217話 まやかしの戦争の終わり
40年4月、ドイツ軍が中立国のデンマークとノルウェーに突如侵攻し、占領したうえ、バルチック海を掌握した。更に翌月になって、オランダとベルギーにも侵攻して、北フランスにも進軍した。電撃戦を展開し、イギリスとフランスの連合軍を翻弄し、フランス北端の港町にまで追い詰めてしまった。ここにおいて、まやかしと言われた戦争に火が点いた。
ヨーロッパ各国が相次いで、ドイツ軍に圧倒されて行く。
この事態にチェンバレン政権はイギリス国民からの支持を失い、チャーチルが後を引き継いだ。
思えば、チェンバレンは一年前の議会での“ポーランド独立保障宣言”以来、誤算続きの外交政策だった。何も他国のために、どうしてイギリスが軍事大国のドイツと戦わなければならないのか?どうして他国のために我が国の若者が犠牲にならなければならないのか?国民に不満は募る。イギリス国内の有力政治家がこぞって、“独立保障宣言”を冷笑したのも分かる。
その前まで、フーバーとの会談で意見一致していたように、彼はヒットラーとスターリンとを勝手に戦わせておく方針だった。どちらがサソリでヘビかは知れないが、蛇蝎のごとく嫌い合っているヒットラーとスターリンは戦うしかない状態だった。放っておいても両者は戦う運命だった。何もしゃしゃりでてまでイギリスに関心を向けさせる理由などなかった。祖国の領土回復を悲願として、野心溢れ、力の有り余って自信過剰のヒットラーに、和平を呼びかけた所で、聞く耳を持つはずもない。ヒットラーにはスターリンとの戦いで疲労困憊し、戦闘不能に陥ってから、仲介ないし和平協議を呼びかければよかったのだ。自信を持っている者は疲れ果てて、失敗し弱気になった時こそ、その気になるものだ。
また独立保障宣言の後からでも、ドイツとの交渉する時間は1年もあった。ドイツがポーランドを占領してからも半年間もあった。それなのにチェンバレンは外交政策を変えようとしなかった。その間に、ヒットラーの気持ちを打倒ソ連に変えさせることはできたはずだ。彼は自分のしでかした愚かな宣言に、最後まで固執し、ドイツの進撃を食い止められず、遂には国民から見限られることになった。
第二次世界大戦はヒットラーが巻き起こしたことに違いない。ただ、もう少しチェンバレンに外交センスがあれば、ヨーロッパで起きた惨劇はドイツの東方だけ、ソ連との国境間だけで済んだ可能性があった。少なくてもイギリスがドイツと対峙することはなかった。残念ながら、悲劇はヨーロッパ全土に拡大してしまうことになる。
では、何故チェンバレンは祖国の危機を招く政策を執り続けたのか?このことに彼は何の言及を残してなく不明だ。
ただ、この当時の世界政治を冷静に分析していたフーバーは、チェンバレンの背後にルーズベルトがいたことを疑っている。そのことについては又後で述べます。
ともかく、イギリスは武闘派のチャーチルに率いられることになり、本格的に参戦することになった。
そして、他国の独立に関心を寄せ、自ら戦争に身を投じたのはフランスも同じだった。イギリスと共にポーランドを支援し、独立を保証したのだ。ヴェルサイユ体制でドイツを封じ込めようとしたフランスは、体制の維持を最大の外交政策にしていた。そのためにヒットラーの“ヴェルサイユ体制の打破”には我慢できず、何としてでも邪魔だてをして挫こうとした。外相をポーランドに送り込み、「ドイツに妥協するな」と後押しまでした。
フランスが自国の安全平和を真剣に考えたなら、ポーランドの独立を保証することなど出来ないはずだ。ヒットラーの関心を出来る限り、東に向けさせ、西に持たせないようにすべきだった。当時のフランス政府は全く逆の政策を執ってしまい、結果としてドイツ軍を呼び込んだのだ。
フランスにはドイツ軍に対抗できる軍隊もなく、瞬く間にドイツの戦車に国土を蹂躙されていく。その後フランス政府はイギリスに亡命し、ドイツに対抗することになる。この当時のフランス要人に全く先の見通しがなかった。
それに比べて、ヒットラーとスターリンはしたたかで、先の見通しをよく考えていた。両者の利害の一致は、世界一次大戦で失われた国土を奪い返すことしかない。それ以外のことは全く不一致だ。蛇蝎のごとく憎み合っていても、ただ領土奪還の一点が共通すれば握手するなんて二人には動作もないことだ。イギリスとフランスの頑な外交姿勢に変化がないとみるや、ヒットラーはイギリスに向けて刃を研ぎだしていく。
独ソ不可侵条約によりヒットラーは東(ソ連)に備える必要が無くなり、西に関心を向けた。
スターリンがどこまで目論んだことなのか不明だが、状況はソ連にとって好都合よく回りだしていた。
ところが、英仏政府は何の危機感を持つことなく、二人の狂人が握手しても、無為に時間を過ごしてしまった。この時点になると英仏だけではドイツに対抗できる戦力がないのは明白だった。そして支援を期待するアメリカも“中立化政策”で動けない状況だ。それなら、ヒットラーの関心をもう一度東に向けさせるべきだったのだ。
「東に向かう限り、何も干渉はしない」などと言い、ヒットラーの顔をもう一度東に向けさせることもできただろう。英仏政府はそれをやらなかった。
チェンバレンからチャーチルに替わるが、状況はイギリス側に直ちに好転はしなかった。
ヨーロッパの国々は次々とドイツ軍の侵攻を許してしまい、対抗できる勢力は見当たらなくなる。ただ一つイギリスにとって有利だったのは、ドイツ海軍が脆弱だったことだ。
最大でもわずか34キロしか離れてないドーバー海峡をドイツ軍は超えることができなかった。兵士を乗せた船を押し立ててイギリスに渡ることなど、ドイツ海軍には不可能だった。
例えば、ドイツがノルウェーに侵攻した時、ドイツ海軍は多数の水上艦艇を失っている。ノルウェー相手でもこの体たらく。アメリカと並ぶ海軍を持つイギリスにドイツは海で敵うはずもない。ドイツは陸上では圧倒的な強さを誇っても、海上では不甲斐なさばかり目立つ。
チャーチルはこの利点を見抜き、「我が海軍は最強でドイツ兵が海を渡って来られない、だから辛抱強く戦い抜く」と決意を述べ、イギリス国民を団結させ、鼓舞していく。そこにチェンバレンにはない、指導者の資質があったと言える。
イギリス国民は戦争を望んではいなかったがチェンバレンの優柔不断なことに愛想をつかし、不屈不敗を訴えるチャーチルに期待をしたのだ。




