栄ですわ殿下。殿下のお召し物、とっても綺麗ですわねぇ。そうそう、ダンスを踊っていただきたく思うのですけれど」
「ダメだ。俺はもう踊る相手を決めている」
「まあっ、誰ですのその方は?」
「彼女だ」
「――――。わたくしの聞き違いですかしら? 嫌ですわ。そこの護衛と踊るだなんておっしゃるわけはございませんわよねぇ?」
すぐそこでは令嬢の嫌味と苦笑いのスペンサー王子のやり取りが繰り広げられている。しかしミサはその全てが頭に入って来なかった。
しばらく茫然自失になり、やっと我を取り戻す。何度か深呼吸を繰り返して――彼女は決意した。
「し、失礼するでありますっ!」
スペンサー王子の手を振り解き、風のようにホールを駆け抜けて、会場を飛び出す。
背後から何やら声がしたが聞こえない。とにかく無我夢中で突っ走り続けた。
どんな魔物にも立ち向かい、人間相手でも一度も怯んだことのなかった戦乙女。彼女が初めて逃げ出した瞬間だった。




