158話 メアリの手紙
アメリカ大統領の声明をメアリは聞き、大統領が大きな誤解をしていると感じた。
「これではまるで正平が中国を侵略していると言っているようなものだわ。」メアリは大統領あてに手紙を書き、日本大使館経由でホワイトハウスに届けられた。
「親愛なるフランクリン=ルーズベルト大統領閣下。私はメアリ=ホプキン=塚田で、日本の首相、正平=塚田の妻です。
アメリカ人で、日本人の夫と結婚して13年になり、1男2女の子供を授かっています。
その私の眼から今度の大統領の声明には、誤解があると思い、手紙をしたためました。
夫を近くに見て、夫が平和主義者であり、戦争を嫌いなことを良く知っております。
大統領閣下にはこのことをご理解していただきたきたいのです。
正平は若くして日露戦争に従軍し、旅順攻防戦に加わり、片目を失いました。その後、アメリカの陸軍大学に入りました。入学条件の厳しい大学に入れたのは、旅順での体験を提供する約束だったと聞いています。そこで、彼はアメリカの軍事の考え方を学ぶとともに、旅順での体験をもとに新しい戦法などを研究し合ったと聞きます。今でも正平の研究は大学に残っているはずです。アメリカの軍事学校で学長を始め多くの教官から指導を受け、さらには鉄鋼王カーネギー氏や自動車王フォード氏などの著名な実業家に会い、感銘を受けたのです。そのことで、アメリカの発展は自由主義と民主主義がもたらしたものと実感し、日本にも自由民主主義を確立しようと決意しました。
その後、世界大戦が起き日本は連合国側として、ドイツと戦いました。当時、ドイツの占領下にあった青島を日本軍は攻め、正平も陸軍の参謀として加わりました。たまたま私は父と中国を旅行中で、北京に滞在しておりました。私は父の伝手で新聞社に記者として入る予定でしたので、青島の状況が気になり、取材に行ったのです。ただ、ほとんどの日本兵には英語が通じず、正平が私の話を聞いてくれたのです。私は正式な新聞記者ではありませんでしたが、他の特派員同様に、正平の計らいで、記者の身分証を受け取り、青島を取材できました。
青島は攻防戦の直後だったと言うのに、市内は平穏で略奪・暴行行為など見かけませんでした。私は2週間、現地にいたのですが、日本兵は規律正しく行動し、ドイツ兵も待遇に不満の様子はありませんでした。どちらかと言うと現地の中国人の方が、白人に対して反発が強く、言い争う場面も何回か見たことがあります。その後、ドイツの捕虜は日本国内の収容所に送られますが、穏当な待遇を受け、感謝のしるしにオーケストラを編成して、第九を演奏してくれたようです。戦後、多くのドイツ捕虜は母国に帰りましたが、中にはそのまま日本に残り、パンやケーキの店を開いたそうです。私もその店に行きましたが、繁盛しており日本人に受け入れているのが分かりました。
大戦後、正平は、飛行機や戦車などの新たな武器を研究するため、ヨーロッパやアメリカに渡りました。アメリカでは自動車会社と日本国内での工場誘致なども交渉したそうです。その折に私は正平が奥さんを亡くし、二人の息子達に英語を教える家庭教師を探していると知りました。私はフリージャーナリストになり、日本の女子大学から英語教師の話もあったので、彼の息子達の家庭教師を引き受けました。
しかし、その直後東京は大地震に見舞われ、東京は焼け野原になったのです。私を受け入れるはずだった宿も焼失してしまい、正平は私のために部屋を用意してくれたのです。音楽などの趣味も同じで、正平と私は気が合い、結婚をしました。
日本の陸軍には正平などの開明派のグループ、伝統を重んじる保守派グループ、そして全体主義を主張するファッショ派グループがあり、互いに勢力争いをしておりました。三者は考え方の違いから、何度か衝突し、暗殺事件やクーデターなどが引き起こされたのです。正平は陸軍大臣に就任しましたが、満州事変が起こり、戦線の拡大を防止するのに懸命でしたが、解任されてしまいます。その後も日本と中国とは緊張関係が続き、何度か戦闘が引き起こされてしまい、北支に日本軍が侵攻するようになりました。
政権が何度も変わり、今年2月正平は首相になり、ようやく復権しました。その直後に北支から軍を撤退させることを決定し、4月に完全撤退させたのです。
この度大統領閣下が非難をした、張作霖の暗殺事件は、日本軍のファッショ派グループの将校が引き起こしたもので、10年前のことです。勿論正平は関与しておりません。事件当時日本国内では、暗殺事件を公表するかしないかで議論が沸き起こった結果、公表しないことになったのです。公表を主張した首相は責任を取り、辞任しました。
正平が10年前の事件を公表したのは、日本軍兵士の武力に心酔する意識を払しょくする狙いがあります。日本の軍人の意識を変え、民主主義と自由主義を尊重させようとしたのです。事件を公表することで、力だけでは社会が良くならないことを示したのです。
正平には私の前の夫人との間に二人の息子がおり、その息子達をアメリカの大学で教育を受けさせました。現在長男は卒業して、日本とアメリカを繋ぐ貿易の仕事しており、次男は卒業した後も大学に残り、宇宙理論の研究をしております。
私たちの間に生まれた子供たちはまだ幼いですが、いずれは3人ともアメリカの学校で学ばせようと考えております。
可愛い子供たちをアメリカで学ばせたいと思っているのは、それだけ私も主人もアメリカの自由で民主的な社会を子供たちに体験させたいからなのです。
でも私たちのように考えを持つ者ばかりではありません。
日本は古く伝統のある国で、多くの違う考えを持つ人たちもおります。その人たちは日本の伝統を重んじ、自由主義、民主主義に反発しております。正平はなんとかその人たちに、自由主義と民主主義の良さを理解させようとしているのです。正平がいなくなれば日本に平和を尊ぶ大きな柱が失われます。
大統領閣下。どうか正平が平和を守るために懸命なことを理解していただき、見守っていただきたいのです。」
メアリは正平に手紙を見せて、「何か問題がある?」聞いてきた。
正平は宇垣派を開明派と呼ばれることに違和感は在っても、妻の手紙に何一つ注文はしないで、大統領の手元に届くように手配した。
大統領からの返書はなかったが、その後、大統領は日本を非難することはあっても、正平を名指しで非難はしなくなった。




