209話 松岡の暴走
ドイツで交渉を進めていた松岡が面会を求めてきた。
「どうして日独の同盟を蹴ったのですか?」席に着くなり松岡は詰問口調だった。
全権大使として同盟の交渉を行っており、ノモンハンの戦いの後、大戦が勃発してもドイツにいた。交渉妥結の寸前に本国から交渉中断を命じられ、帰国を余儀なくされていた。
「同盟の利点がありませんね」それに対してやんわりと答えた。
「日本とドイツは海外に植民地がなく資源が少ない。国土の広いアメリカやイギリスとフランスは多くの海外領土を持っている。両国はこのままでは立ち遅れてしまう。どうしても海外への進出を図らねばならない。お互いに助け合えば、資源の問題も解決できる。更に・・・」
松岡は同盟の意義を次々と上げ始めた。
「それは弱者連合と同じだ。弱い者同士が集まっても、碌な結果にならない。同盟するなら強くて金持ちとした方がましだ」その説明を正平はあっさり遮った。
「何よりもドイツとは防共協定を結んでいたのに、ソ連と相互不可侵条約を締結してあっさりと反故にした。このように信頼を裏切る国とは同盟できない」
「いや、それはイギリスがドイツとの協調路線を転換したため、やむを得ずに・・・」
「どのような事情があろうと我が国との協定を事前協議もなく反故にしたのは事実です。」ぴしゃりと遮る。
すると松岡は一瞬何を言われたのか目をぱちくりさせ、「あんたとは話にならない」すごい剣幕で出て行った。
「松岡さんとは認識が同じだったと思っていたのですがね」その後姿を見送って側近の外務省役人の磯崎が訊いてきた。
「ああ、まさかあそこ迄ドイツに肩入れするとは・・・。ヒットラーに相当感化されたようだな」
「外務省内でも同盟推進の声を強いです。ドイツの勢いを見て、同盟すべきという意見が多く出ます」
「ドイツは我が国がソ連を破ったことで、こっちの軍事力を高く評価しているから、外相にも相当強く同盟を呼びかけたのだろうな」
「ドイツとの交渉をこのまま松岡さんに任せられますか?」もう一人の側近井上は不安顔だった。
「今少し、様子を見よう。大戦が始まったが、立場を明確にするのは最後で良い。ドイツの覇権が確実になったらドイツと組むし、イギリスが跳ね返したならそっちと組む。焦って決めたらろくなことにならない。ヨーロッパの連中を信用できないぞ。ドイツが日本と同盟したがっていると言っても、裏では支那に軍事援助をしている。イギリスやアメリカだって同じだ。日本だけが律儀に条約に縛られるのは愚の骨頂というものだ」
確かに松岡の言うようにドイツの経済発展は目覚ましく、やがてイギリス、フランスを凌駕して、ヨーロッパの覇権を握れるかもしれない。だが、そうならない可能性も多分にあった。正平はどちらかと手を結び、その相手が敗者になることもあり得るのだ。日本を敗者の道連れにするわけにはいかない。
「同盟など組んでも、日本にどれほどの利益があるのか。ドイツと同盟を結べばソ連を挟撃できることになるが、ドイツがソ連と手を組んだ以上、それは叶わなくなった。日本は当面どことも手を組まない」
正平と松岡の意見はこれ以降対立することになる。
それが10月の閣議で決定的な対立に発展した。
「ドイツがポーランドに侵攻して、ひと月以上ですが、ドイツに宣戦布告したイギリスもフランスも未だに一兵もドイツと戦ってはいない。英仏両国はドイツを怖れているのですよ。アメリカが腰を上げない以上、両国は口先だけに終わる。そんな腰抜けの連中とならドイツは必ず勝つし、ヨーロッパの覇権を握るでしょう。今ドイツと手を組めば、我が国の世界での立場は大いに上がる。後になってドイツに手を組もうと言っても相手にしてくれません。早くドイツとの交渉に乗り出すべきです」松岡が長口上を述べまくる。
「その通りです。ドイツとイギリス双方の顔色を窺って、蝙蝠のようにあっちこっちに顔を向けるのは愚策です」松岡に賛成したのは鉄道相の有田だ。彼は正平の内閣が道路建設に力を入れ、鉄道建設があまり進んでいないのを不満に思っていた。
日本の政界には“我田引鉄”と言う言葉がある。選挙区の地元に鉄道を敷くことにより、選挙が有利になることは知られていた。だが、有田は折角鉄道大臣の椅子を手に入れたのに、一向に地元の鉄道建設の話が上がらず、地元では「有田先生は力がない」と言う声まで上がっていた。
松岡に賛成して、正平を揺さぶり、地元への鉄道誘致を認めさせようとする下心があった。
それに対し、正平は譲らなかった。
「今度の戦争は始まったばかりで勝敗の帰趨は誰にも読めない。わが国が先走って、敗戦国側と手を結ぶようなことは愚の骨頂だ。勝敗が明らかになるまでどことも同盟は結ばない」
閣内不一致は大問題だった。意見調整を試みようとするが松岡は断固として拒否した。
そのうちに新聞紙上でもこのことが取り上げられ、そのままにしておけず、正平は松岡に辞任を迫るが、これも拒絶された。
「塚田さんの外交政策にはついて行けません」そう言ってのける松岡は自信であふれていた。
かつて、若槻内閣で安達内相が民政党と政友会の協力内閣論を提唱し、これが受け入れられず私邸に籠り閣議にも出なくなった。長引く不況と満州事変など苦難な状況が続いていた若槻内閣はここで総辞職してしまった。今度も松岡の対応次第では内閣が維持できなくなる恐れが出てくる。
「一体、松岡は何を考えているんだ」正平にはいら立ちと焦りがあった。
「どうやら、政友会の有田などと緊密に連絡を取り合っているようです」保安担当の金子が松岡の事情を話した。
「そして、その裏に近衛公の影が見えます」
「なに!近衛公が」思わず気色食む。近衛文麿は正平よりも首相候補として取り上げられてきた人物だ。本人もいつでも首相になれると思っていることだろう。
もともと塚田内閣は臨時政権とされ、短期に終わるだろうと考えられていた。それが来年の衆議員の任期まで務めると3年になる。それはいくら何でも長すぎると思われていたのだ。
「現役の軍人では政党を率いることはできません。ここで、政局が混乱すれば来年の衆議院の任期まで持ちこたえられないと考えてもおかしくないでしょう。」
金子の意見は本人達に問いただしたことではなく、憶測に過ぎないが、そのような企みも十分考えられた。
いずれにしろ大きな政局になってしまった。
松岡が日独伊の三国同盟に走ったのはこれより1年後の40年9月のことだ。
実際の内閣も226事件後は、広田弘毅内閣(任期11カ月)、林銑十郎内閣(任期4カ月)、第一次近衛文麿内閣(任期1年と7カ月)、平沼騏一郎内閣(任期7カ月)と目まぐるしく変わっていた。




