223話 フーバー来日
米国前大統領来日に合わせ、準備が急ピッチで行われた。アメリカ側も上院議員などの政治家も加わり、これに参加者には家族同伴することになり、来日する人数は大幅に増えた。
東京ではオリンピックに合わせて、ホテルやレストランなどが作られていた。ところがオリンピックが中止となりホテル関係者はあてが外れており、アメリカの前大統領訪問は良い穴埋めとなりそうだ。
前大統領の滞在期間は3週間。天皇陛下主催の晩さん会も決まり、来日メンバーの訪問先も入念に準備が行われていく。
このような準備のもとに米国前大統領を迎えた。
団長のフーバーを皇居に案内し、天皇に会見する。
次に訪問団を都内のホテルで、正平たちが出迎えて、訪問団を歓迎した。
冒頭正平は「遠路はるばる日本に来ていただいて感謝します。フーバー前米国大統領を始め、皆さんが日本に来られたのは光栄なことです。これを機に貴国と我が国の友好関係が一層深まることを期待します。今日はゆっくりと楽しんでいてください」
これに対し、「盛大な歓迎をしていただいて感謝します。日本とアメリカの友好がより強くなることを期待します」とフーバーが返した。
新装されたばかりのホテルの大ホールに、それぞれのテーブルには和風洋風料理が置かれ、出席者はめいめいに口にする。そこに奇術や手品師が前に出て芸を披露して、訪問団を感心させた。
天皇主催の晩さん会。オリンピックの主要会場になるはずだった国立陸上競技場で歓迎会などが続く。
競技場に案内したのはいかに日本がオリンピックに力を入れていたかを理解してもらうためで、防衛大生の行進や一般の学生などのマスゲームなどを披露し、やがて夕闇が迫ると、照明を消して花火を打ち上げた。更にねぶた、竿灯など地方の祭りを披露した。
一挙手がすべてそろったマスゲームの正確さ。花火の豪華さ。夜祭の勇壮さにアメリカ人達を大いに喜ばせた。
公式の行事が終わると訪問団はそれぞれの意向に沿った目的地に行った。経済人にはフォードの下請け工場に行って、日本の技術力を評価してもらうつもりだ。またジャーナリストには自由に取材してもらい、日本の実情を知ってもらうつもりだ。
そして、正平はフーバー夫妻を私的に自宅に招いた。堅苦しい公務ばかり続けば夫妻も疲れると思った配慮からだ。
メアリともどもフーバー夫妻を玄関先まで出迎え、にこやかな歓談を始めた。
正平が眼帯を着けていかめしい顔立ちで、その上軍人出身なことからフーバーは、ヒットラーのような独裁者を連想していたらしい。
ところが、正平が、穏やかな物腰や口調で巧みな英語で話しかけたので驚いたようだ。
「どこで英語を覚えたのです?」
「私は若い時にアメリカの陸軍大学に留学しました。そこで英語を覚えました」
「ほう、あそこの大学の出身だったのですか」感心のこもった声だった。フーバーは陸軍大学がどれだけ名門であるか良く知っている。それだけに正平への認識を大きく変えた。
またメアリの存在もフーバーを喜ばせた。落ち着いた物腰と口調、そこには長年日本での暮らしが幸せだとにじみ出ていた。
(塚田と結婚してメアリは幸せそうだ。塚田はメアリを愛しているし、アメリカを親しく思っている)それが、フーバーに分かった。
食事をしながらの歓談も弾んだ。
「私は、アメリカで軍事ばかりか政治や文化なども学びました。その中でもカーネギー氏などの実業家から深い感銘を受けました」懐かしそうに話し出すと、フーバー夫妻は驚いたようだ。
フーバーは実業家として成功し、カーネギーを大変尊敬していたが、実際に会ったことはなかった。
「どうして、カーネギーに会えたのです?」
「大学の校長が私をカーネギー氏に引き合わせてくれたのです」
「どのような話をされたのです?」
「私はカーネギー氏が金もうけだけでなく、篤志家として文化事業に力を入れられていると知り、ぜひお会いしたかった。そしてどうして慈善事業に熱心なのですかと聞くと、氏は『若い時に社会から多くの支援を受けて育った。だから実業家として成功した後は、社会に恩返ししようと思った。』と話されたのです。それを聞いてアメリカ経済の懐の奥深さを感じました。日本でもカーネギー氏のような人物を多く輩出しないといけないと思ったのです」
フーバーは昔を懐かしむ正平の話に感動した。
その後、正平はフーバーと二人だけで会談する。
「イギリスは参戦してもメリットはないと思える。何のために、参戦したのですか?」正平は直截に予てから疑問に思っていたことをぶつけた。
「私もよく分かりません。去年の三月にチェンバレンがポーランド独立保障宣言するまでは、参戦しないはずでした。彼がどうして気が変わったのか不思議です」
「それまではイギリスはどういう考え方だったのですか?」
「ヒットラーは根っからの共産主義嫌いです。彼の狙いはソ連であり、あのままの事態が進めばポーランドを通り抜けて、ソ連と戦争することは間違いなかった。チェンバレンのそのことを理解していた。」
「イギリスはそれを望んでいたのですね」
「そうです。ヒットラーとスターリンに死に物狂いの喧嘩をさせて置き、疲れ切ったところに、イギリスが仲裁に出るはずでした。それがチェンバレン首相の腹積もりのはずでしたが、あの一言で台無しになった。ヒットラーとスターリンは潰し合いをさせるのが一番ですよ。」悔しそうに言った。
思わぬ言葉だった。正平を始め、日本人はこのような戦略を考えることが苦手だ。まさか、そこまで冷酷に戦略を考えていたとは、アングロサクソンの血のなせる業としか思えない。
自国及び友好国の為なら他国がどのような状況になっても構わない。例え他国で数百万、数千万の犠牲者が出ようと、自国民でなければ厭わない。それがアングロサクソン流の考え方だ。
正平は反論できなかった。
(そうなのだろうな。ドイツとソ連を戦わせれば利益が転がり込むのは確かで、イギリスはそうしたことが良く見えていた)
「でも、チェンバレンはそうした考えを捨てた。ここからは私の憶測です。チェンバレンは国内の強硬派に気を使ってしまいました。強硬派はドイツの国外侵略を苦々しく思っており、チェンバレンの外交姿勢が弱腰すぎると考えていた。弱腰と非難されないために、ポーランドの独立を保証宣言したのではと思います。そしてヒットラーにイギリスの強い決意を示すことで、ポーランド進撃を諦めるだろうと考えたのです。ところが全て裏目になった。
戦争好きのヒットラーにケンカを吹っ掛けたようなものとなり、ドイツと戦う羽目になったのです。イギリスは戦う必要などなかったのです。」




