156話 裁判
その後、天皇に「10年前の張作霖爆発事件の実行犯の証言が新たに得られ、河本が計画し命令した首謀者と判明したので逮捕しました」と奏上する。
その時にやはり、「今さら何で逮捕するのか?」と質問を受けた。
天皇も事件は終わったものと認識しており、新たな証言も当時から指摘されたものと大きく変らず、目新しいものと考えなかった。
その程度のことで今さら逮捕するのかと疑念を呈したのだ。
「その後、張作霖の爆死を日本軍の仕業と考えた息子の張学良は日本に敵意を向け、満州で様々な反日行動をしています。また当時、田中閣下は蒋介石に連絡を取り、日本―支那間の問題解決に向け、会談をして、新たな友好関係を築こうとしていた矢先です。あの爆殺事件がなければ満州事変は起きなかったかもしれないのです。
しかるに、河本は退役させただけの処分で終わり、拘束もされてないばかりか、1年前には関東軍の将校から、満州鉄道の幹部に迎えられておるのです。我が国に重大な損害を与えながら、犯人は何一つ不自由なく暮らしをしている。このような理不尽を許したままにしておいては後世に大きな禍根を生じさせます。
またこのような者を放置しておけば、軍部の中に新たな工作し、騒動を起こし、災いの火種をまき散らす者まで出現しかねません。河本の逮捕はこれを未然に防ぐものです。
河本をこれから、正式に起訴して普通の裁判に掛けます。公開された裁判で国民は真実を知ることになります。謀略行為があったことがつまびらかになり、軍部の暴走を認めない国民の意識にもなります。今後クーデターを生まないためにも河本を逮捕します。」
天皇も河本が満州で優雅に暮らしていることは知らなかった。正平が満州での河本の暮らしぶりを話した時に、怒りの表情が現れたのを正平は見た。
「陛下も事件を許さないお気持ちだ。陛下のお気持ちを絶対に裏切らないぞ」
正平は田中儀一の轍を踏むまいと決意を新たにした。
河本を起訴するうえで問題となるのが、河本大作が行政処分を受けて退役させられていた事実だ。一つの犯罪に対して処分されていたのに、後に同じ犯罪を裁けないことだった。
「河本は行政処分であり、軍事裁判に掛けられてない。刑事事件として正式に起訴すれば二重処分に当たらない」と判断された。
それもあり、軍事裁判ではなく、通常の裁判で行われることになった。
その裁判は公開され、報道関係者も注目し多数が駆けつけた。まだ始まったばかりで起訴内容だけに終わり、河本たち被告の認否も始まってない。
それでも紙面には「10年前に起きた張作霖の爆死事件は関東軍の将校が引き起こしたものと判明」と文字が踊る。
報道機関の中には当時から張作霖の爆殺が関東軍の仕業ではないかと疑う者が少なからずいた。だがそうした報道関係者も、検閲や軍部の意向を怖れて、これまで事件を記事に出来なかった。
今回、裁判が公開されたことで新聞やラジオでも堂々と報道され、事件は持ちきりになる。
「やはり関東軍が起こしたことなのか」
「あの当時も、関東軍がやったという噂が何度も出ていた」
「爆破用に使われた電線が関東軍の小屋まで伸びていたという話もあったよな」
「ルンペンを犯人に仕立てようとして、現場に死体を置いといたが、そのうちの一人が生き残っていたという話もあるぞ」
「それを、もみ消していたんだ」
「でも、どうして政府は今になって裁判にするんだ」
「塚田内閣のやりかただろうな。悪事は見逃さない姿勢だよ」
「226事件も公にしたし、軍部に歯止めを掛けようとする考えもあるんじゃないか?」
記者たちも様々な憶測を交わし合う。
ただ翌朝の新聞はこぞって、正平の姿勢を評価するものだった。226事件以来軍部批判が出来なくなった反動もあり、喝采する記事までもある。
「塚田首相の英断」
「悪弊を除去」
「非合法を許さず」
など、軍部の謀略を非難するとともに、正平の決意を称賛した。何よりも自由に記事を書くことの喜びを実感していた。
天皇機関説が問題となってから、学問・思想・教育の自由が狭められていき、226事件以来、軍部を批判など出来ない風潮になってしまっていた。その重苦しい雰囲気に今回の裁判は風穴を開けると受け取ったのだ。
「これで自由にものが書ける」言論人にとって裁判が開かれたこと自体に期待が湧く。
これに国民の声も同調する。
「軍部が裏でこんな悪事をしていたのは許せない」
「他国の要人を殺すなどもってのほかだ」
「満州事変だって、起きなかったかも知れないぞ」
「皇国の軍人が謀略工作をした」という信頼していた軍人の裏切りに憤る声が多い。また、
一方皇軍兵が何を意図して工作を行ったのか、それを疑問に思う者もいる。
「どういう目的で関東軍が張作霖を殺したと言うのだ。何の利益も生み出さないぞ」
「本当にやったと言うのか。被告の弁明を聞くまでは分からない」
それは、皇軍の兵をあくまでも信じたい気持ちでもあった。
この裁判では殺人罪はもとより、政府の命令なしに国外の要人を殺害したことが問題となり、国家反逆罪になるかが問われることになった。河本は殺人罪と反逆罪を否定し、長期の審議を重ねることとなり、結審は翌年の見通しになる。




