190話 ルーズベルトの悩み
ルーズベルトの経済政策が失敗となるのは明白となるが、他でもいくつかの疑問点が上がる。
第一に就任直後にソ連政府を、認めたことだ。17年にソビエト政府が成立した後も、アメリカでは4人の大統領が共にソ連を承認しようとはしなかった。その理由はソ連が各国に散らばる共産党主義者を利用して、各国の内政に関与し、混乱を仕掛けてきたからだ。アメリカでもこのことが問題になっていたのだが、ルーズベルトが大統領になるとすぐさまソ連を承認した。
アメリカ国内の知識人には左傾化、共産主義に共感する人が多くいて、政権内部にも共産主義者が深く入り込んでいた。例えばアルジャー・ヒスと言う人物は33年に農務省の職員として入省したが、出世ぶりは目覚ましく、すぐに大統領補佐官まで上り詰めた。特に外交面でルーズベルトにアドバイスする立場となり、国際会議で大統領の傍らにいた。ところが、50年になって判明するのだが彼はソ連のスパイと確定した。ヒスがどの程度アメリカ外交に影響を与えたのか不明だが、ルーズベルトの脇の甘さが分かる。
ルーズベルトは莫大な財政出動により景気が好転したことを受け、国民の人気は高く36年に圧倒的な支持によって大統領に再選された。ところが、その半年後になって突如「最高裁判事が70歳を越えても退職しないときは、大統領が任命する」と言い出し、裁判所組織法案を連邦議会に提出した。これは行政の司法への介入に他ならない。国民、法曹界、上下両院からも反対運動が沸き起こる。しかも側近にも法案の内容を知らされてなく、信頼関係を大きく傷つけることとなった。
結局、この法案は反対多数で否決され、ルーズベルトが国民の人気を過信した結果でもある。おりしも緊縮策に転じて「ルーズベルト不況」と重なって国民人気も下がり、大統領への権威を失い、それ以降の議会運営が与党民主党の過半数を占めにも拘わらず、思うようにいかなくなっていた。
もう一つ厄介なことがあった。アメリカは伝統的に旧大陸国の紛争に関わりたくない伝統を持っていた。孤立主義、モンロー主義とも呼ばれる政治家は連邦議会の多数を占める勢力だった。これに反し、ルーズベルトはウィルソン大統領からの国際協調を重んじ、ヨーロッパ情勢に積極的に関わるべきという考えの持ち主だ。この点でもフーバーが孤立主義者(モンロー主義)であり、二人は相いれない仲だった。
35年に孤立主義者によって「中立法」が成立し、交戦中の国に、アメリカから武器や弾薬などを輸出が禁止されるこのになった。これは先の大戦中にモルガンやジュポンなどの軍需産業が莫大な利益を上げていて、しかも時のウィルソン大統領に働きかけをしていたことを反省したものだった。大企業が利益を得るために戦争をさせたこと、ウィルソン大統領が掲げた民主主義を守るためと言う戦争への大義名分は建前だけのものと分かったのだ。
中立法は武器輸出を禁止して軍需産業の政府への働きかけを防ぐ狙いだった。だがこれはイギリスなどの友好国に武器輸出が出来なくなることでもあった。ルーズベルトは反対したが、孤立主義者の勢力が強く彼の意見は反映されなかった。この「中立法」が後々、ヨーロッパ情勢を深刻に考えて、各国政府に干渉を伺うルーズベルトの足かせになった。
37年にこれらの孤立主義者に反論するかのようにルーズベルトは「隔離政策」を発表するのだが、136話で書いたように極めて評判は悪かった。隔離政策とは日本、ドイツ、イタリアなどが行っている残虐行為を示し世界の平和に毒するものとして非難し、病原菌をまき散らす患者が隔離されるように、3カ国も隔離しなければならないと言ったものだ。
これに対し国内世論は「何故外国に干渉するのか?」と大統領に批判的に傾いた。これに懲りたのかそれ以降、日本、ドイツ、イタリアを刺激するような発言は控えていたが、ルーズベルトの3国への不信感は根強いものだった。一方でスターリンがソ連国内で多くの粛清を行って、多数の国民が苦しんでいるのは知られていたのだが、敢えて目を瞑ろうとした。このあたりの彼の心境はどうにも分からない。側近のヒスなどの影響があったのか、共産主義への共感なのか、とにかくソ連に対しては極めて寛容な態度で外交を続けていく。
ルーズベルトに影響を与えた女性に母親のサラがいるが、もう一人、妻のエレノアがいた。
彼女は派手なことが嫌いで、夫が大統領になったことでファーストレディとして注目されることも、ホワイトハウスで暮らすのも嫌がった。彼女は自分の容姿に自信がなく、微笑むと顎が出るのを気にしてカメラの前に立つのを避けた。また派手なことを嫌い、不況で困窮している国民の前で盛大なパーティをためらい、子供たちを招くパーティと退役軍人のパーティ以外は行わなかった。そんな彼女に女友達のヒコックは女性記者をホワイトハウスに招き懇談するように忠告した。さらに、コラムを新聞に書くなどして次第に社会への関わり合いを持つようになっていた。
やがて身体の不自由な夫に替わり各地を視察し、ニューディール政策がどのように行われているのか見るようにもなった。炭鉱では鉱夫と共に坑内に降り、アメリカ初の女性パイロットと共に空も飛んだ。そんな行動は過去のファーストレディはしたこともなく、国民は驚きと共に親しみを感じ、温かく受け取ってくれた。エレノアは二等列車に乗り、飛行機ではエコノミークラスを利用して、隣の客と気さくに話もした。そうすることで国民が何を悩み、考えているのか肌身で知った。その情報をメモし、夫に託すのが日常のこととなって、ルーズベルトの政策には彼女の助言が重みを持つようになった。ルーズベルトは「妻の話では」と必ず前置きするのが恒例となるほどで、失業保険や黒人問題などにも彼女の考えが生かされた。
ところが夫婦仲は完全に冷え込んでいた。原因はルーズベルトの浮気だった。彼がポリオを患っていた頃、エレノアの友人だった女性秘書と肉体関係を持つようになったのだ。夫と信頼する友人に裏切られたエレノアは衝撃を受け、それ以降仮面夫婦となった。
それでもエレノアは大統領夫人を懸命に演じていた。彼女を支えてくれたのがヒコックの存在であり、それがなければ表に出て夫を助けることはなかっただろう。
ルーズベルト夫婦が仮面をしていたように、国民にも真実を知られていないこともあった。彼は記者と懇談し、ジョークを交えるほど仲が良く、そのためか記者たちもルーズベルトのプライバシーに関することをあげつらうようなことはなかった。国民の間では、大統領が病気で下半身がマヒしたことは知られていたが、すでに完治したものと思われていた。多くの国民は彼が車椅子で移動しなければならないことを知らなかった。外面を気にしたルーズベルトの意向に記者たちが阿っていたのだ。
また政策決定の場面でも、他人からの批判に耳を傾けない、自説を曲げずに推し進める傾向があって、裁判所組織法案など批判を浴びても引っ込めない強情なことがある。外交政策では日独伊には敵意をむき出しにしながら、ソ連には寛容な態度をとるなど矛盾することもあり、世界に大きな影響を与えていくことになる。
38年は世界の平和と戦争への岐路だったと前に書いていたが、世界最大の国家を率いるアメリカ大統領が見た目は寛大で、決断力のある人物に映っていても、中身は多くの悩み矛盾を抱えていた。
来月、越すことになり、ネット回線も変えることになります。回線がスムーズに切り替わるか分かりませんので、あるいは投稿に支障出るかもしれません。
投稿はまた偶数日だけになり、投稿間隔も開くかもしれませんが、小説は書き続けていきますので、投稿が途絶えても気長にお待ちください。




