195話 満州の事情
今までは日本国内のことと外国のことを、章を分けて話してきましたが、次第にヨーロッパやアメリカの出来事が日本に直ぐに影響を与えるようになってきた。章ごとに国内と外国を分けて話すよりも、時系列に沿って話をする方が分かりやすくなると考えて、この章からは時に合せて話すことにします。
ただし、少しだけ話を前に戻して国内のことを話します。
ヨーロッパの情勢が次第に緊迫を高めていた時、正平も無関心ではいられなかった。ヨーロッパ情勢の緊迫がすぐに日本に伝わる懸念は少ないが、日本が影響を受けるとすれば、ソ連による満州への侵攻が心配された。ソ連軍の侵攻の可能性は少ないとはいえ、満州のソ連国境地帯には常に注意を払っておかなければならない状況だ。
「国防省設立を準備中の状態ではソ連との争いはなるべく避けておきたい。」それが正平の本音だ。ソ連とは友好関係を目指しながら、刺激しないように関東軍に自重を命じていた。
そのころの、満州の事情を話しておこう。満州は清国の発祥の地であることから、清は永らく他の民族の移住を制限していた。だが18世紀になると、飢饉などで国内の治安が乱れたこともあり、山東省などからの漢民族を受け入れるようになる。また清国において満州族は要職を占めていたので、中国各地に満州族は点在して住む様になっていた。
1908年において、満州の人口は1580万人で、満州国が建国された32年には2930万人にも増加し、40年には4100万人にも増えるようになる。
全人口の95%は3890万の満州人つまり、満州族と漢族が占めており、他に130万の朝鮮人、90万の日本人、その他ロシア人などが7万弱いた。
その満州国は32年に清朝の最後の皇帝、愛新覚羅・溥儀を摂政にして、共和国として民主国の体裁で誕生した。34年になって溥儀を皇帝とした帝国となる。なお首都は長春を改称して新京とした。
建国の経緯から関東軍が政治・行政に、関東軍司令官が満州国日本全権大使として深く関わった。元首が首相や閣僚、主要な官吏を任命し、制度を定める権限を与えられていたが、実質上、関東軍司令官が高級官吏の任命・罷免を決定できた。
公務員の半数は日本人が占め、地位が高くなるほど日本人占有率の比重は高くなり、日本人公務員は日本国籍を有したままだ。また給料の面でも日本人が優遇され、建国に強く関わった石原莞爾がこれを批判することもあったが、直らなかった。
人口が増加したように、日本主導の重工業化、近代化の経済システムの導入、大量の開拓民による農業開発など成果が見られる。三井や三菱などの財閥系企業を始め日本企業が多く進出したほか、ドイツやイタリアの企業テレフンケン、ボッシュ、フィアットなども進出している。アメリカやイギリスなどは満州国を承認してなかったが、ドイツとイタリアは日本と友好関係を持っていたので満州を早く承認しており、進出企業も多かった。またアメリカが認めてないにも関わらず、フォード、GM、クライスラーのビッグ3やゼネラル・エレクトリックなども進出をしており、国際企業にとって国家間の政治状況と関係ない態度が伺える。
公用語は中国語と日本語とされ、軍や官公庁においては日本語が流通していた。
正平は38年になってから、満州語と満州文字の復活を命じている。
「満州人が真に独立するのは、満州語や満州文字に満州人が誇りを持って利用するようになったときだ」という、民族学者や政治学者の提言を受けたからだ。
清朝時代、満州族は中国の支配階級として君臨したが、満州族の文化は漢文化と融合・同化していって、満州を話す者は満州族でも少数となっていた。清朝政府はこのことに危機感を覚え、満州語の授業と試験を始めた。八旗と呼ばれる社会組織・軍事組織に属する者達「旗人」には積極的に奨励された。だがその効果があったとはいえない。乾隆帝は清朝の最盛期の皇帝で満州語の辞書の編纂を命じるほど、満州文化の発展に力を込めた。1775年に盛京(現遼寧省瀋陽)から「旗人」が乾隆帝に謁見したのだが、彼は乾隆帝の話す満州語を一言も理解できなかった。
このような状況は満州国が建国しても続いており、満州語と満州文字を理解できるものは限られていた。
また正平は38年8月になって関東軍の粛清行っている。
昨年、北支からの日本軍撤退を命じた後、これに逆らう動きをした板垣征四郎、東条英機、武藤章などを予備役などに廻したのだが、関東軍には「一夕会」に同調した者がまだ残っていた。満州は内地に比べ監視の目が緩く、関東軍の中に治外法権的な雰囲気があって、風紀が乱れやすい。そのような情勢を質すのが目的だ。
警察官僚の金子などの内偵によりいくつかの問題が見つかっていた。
更に張作霖爆殺の首謀者河本大作を取り調べしたところ、色々の事情も判明。河本は事件後日本国内で謹慎していたのだが、これを満州に呼び寄せ満州鉄道の幹部にした関東軍の将校がいた。しかもこの将校は陸大出身を鼻に掛け部下を見下したばかりか、部下に粗暴な振る舞いをして、怪我を負わせるなどをしていた。
また、毎週のように歓楽街に出かけ娼婦と遊んでいた者は、公金の使い込みまでが発覚している。
38年10月に正平は満州の視察に赴き、関東軍幹部、満州国日本人か官僚を前にこのように言った。
「現状では満州国の官吏を日本人が占めるのは仕方ないが、それだからこそ、日本人官吏の品行を質していかなければならない。不行跡の者はごくわずかであるが、余計に目立つものだ。そんな者達を野放しにしておけば、満州人の不満を呼ぶ。日本人官僚が品行方正でなければ、満州国はすぐにも堕落する。これからも品行・言動の悪い者達を徹底的に洗い出す。」
正平の狙いは関東軍の掌握だった。
その足で、皇帝溥儀に謁見すると、「何故、満州語の復活を行うのか?」と問われた。
「日本では10世紀に各種の文学が花開き、その書物が今も読めます。満州でも優れた文化が栄え、満州文字で残されている。それなのに現代の満州人が過去の文物を読めないのは不幸なことです。満州人が祖先の偉業を、満州文字で読めるようになってこそ、満州人としての誇りを取り戻せましょう。」
その答えに皇帝も深く頷き、「余も満州文字をもっと習うぞ」
正平は満州を日本に取り込むのは危険だと思っている。
「人口の多い、満州人が日本と混ざれば必ず混乱の原因となる。アメリカは今もなお白人と黒人の差別が残って内乱にならなくても、混乱を抱えている。日本をアメリカのように多民族国家にしては良くない。外国と国交を持った以上、日本も外国人を受け入れなければならないが、精々数百万が限度だ。それ以上他民族を抱えるのは争いの種を取り込むだけだ。」
満州人に満州語を学ばせ、自尊心を取り戻し、満州国の建設に立たせたかった。
「満州人が自尊心を持てば、必ず漢人とは相いれなくなる。それは日本にとって好都合。
日本とって、満州が支那と一緒になるのは脅威でしかない。その脅威を減少させるには、少しでも満州人の独立心を高め、一緒になるのを防ぐのが一番いい。」




