91話 幣原臨時代理内閣
浜口首相の入院中は幣原外相が臨時に代理を務めていた。しかし幣原は立憲民政党に所属をしてないばかりか、国会議員でもなかった。閣内の序列が浜口に次いでいたと言う理由になったに過ぎない。それ故に政党間の駆け引きには不慣れでもあった。
31年2月の国会にて、不用意な言葉が幣原から飛び出した。ロンドン軍縮条約の批准についての答弁で「天皇が認めているから問題ない」と言ってしまう。何気ない発言だが、“問題になれば政府は責任を天皇に押し付けようとしている”と解釈されても仕方のない発言だった。ここでも天皇を政治利用することが問題となる。
当然野党の政友党は猛反発し、議会は紛糾した。そして、与野党の議員が互いに罵倒し、激高して、とうとう議場での乱闘騒ぎにまで発展する。
政府の天皇を政治利用する発言もおかしなものだったが、それを批判して政友党の態度も度が過ぎていた。まして乱闘騒ぎまで起こすのは政党政治が未熟な証拠でもある。
“日本人は議論が苦手”と言われることがあるが、政策を論じるよりも、政党間で足の引っ張り合いにしていたのだ。
これは今の国会でも見られることであり、嘆息する思いだ。
“首相が友人と会食した、あるいは桜を見た”などそれがどんな問題になると言うのか。首相がどんな犯罪をしたのかも示さないで、「疑惑が深まった」と言い続け、何年もかけて国会で論議することなのか。国家予算をどのように使うのかが最も議論しなくてはならないことだろう。国際関係をどのように構築していくのか争わなければならないはずだ。政策よりも政党間の足の引っ張り合いを行っている現状は、当時とどれほど進歩しているのだろう。思わず愚痴りたくなる。
話は脇道にそれたが、この乱闘場面を政府委員として陸軍のエリート将校もこの様子を見ていた。
「こんなお馬鹿な政治家が国を左右しようとしているのか」見ていた将校はあきれ果てるのは当然だった。
「こんな奴らに政治を任せては置けない」次第にそんな考えに行きつく。
彼らの根底には、根強い政党政治家への不信感があった。
議会政治への不信感は明治時代より、エリート官僚から軍人にまで幅広く浸透していた。
「政党人は国家のことよりも、自分たちの利益に目がくらんでいる」それがエリートたちの見方だ。
もともと明治憲法には天皇の大権が強すぎる一面がある。
それは起草した伊藤博文からして、明治の指導者たちの日本国民に対する不信を示してもいた。
「民衆に政治を任したら、日本は持たない」と思っていたのだ。
明治憲法は立憲制度が始まったイギリスよりも、国王の権威が高いドイツを手本にしたのはその理由からだ。
「暗愚な民衆に政治をゆだねれば、国家は破滅する。民衆を正しく指導できる者が上に立たなければならない」
伊藤は、民衆の上に立つ絶対的な存在として天皇の必要性を認めた。
そして天皇を支えるものとして、明治の指導者を枢密院、元老などを置いたのだ。
それが天皇の大権を認めることに繋がり、天皇の大権を利用して、明治の元勲にとっての都合の良い政治が行える考えだった。
明治憲法の天皇の大権の曖昧な部分をうまく利用する政治制度ができていた。
そんな明治憲法にも先進的な個所がある。
それは選挙で選ばれた議会(衆議院)で国家予算が審議され、ここを通過しなければ認められないことだった。
当時の先進国でも革新的な条項だった。
実際に制定された明治憲法の内容を知った列強国の大使たちは衆議院で予算が審議されることに疑問視していた。
「それでは国家の事業が成り立たなくなる」政治経済を深く知る者ほど懸念した。
それでも、日本の国会は曲がりなりにも政府の予算案を認めているのだから、成功していたと言えよう。
そのような大事な予算国会で乱闘騒ぎを起こしたのだから、エリート将校が憤慨するのも当然だった。
「大衆に選ばれたと言っても、あの程度の奴しか国会にいないのか」
「あんな奴らが予算を牛耳っているのか」
「何がロンドン軍縮だ。天皇を政治利用するなだ。それは単に口実に過ぎないだろう。政府を攻撃するために使う方便に過ぎない」
「あれでは国家が駄目になる」
「そうだ。あんな政治家共にいつまでも政治をやらせるわけにはいかん」
エリート将校達の考えはいつしか自分たちで政権を奪う考えに到達した。
「俺達で政権を握る」
「じゃあ、誰を押す?」
「やはり、今の段階では宇垣さんだろうな」
宇垣は陸相を務めていて、内閣の中で一番信頼されていた。
彼の考えは陸軍の近代化にある。
軍縮を推し進めたのも、国際協調の面はあるが、軍縮することにより浮いた予算を陸軍の近代化、機械化に振り向けようとしたからだ。
「早く戦車などの機動部隊を作り、近代化を推し進めなければならない。そのための予算は軍縮で捻出する」
軍縮については陸軍内部でも相当な反発を生んでいる。それでも、宇垣が再度、陸軍大臣に就任したのは宇垣の陸軍近代化の考えに共感する者も内部にいたのだ。
そのエリート将校達は宇垣を担ぎ上げようとして画策を始める。




