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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
13章 激化する派閥争い
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113話 小畑敏四郎

ここで、いずれ鉄山と対峙することになる小畑敏四郎についても書いておこう。

小畑は1885年小畑男爵の4男として高知県に生まれ、陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校(16期)に入り鉄山や岡村寧次と知り合った。陸大を卒業後、1905年ロシア駐在官、参謀本部部員、26年には参謀本部作戦課長になった。

21年のバーデン・バーデンの会合以来永田達と一夕会を組むようになるのは前述通り。


ただ永田と少し違うのは彼が荒木陸相などと同様に、陸軍元帥上原の流れを汲んでいたことだ。

荒木が就任すると、翌32年2月、同じロシア通で信頼の厚い小畑を再び参謀本部作戦課長に起用する異例の人事を行う。

そのため、他の一夕会メンバーに比べ荒木とは気が合い、参謀本部にありながら、陸相室によく出入りするようになる。陸軍省にいた者には随分煙たがられたようだが、それだけ荒木から信頼されていた。


荒木と小畑も陸軍の近代化と資源確保の重要性は鉄山と同様に認識していた。

しかし結論は違う。

「日本は、欧州と違って、国内に資源がないし、しかも資源供給地である植民地も持ってない。

だから日本が総力戦を行うのは不可能であり、総力戦を行うのは国民に負担を強いるだけになる」と考えた。

ならば、どうするか。

「総力戦体制のかわりに、資源不足は、将兵の精神力で補う」それが彼らの考えだった。


小畑はロシア帝国に武官として派遣され、従軍体験をしている。

世界大戦の話に出たように「タンベルクの戦い」でロシア軍は三分の一の兵力に過ぎないドイツ軍に壊滅的な損害を受けた。

ロシア軍は通信を暗号化しないために作戦行動が筒抜けになり、ドイツの仕掛けた包囲作戦にはまり、ほぼせん滅されたのだ。

ドイツ軍の将軍・参謀の有能さとともに、ロシア軍の作戦の拙さ・将兵の弱さが現れた。

これに着目した小畑は、「仮に日本軍の将兵が優秀で、敵が弱ければ、殲滅作戦で局地的大勝利を得ることもできる。短期決戦に持ち込めば戦争に負けない」と考えた。

この経験がもとになって作戦本部課長に抜擢された時、荒木の下で「包囲殲滅戦+短期決戦」を軸とする「統帥綱領」の大幅改訂を行っている。


その骨子は次の通り

「できる限り戦争を避けるべきであり、戦争するなら勝利可能な相手と短期決戦でのみ行う。そして勝利を得る」それが絶対な条件だった。

この段階で勝利可能なのはロシア(ソ連政府)であり、しかも日本とは隣国で常に脅威を受けている。戦うならソ連が第一と考えた。

英米仏などの勝てない相手とは、戦わなければ良いのだ。

ただし、日本軍将兵の錬度・精神を徹底的に鍛え上げ、無敵の強さまで向上させる。

いわゆる精神論だ。

それが彼らの考え方だ。


33年5月末に塘沽カンクー協定により満州事変は一応の終結を見る。

この直前に陸軍省と参謀本部は計4回の会合を行っている。

会議は今後の方針を決めるものだった。

小畑は「対ソ防衛が第一であり、日支提携による平和を確立する。ソ連とは熱戦だけでなく、冷戦に対しても防衛を固めるべき」と主張した。

この意見でまとまりそうな時に永田鉄山が反論する。

「武力を持って、支那を叩き、その上で、足元を固めソ連に備える。それによって平和が確立する」と述べたのだ。

これには小畑が驚いた。

「支那には英仏が権益を持っており、アメリカは自由貿易を標榜して自らの権益を狙っている。この支那に手を出せば、これらの列挙国と戦いになる可能性がある。そうなっては日本に勝ち目はない。対ソ戦を準備しつつ、それ以外との戦いは避けなくてはならない」語調強く言った。

支那に対する考え方が、遂には二人の対ソ戦略を巡る対立にまでになる。

小畑の考えは「満州や日本をソ連の攻撃から守るため、ソ連には一撃を与えておくべきだ。今のソ連は革命後の混乱で極東において、軍備が整っていない。今のうちにソ連に痛烈な一撃を加え、日本にあだなすことがないように先制攻撃を加える」と言うものだった。

小畑は「戦術の鬼」と言われるくらい、作戦や戦術を重視している。彼の目には混乱しているソ連なら叩けると映っていた。

小畑が陸大での戦術論を講義する時、必ず口にされる有名な言葉があった。

「百戦百勝は善の善なるものに非るなり、戦はずして而して人の兵を屈するは善の善なるものなり」という孫子の謀略篇の中の有名な言葉だ。それだけにソ連に勝てると考えていたのだろう。


それに対し鉄山は「次に日ソ間で戦争が起きた時は、国家の存亡をかけた総力戦になる。その為の準備が整うまではソ連との戦端を開いてはならない。」

つまり対ソ戦は時期尚早と言う意見だった。

ソ連を第一の敵とする見方は二人とも近い。だがその対応は180度違った。

今すぐにでも戦いの準備をすべきと言う小畑に対し、鉄山の時期尚早論で迎え撃った。

この会議では二人の主張が白熱して結論が付かなかった。


ただ出席していた荒木は「二人の議論は対ソについては大体同じだが、支那については全然違う。だが、大方は小畑よりだった。次回も開かれるが、永田はずるくて、旅行か何かに行って逃げてしまった。だから小畑の線でやることにした」と後で述べている。

荒木は鉄山と対立していたからこの話をすべて真に受けられないが、会議の方向は小畑の主張が通ったとみて良いだろう。

だが小畑と鉄山の関係はこの会議で冷え切る。

総力戦大戦を主張する永田。

対露戦の準備を完璧にするが、それ以外は行わないとする小畑。

以後、会っても目を合わさない程、感情的になり悪化してゆく。

これが一夕会分裂の引き金になる。


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