85話 浜口内閣発足
元老西園寺は後継の首相として立憲民政党の浜口雄幸を指名する。
浜口はすぐに組閣し、主な大臣は、外務大臣が幣原喜重郎、大蔵大臣が井上準之助、陸軍大臣が宇垣一成、海軍大臣が財部彪だった。
浜口内閣の2枚看板は協調外交と、金本位制である。
この二つの政策の目的と成果を説明する前に、浜口の生い立ちを簡単に述べる。
浜口は高知の林業を営む水口家の3男に生まれ、後に素封家の浜口家に婿養子に入る。中学まで高知で学び、大阪の高等中学を経て、東京大学の法学部を卒業する。幣原とは高等中学、東大と共に学んでいる。大蔵省入りし、専売局長官、大蔵次官を務めた後、15年に立憲同志会に入党し、政治家となる。
加藤高明内閣で大蔵大臣、第1次若槻内閣で内務大臣になっている。
立憲民政党は、憲政会の流れをくみ、憲政会党首だった加藤が三菱の娘婿であり、浜口も三菱とは深い関係があった。選挙資金も多くは三菱から出ていたと言われている。
浜口は“土佐のいごっそう”の頑固な性格を持ち合わせ、軍部との衝突も辞さない正義感を持っていた。これが独特の風貌と合わさり「ライオン宰相」と呼ばれるようにもなっている。
雄幸と言う名は本来幸雄と名付けるはずだったが、父親が男子誕生を大喜びして、酒を飲みすぎ役所に届ける時に、名前を逆に書いたからと言われている。また、生まれるのが女の子と思い込んで「お幸」と名付けるつもりなのが、男子だったため「お」を「雄」に変えたからとも言われている。いずれにしても出生時から名前に関しては逸話が多い。
この独特の風貌、小細工なしの正面から立ち向かう姿勢に国民の人気は高まる。更にラジオ放送を通じて国民に直接訴えることもした。内閣の滑り出しは上々だった。
そんな中を正平は何度も陸軍大臣室に呼ばれている。
「戦車の開発具合はどうだ」開口一番、宇垣は戦車のことを聞いてきた。
3年ぶりに陸相に復帰できたこと、内閣の順調な滑り出しもあって、田中はやる気に満ちている。
「ディーゼルエンジンに目途が尽きそうです」
「なに、本当か?」
正平は戦車の開発に搭載するのはディーゼルエンジンと決めていた。
「ガソリンは揮発性が高く、引火し、爆発しやすい。軽油ならその点、安全だし、戦場で使える」そう考えていた。
「軽油を使うディーゼルエンジンは力も強い。乗用車ならエンジンは小型化し軽快な動きとスムーズな始動が求められる。だが、戦車に使うエンジンは別に小型化に拘らないし、軽快な動きがなくても、とにかくパワーが必要だ。戦地で使うのはディーゼルがうってつけだ」
これを戦車開発の最重要なものとした。
だが、戦車にディーゼルエンジンを搭載させるのは容易ではなかった。
まず、戦車は装甲が厳重で、重量が重くなる。エンジンはこの重い戦車を動かせなければならない。
重さ10t未満なら、従来のエンジンで対応できた。だが、戦車なら30t以上は欲しかった。
「戦車で30tはぎりぎり許容できる範囲だ。本当は50tぐらい引っ張れるエンジンが欲しい」
それを満足する、エンジンの開発が簡単でなかった。
そしてもう一つ、問題になったのがディーゼルエンジンは始動の遅いということだった。
いくら軽快な動きは犠牲にすると言っても、戦車を発進するのが遅すぎれば、攻撃目標になりかねない。
重い戦車を引っ張るために、エンジンは大型化する。それに伴って、エンジンの重さも増大する。
そして、重量が増大すれば、動き始めるのは遅くなるのだ。
簡単に言えば質量保存の法則で、物体の質量が増えれば、動かすエネルギーも必要になるのだ。
エンジンは余り大きくして重くしたくないが、それだと力の足りないエンジンしかできない。
エンジン開発はそんなところで滞っていた。
「ド、ドド、ドゾー」大変な轟音が室内に鳴り響いた。
「これは凄いな」田中がその音に負けまいと大声を張り上げる。
正平からエンジンができたと聞いて、エンジン開発室にやって来たのだ。
「これなら、大きな戦車も引っ張れます」少しエンジンから離れた所に移り、正平が説明する。
「どのくらいの物まで動かせるのか?」
「まず、トラックに積んで、30tぐらいから始めます。50tを動かせるのが確認できたら、実際の戦車に乗せようと思います。いきなり、戦車を作ってもエンジンが駄目な無駄に終わりますからね」
「戦車本体の製造は三菱にやらせよう。あそこなら話はつく」
三菱は自働車にはあまり興味を示してないが、戦車の開発には意欲を見せていた。
「ええ、私もそう思います」




