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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
13章 激化する派閥争い
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119話 隊付き青年将校

陸軍では士官学校を卒業した候補生は、見習い士官として部隊に配属される。そこで半年ほど勤務した後、そこの連隊の将校達にから会議にかけられ、将校適任と判定されると少尉に任官する。いわゆる“新品少尉”として連隊の将校団の一員となる。

新品少尉はまず中隊付きとなって、新兵教育の教官になる。中尉になると中隊付きのまま、中隊長や大隊副官が欠員などの場合は代理になれる。

ここで陸軍大学に入学できるかどうかの分かれ道になる。このまま大尉にまで進級すると陸大を受ける資格がなくなるのだ。

陸大への受験には連隊長の推薦が必要となり、陸大に入学するといわゆるエリートコースに乗れる。この中尉時代が、平凡軍人とエリート軍人となるか重要な境目になった。

陸大を卒業すれば、一応は出世コースに乗ることができるが、陸大に入ることが出来なければ「平凡な軍人」コースを歩むことになる。大尉や少佐で昇級が足踏みしていると、各階級の現役定限年齢が迫り、予備役にまわされてしまう。

隊付き将校とは連隊などの部隊から離れることができず、陸軍の中央幕僚などのエリートコースに乗れなかった将校を指す。

もちろん、陸大卒でも出世が遅れる者や、陸大を出てなくても出世した人もおり、一概に陸大卒でないと出世できないというわけではなかったが、そのようなケースは稀だった。


簡単に陸大に入れなかった将校と陸大卒の将校の進級を比較する。

陸大に入れなかった普通の将校のコース

29歳で大尉。33歳で中隊長。35歳で旅団の副官。39歳で少佐。42歳で大隊長。45歳で中佐。このまま中佐として学校配属され53歳の定年を迎える。

陸大を卒業したエリート将校のコース。

29歳で大尉。海外勤務をしたのち35歳で少佐。39歳で中佐。43歳で大佐。48歳で少将。52歳で中将。57歳で大将。65歳で定年を迎える。

ざっと見てもひどい差別だった。これでは隊付き将校のエリート将校への恨みは分かるし、陸軍の硬直した人事制度にも驚く。


統制派は陸大卒のエリート集団であり、たたき上げの隊付き将校から見れば、反感の対象になるのは当然だった。

隊付き将校は一夕会などの中堅幕僚とはまた違う形で国家改造の動きを満州事変前後より見せるようになる。

大岸頼好、菅波三郎、末松太平、大蔵栄一などが中心メンバーだった。彼らは国家改造を考えるようになる。

やがて北一輝の影響を受けた元陸軍少尉の西田税にしだみつぐと連絡を取り合い、海軍の青年将校や井上日召などとも繋がりを持つようになる。

青山青年会館で国家改造を目指す、陸軍と海軍の青年将校が集まり、これに西田や日召などが加わって、相互の連携が申し合わされた。

この後、日召は血盟団事件を、海軍将校達は5・15事件を引き起こしたのだ。


永田も彼らの動きを警戒していた。永田は次のように言っている。

「軍内の内情は今や不統制の欠陥を露呈している。青年将校急進分子は長上と分離し、横断結束を持って自ら皇国維新の前衛と任じ、急激なる変革を策しつつある。その同士は二、三百名をくだらない。彼らの国を思う赤誠は認める。しかし、長上を軽んじ、同士を糾合し、部外者と連携して、密かに策することは軍紀上許されざることだ。それゆえに、上下分離並びに隠密策動の状態を是正しなければ、軍の崩壊をきたす。

しかし、軍規軍律に基づく断然たる処置は、彼ら熱誠の将校を潜行させるか、過激化させることになる。またいわゆる思想善導の方法により、彼らを反省させるのも不可能である。

従って、国軍統制の根本的方策は国内改善の目的において上下合一し、適正適時なる手段をふるいて、着々これを具体化することである。それゆえ軍首脳部は、確固たる具体案と適時適法なる手段により、政府当局を鞭撻指導することが必要である。」


現代人から見れば非常に分かりにくい言い方だが、要は「青年将校達は上官を軽んじ、同士を集め、革命を画策している。しかし、彼らを規律により縛ろうとすれば隠れるか反発する。また善導指導しようとしても不可能。だから、軍上層部は統制のため、適正な手段を講じなければならない。」と言っている。適正な手段は具体的に明示せず、今後研究すると言ってもいる。

相当、永田も隊付き将校の扱いに苦労をしていたことが伺える。

また、5・15事件の後、土橋勇逸、武藤章、池田純久、片倉哀などの幕僚と村中浩二、大蔵栄一の隊付き青年将校が会合をした。

幕僚側は「軍政管理者以外は断じて政治工作に関与してはならない」と言うのに対し、

隊付き青年将校は「軍中央部は我々を弾圧する気か」と応酬する。

幕僚が「そうだ」と答えて、会合は決裂した。

永田の言うように頭から隊付き将校を抑えようとすれば反発されたのだ。


隊付き青年将校などの国家改造グループは皇道派青年将校と呼ばれることになる。彼らは荒木や真崎、小畑などの陸軍上層部とは考えが全て同じではない。しかし、荒木などに可愛がられて事もあり、皇道派の別動隊の性格を帯びてくる。

さらに荒木や真崎たちも永田により陸軍中央から追い払われたことと重なり、永田への憎悪が膨らんでいた。

34年11月に士官学校事件が起こる。統制派の東条は部下の辻正信大尉を士官学校に行かせる。ここで生徒からクーデター計画(帝国議会、首相官邸襲撃)のあることを聞いて、辻は憲兵に報告し、そこから隊付き将校や仕官候補生などが逮捕された。だが逮捕された隊付き将校は統制派によるでっち上げだと主張した。

これに真崎の教育総監罷免が重なる。真崎は「これは真崎一人の問題ではなく陸軍の人事の根本を破壊するものだから承知できん」と反論し、皇道派の隊付き将校も林大臣の行動を統帥権干犯と非難した。


隊付き将校は徴兵で入隊してくる兵士から直に農村や漁村の惨状を聞いている。

その惨状をどうにか変えたいと思う気持ちが「国家改造論」になるのだが、具体的な政策を全く考えていなかった。

その考えは「国民の窮状を顧みない政治家や財界人には我慢できない。我々は国家の行方を案じているのに、幕僚たちはただ押さえつけようとするだけで何も分かってくれない。

俺達の気持ちが分かってくれるのは荒木、真崎の両閣下だけだ。

その二人が永田により不遇を囲っている。永田は絶対に許すことができない」

永田鉄山に向けられた憎悪は日増しに高まり、悲劇はどす黒い怨念を増しながら近づいていた。


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