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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
8章 出兵の問題
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58話 英米の撤退

カナダはイギリス連邦の一員として、シベリアに出兵していたが、国民から非難されていた。更に反革命軍が劣勢になると、派遣軍に損害が出るのを怖れたカナダ政府は19年4月から撤兵を始める。

イギリスのロイド首相も撤兵に賛成だった。大戦で不況になったイギリス経済を立て直すためには、安価なロシアの小麦を輸入したかった。だが、議会は反対した。また陸相だったチャーチルもソビエト政府との交渉に反対した。

チャーチルは計画を持っていた。赤軍がコルチャーコフに反撃するため東に向かっている隙に、ウクライナに勢力を持っていたデニーキン将軍を押し立て、ソビエト政府を倒そうと考えていた。

実際にデニーキンには25万の兵力を養えるだけの援助を行っている。その部隊も精鋭だった。

さらにチャーチルは日本を口説いてウラル山脈に進出を持ち掛け、チェコ軍団にも分裂してウラジオから白海に進出してはとも言っている。おそらくデニーキンと連携して、日本軍とチェコ軍にソビエト政府を攻撃させる計画だったのだろう。

これはどちらも現実化しなかったが、デニーキン軍は19年7月にモスクワにあるソビエト政府に進撃を開始する。

ソビエト政府の対応は割れ、デニーキンへの反攻を赤軍最高司令官は主張するが、コルチャーコフ追撃を考える党中央委員会は聞き入れなかった。これによってデニーキン軍は破竹の勢いでモスクワに進撃する。しかし、10月にトゥーラ近郊おいて激戦となり、ここで赤軍が勝利する。破れたデニーキンはクリミヤに逃げ込むしかなかった。


デニーキンへの肩入れが大きかったイギリスはここで撤退を決める。10月末にはほぼ撤退が完了する。

次いでフランス軍も19年9月から撤兵を始め、20年8月には撤兵を終えている。

そしてアメリカも撤兵を決める。

アメリカがシベリア出兵を決めた理由はチェコ軍団の救出にあった。

チェコスロバキアは18年10月に独立を宣言し、翌年のパリの講和会議で独立を正式に認められた。チェコ軍団にとってシベリアで戦うのは祖国の独立の為であり、祖国が独立した以上、シベリアに残って戦う理由がなかった。それを各国の事情から引き止められ、不満は高まっていた。

チェコ軍団は各地で反旗を翻す。イルクーツクで反乱しコルチャーコフを赤軍に引き渡し、20年1月にはセミョーノフ軍と衝突する。そして2月にソビエト政府と講和を結んだ。

これを見たアメリカは遂に20年1月にウラジオの派遣軍の撤退を決めた。


日本にとっては寝水に水の出来事だった。

アメリカとの同調をとっていた原内閣にとって、事前通告なしの決定は裏切り行為と映った。

アメリカ大使に強く抗議するとともに「以後日本は、単独で行動する」と宣言し、アメリカも黙認することになる。

ただ、この後の原内閣の行動にはちぐはぐな観を持たざるを得ない。

何しろ原首相と田中陸相の方針は「撤退のために増派しよう」というものだった。

方針そのものに矛盾を持っていた。

原内閣は一貫してアメリカとの同一行動に拘っていた。

そのことは大局的には良かったと思う。

だが、情勢変化でアメリカの対応も激変することはあり得るとどこまで頭に入れておいたのだろうか。

原首相は常にアメリカが撤兵をいつ言い出すか考え、準備しておくべきではなかったかと思う。

「アメリカが方針を転換して、シベリアから撤退する事態に備え協議しておこう」と呼びかけ、結論は出ないまでも閣議や参謀本部と事前に打ち合わせをしておくべきだったと思う。

だが、原首相と田中陸相は二人だけで放心を決めた。


原首相は田中陸相に語り掛ける。「このままシベリアに駐屯を続けたら、諸外国に日本への疑いを向けさせることになり、費用は莫大になる。国民世論もどうなるか分からない。けれどもシベリアは日本にとって特殊な関係があるのだから軽々しくはできない。将来のことを考え、『日本居留民を集めて、綺麗に撤兵し』ウラジオや中東鉄道の守備だけをして、この局面を打開しよう。」

「もしも、過激派が攻撃し、あるいは共産主義の宣伝をしてきたら、反撃して適当な土地を占領しよう。占領したら、『ロシアの親日政権』を樹立させるか、領土とするかはどうでもよい」

田中陸相はこれに同意した。「撤退を考慮に入れている」と吐露している。

ただ二人とも撤退を広言できなかった。本心ではなかったものの、シベリア出兵を進めていたのは彼らだった。いまさら撤兵を口に出来なかった。

そこで原が考え出したのが、撤兵の為の増派である。「大規模な撤兵と、小規模の増派」をセットにした。原にすれば大規模な撤兵には、増派が必要になると言う理屈だ。


しかし、この考えは最初から多難だった。まず閣内で高橋是清蔵相がかみつく。

もともと高橋は出兵には疑問視していた。「撤兵しないで増派とは何事か」と強く田中を妃はする。田中は高橋と言い争いになっても撤兵を言い出せないために、閉口する。

そして貴族院でも撤兵を伏せたままの増派では、納得してもらえず、原も田中も答弁に窮することになった。

この答弁を終えて、田中は閣議で「チェコ軍団を救出したら、撤兵する」と厳命する。しかし、この発言は「絶対秘密」とくぎを刺している。

3月2日になってようやく、原内閣は「チェコ軍団が帰国の後、出兵範囲を大幅に縮小し、沿海州と中東鉄道沿線には兵力を駐留させ続ける」方針を閣議決定する。


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