212話 衆議院選挙
自由党を結成するとし直ちに国会を解散させ、衆議院選挙が始まる。
年末の忙しい時期は従来から避けるようにしており、各党も選挙は来年の任期が終わるまでないだろうと高をくくっていたので、正平に虚を突かれる形になり準備不足だった。
それに比べ、自由党は早くから立候補者を選別しておりいち早く行動を開始した。
正平を前面に押し出し、全国遊説に乗り出す作戦だ。
隻眼黒眼帯の正平の顔は広く知られており、ラジオでよく聞く声に演説会場は多くが駆けつけると目論んでいた。
正平が立候補した選挙区は居住している東京市内で、地元と言うこともあって支持者が多く詰めかけてくれた。
その中でも選挙権を得た女性たちが目立つ。法改正で女性に初めての選挙、投票できることが彼女たちの木を高ぶらせていた。
更にメアリの存在も大きい。近所では正平の妻がアメリカ人であることは知られていたが、選挙区全部には伝わってない。そこに金髪長身の彼女が「主人をよろしくお願いします」と流ちょうな日本語で話しかけてくれるものだから、それだけで女性陣は感激した。
「絶対に塚田首相を当選させるわ。」
「いえ、トップ当選でないと意味はない」
「そうよ、ただ勝つだけでなく圧倒的に勝たないと首相の顔に泥を塗る。」
「圧倒的に勝って、塚田さんをまた首相にしましょう」
支持者の意気込みは燃え広がった。この様子に、正平は地元での選挙活動をそれ以上行わず、全国遊説にむかうことにする。
出身地、伊豆の盛り上がりは異常とも言えた。正平は首相になってから、多忙を理由に一度も帰郷してない。それだけに正平を迎える地元の熱意は熱かった。
郷土の英雄の里帰りとあって、駅前には歓迎の幟が10数本立てられ、「塚田首相、御帰郷」と横断幕が張られ、町内の者達全てが集まったかと思われるほどの人手だ。町長を始めとした地元名士に交じり、正平の弟妹達もいて、そして吉岡夫婦も揃って姿を見せていた。
流石に老境に入り白髪が目立つが、今なお地元の中学の校長を務め教育者として名声を保っている。
「先生!」「正平、立派になったな」その言葉のやり取りだけで十分だ。熱いものがこみあげてきた。
「さあさ。塚田首相。地元で第一声をしてください」地元後援会会長になった町長が演説場に案内する。
そこで、正平は留吉と共に壇上に立った。
「私はここで生まれここで育った。私が首相になれたのは郷土の皆さんに育まれたからだ。ここは昔から漁業と旅館業で栄えてきた。この町に独特の風習や伝統も多く残っている。伊豆には伊豆独特のよさがある。それが伊豆の特色だし、皆さんの生活の場になっている。伊豆の伝統や風習はこれからも大事に残していかなければならない。
このように私は、昔からの伝統・風習は大事しようと思っている。
良く革命を口にする人がいるが、過去を断ち切るなど人にはできない。革命は人々の生活を壊し、財産・生命を奪ってしまう。
革命を行ったソ連を見て見ろ。革命によって、ロシア皇帝は処刑され、多くの人の命が奪われ、人々は混乱した。そして革命政権では農民を集団農場で働かせ、私有財産を奪い生活の自由を奪っている。どんなに働こうが、怠けようが得られる収入は同じだ。そんなことでよい社会になるはずがない。それでいながら共産党に反対する者を処刑している。自由に物が言えなくなっている。また近年は農産物の収穫が落ちて、食料品が乏しくなって飢えて亡くなる者まで出ている。
こんな社会主義の考えが日本に入ってくることを心配して、自由党を立ち上げた。人が自由に職業に就き、自由に考え物が言える社会、昔からの伝統や風習を守ろうとする思いからだ。
革命によってではなく、徐々に改善する方が利口と考える。少しずつ社会をより良くしていく方が人々の財産は奪われず、命も守られると考えられるからだ。
自由党はそんな考えで立ち上げた。自由党を応援し、自由党員に国会の議席を多く与えてもらいたい」
なお、伊豆からは安田が出馬している。最も彼も幹事長と言う肩書の為、殆ど地元でも選挙活動はこの日だけだった。
正平は地方に行けば、地方の自治権拡大を強調し、「道路を作り、交通事情を良くして地方を盛り上げる」と言った。また女性が多くいる会場では「保険制度や年金制度」を多く取り上げ、女性の関心を引き寄せた。少しでも聴衆に関心のある話題を提供した
正直、演説は巧みとは言えなかったが、朴訥した話し方が却って説得力を持たせた。
なによりも、正平の内閣になってから景気が上向き、長続きしていたのが大きい。
「大きな戦争をしなかったから、これまで景気が続いた。内乱がなかったから安心して暮らせた。
226事件のようなことを引き起こさせてはならない。あの事件で東京は混乱し、人々は怯えた。
人々が安心して暮らしていくためにも、政治が安定してなくてはならない。安定した政権をこれからも続けていかなくてはならない」
正平の声に誰もが頷いてくれた。
東北に遊説した時に、老婆とその家族が前列にいるのを目にした。演説の前に話しかけると旅順の攻防で、戦死した兵士の母だと分かった。
「塚田中尉に看取ってもらって、息子は幸せ者でした。中尉さんがこんなに出世して、私は嬉しいです」涙を浮かべ、手を合わせるように言った。
もう80を超えるだろうというのに、正平に何としても礼を言いたかったと言う。
「倅のためにわざわざ田舎にまで来てくれたことを忘れません」
「おっかさんが達者で長生きしてくれて良かった」
その話に周りの者達がもらい泣きをしている。
更に松坂の演説会場では松葉杖を突いた初老の顔に見覚えがあった。
脚を失った元部下だった男だ。日露戦の後に慰問に行ったときに「足がなくても算盤は握れます」明るく答えくれた。
「閣下に覚えておいていただき、光栄です。今日は息子の家族を引き連れ、私の上司がどんなに偉かった人だと自慢しに来ました」その顔は晴れやかだ。
「元気そうだな。それに商売も上手く行っているようだ」男の服装を見れば、暮らしぶりが豊かだと分かる。商人は算盤が握れれば成り立つと言っただけのことはある。
「おかげさまで、なんとかやっています。今は息子に家業を譲り、隠居です」屈託なく、また誇らしげに言う。
思いがけない出会いだった。
これは新聞記者にとっては、格好の新聞種になり「人情噺」として全国に広まることになる。
正平の意図したことではなかったが、より人気を高めることに繋がった。
またこれをうまく自由党の宣伝材料に安田留吉が利用したのは言うまでもない。
「自由党はこんな人情家が代表だ」様々な場面で売り込む。
自由党は初の国会選挙とは言え大きな波に乗ることができた。




