164話 フランクリン=ルーズベルト
ルーズベルトによる隔離演説はアメリカ内で大きな反発を呼び、それ以後彼の発言はトーンダウンした。では彼の言動には時々大きなブレがあるのが特徴だ。
では彼の生い立ちを見よう。
第32代アメリカ大統領のフランクリン=ルーズベルトは1882年にニューヨークの裕福な地主の家に生まれた。先祖は1650年ごろオランダからアメリカに移住し、1788年にはアメリカ憲法制定委員を務めた人物を輩出した家柄だ。父は鉄道会社の副社長をしており、母は26歳下で、フランクリンは父親が54歳の時の息子だった。長兄は既に結婚し子供もいて、彼は甥よりも遅く誕生したことになる。
母は典型的なフランス系プロテスタントであり、生涯彼に大きな影響を与え続けた。幼少の時には当時の金持ちの家の風習で女の子の服を着せられ、また、家庭教師を付けられ学校に行くこともなく育ち、同年代の子供と遊んだことはなかった。14歳で名門校に入るが、寄宿舎生活になじめなかったと言われる。
04年にハーバード大、08年にコロンビア大のロースクールを卒業し、法律事務所の仕事を引き受ける。また05年にはセオドア=ルーズベルトの姪と結婚し、5男1女をもうけた。
11年になってニューヨーク州議会で民主党議員になったのを皮切りに、政治家の道を歩む。彼は当時民主党を支配していた「タマニーマシーン」に反旗を翻し、反対派のリーダーに躍り出る。13年にウィルソン大統領により海軍次官に任命され、中米やカリブ海諸国に海軍や海兵隊を派遣する。これ以後、彼は海軍と深い関係を持った。大戦中はドイツの潜水艦の脅威に対抗するため、海軍予算を増大と潜水艦の導入を推進し、バルト海やスコットランド沖までに機雷の敷設を提唱した。
20年にアメリカ副大統領候補になるが、共和党候補に大敗し、一時政界を引退する。この頃、ポリオを発症し、下半身が麻痺し不随となる。
しかし28年に大統領選に出馬するために辞職したニューヨーク州知事の替わりに、知事になると改革に力を注ぎ、改革派として注目される。
32年には現職のフーバー大統領と争い、有名な「ニューディール(新規まき直し)」という用語を初めて使い、フーバーの財政政策を無駄遣いとして激しく批判して当選する。
大統領になると彼は大胆な政策を行った。
世界恐慌に対し、有効な対策を取れなかった前職に比べ、「ニューディール政策」と呼ばれる、政府の経済への介入を行った。テネシー渓谷開発公社、民間植林隊、公共事業促進局、社会保障局、連邦住宅局など大規模な公共事業を矢継ぎ早に実行する。ケインズ学に基づき、経済不況を政府の介入で克服しようとするもので、33年以降、アメリカ経済は景気回復に入る。
これらの政策は国民の圧倒的な支持を得て、36年の大統領選挙で歴代最高の得票率で再選を果たした。
ただ、ニューディール政策は背府の財政を圧迫し、いずれは金融・財政を引き締めることになり、景気後退を生む。結局33年から40年の間ではGDPと失業率は29年の水準に戻らなかった。
アメリカは10年代から、中米・カリブ海諸国に積極的に介入していた。27年に始まったニカラグアの内戦ではゲリラ戦に苦労していた。ルーズベルトは中米諸国から軍隊を引き揚げる代わりに、キューバのバチスタ政権、ニカラグアのソモサ政権を押し立て、傀儡政権として間接的な支配に転換する。
37年には最高裁改革の失敗に続き、民主党保守派の議員が共和党と手を組みニューディール政策に反対し、ルーズベルトは議会で影響力を失い「棄てられた指導者」であった。
ルーズベルトが日本やドイツに対して隔離政策を唱えだしたのは、外交で強硬策を取り、内政の失敗から国民の目を逸らそうと考えたのかもしれない。
彼のもう一つの側面に日本に対しての偏見が見え隠れする。ニュ―ヨーク・タイムズの記者は「ルーズベルトは日本の敵意を煽り、枢軸側に追いやるためにあらゆる手段を講じた」と話す。大統領選で敗れたフーバーは「日本との戦争に入りたい狂人の欲望」と厳しく批判をする。
大統領自身も「日本人は他のアジア民族と混血させなければならない」とも語ったと言われる。
中国には宥和的なのに比べ、日本には敵意を隠そうともしない。
アメリカ社会のアジア人への偏見。成長時期に同世代の子供と交わらなかったこと。下半身まひを隠し続けたことに見られる鬱屈した感情。急速に勢力を伸ばす日本への警戒。彼が、どんなきっかけで日本に偏見を抱くようになったかは分からないが、彼の対日戦略はその後に大きな影を残した。
正平はアメリカ大統領の人柄を知るにつけ、対日強硬姿勢に驚く。
「ルーズベルト大統領の政策は周囲の助言で決定されているとは思えない。大統領個人の考えで行われている。独断で決定するタイプだが、このような人は一度こうだと思い込むと、なかなか考えを変えない。
日本から友好を呼びかけていくのは当然だが、あの大統領と打ち解けて話せるようになるのは容易ではないな」




