187話 ドイツとイギリスの対外政策
ヒットラーはやや強引ではあったが、軍事衝突を起さない平和的手段で「ドイツ帝国」の領土を取り戻していった。外交的な勝利であり、紛れもなくドイツ国民から歓呼がこだましていた。歴史家は「38年にヒットラーが不慮の死を迎えていたなら、ドイツの歴史上最大の英雄として後世にまで名を残していただろう」と言っている。その英雄ヒットラーに残された外交課題が、「ポーランドの回廊」だった。
ポーランドの北部のバルト海に面する港町ダンツィヒは人口40万で住民の95%がドイツ人だった。更にはこの地域周辺は東プロイセンとも呼ばれ、ドイツ人が多く住み、西のプロイセンと一緒に「プロイセン国」を形成していた。
ヴェルサイユ条約によってポーランドは独立が認められ、東プロイセンはドイツ領としてとどまったが、ダンツィヒは自由都市となり、西プロイセンはポーランドと分け合うこととなった。西プロイセンの一部がポーランド領となったことで、東プロイセンはドイツ本国と飛び地の関係になった。また同じくドイツ人が住む同じバルト海沿岸のリトアニア南部のメーメル地方はリトアニアに属することとなった。自由都市とは、国際連盟の保護下に置いて独自憲法の制定を許され、どこの国にも属さないものだった。ポーランドにとってのダンツィヒは国外として扱われるが、ダンツィヒとを結ぶ鉄道はポーランドが管理し、ダンツィヒ港の使用は認められた。
このドイツ本国とダンツィヒや東プロイセンとを結ぶ地域が「ポーランドの回廊」と呼ばれ、住民はポーランド人も多く住んでいたが、ドイツの影響を強く受ける地域だったのだ。
これだけの事情もあって、ヒットラーにとって自由都市ダンツィヒや、「ポーランドの回廊」の存在に我慢できないものだった。
ただ、この時まではヒットラーは平和的な手段を駆使しており、特にイギリスとの戦争は回避する姿勢をとっていた。彼の著作「我が闘争」においてもイギリスとは戦いたくないと明言している。ポーランド回廊も力づくの奪取は考えてなかった。
ヒットラーはユダヤ人と共産主義が大嫌いだった。ユダヤ人は国外に追い出してしまえばいいが、共産主義はソ連を倒さなくてはならない。ヒットラーの最終目的はソ連打倒であり、そのために日本、イタリアと「三国防共協定」を結んで、ソ連との戦争を想定していた。チェコスロバキアを解体したのもスロバキア領内からソ連に攻め込むルート確保のためであり、もう一つ「ポーランド回廊」も攻め込むルートに欠かせなかった。
それだけソ連との戦争を考えていたヒットラーはイギリスとの戦争など最初から考えてない。
東西のソ連とイギリス両国と同時に戦う両面作戦など「外交の天才」が考えるはずもなかったのだ。
イギリスにおいてもヒットラーの外交政策を高く評価している。例えば、大戦中イギリス首相だったロイド=ジョージは36年9月にドイツを訪問し、ヒットラーと面会した。彼はヴェルサイユ条約でドイツを追い詰めた張本人とも言うべき人物でドイツを酷く嫌っていた。その彼がヒットラーの感想を次のように述べている。
「ヒットラーの政治手法は議会が機能している国では使えないものであるが、ドイツ国民を鼓舞し、自信を回復させ、次の社会と経済に希望を与えたのは事実であり素晴らしいことだ。(中略)彼は生まれながらの指導者であり、人を惹きつける魅力がある。ドイツ国民は戦争中、そして戦後の1年間は飢えに苦しみ、70万人が亡くなった。その頃に生まれた子供には体型に後遺症が見られる。彼はその国を絶望、貧困、屈辱から解放した。若者の支持は絶対的なものがある。(中略)大戦前のドイツはヨーロッパの覇権を目論んでいたが、今のナチスドイツにはそのような気配は全くない」
これはオーストリアとの合邦とチェコスロバキア解体以前の話ではあったが、イギリス要人の発言でもあり、イギリス政府もこの考えに近かった。
その証左は37年11月にイギリスのハリファックス卿との対談で明らかだ。ハリファックス卿は「オーストリアやチェコスロバキア及びダンツィヒとの国境の線引きの変更は、平和的であれば反対しない」と言明した。ハリファックス卿はヴェルサイユ条約の矛盾点に気付いており、ドイツの主張に耳を傾けたのだ。ドイツが望む旧ドイツ領の回復は当然と思っており、軍事手段を使わない限りイギリスは反対しない立場を取った。彼はこの後にイギリス外務大臣に就任しており、イギリス政府の発言と思って良いだろう。
これを受けヒットラーはこの線に沿って行動を起こしている。ウイーンやプラハに侵攻しても一人の死者を出さなかった。
何より新たにドイツ国民になった人々がドイツ軍を歓迎し受け入れた。しかも併合された後のオーストリアの経済発展は素晴らしく、投資、工業生産、住宅建設が活発になり、消費も拡大した。38年9月の併合から半年間で、オーストリア住民の所得は9%上昇したのだ。これを見ては他の国外地域のドイツ人もドイツに入りたくなるのは当然だろう。
ヴェルサイユ体制があまりにドイツを苦しめさせていた。オーストリアとの合邦、ズデーテン地方の併合は、ドイツ民族の統合の立場から見れば正常になったと言える。
後は、どのようにして「ポーランドの回廊」を平和的に取り戻せるかになっていった。




