111話 中継ぎ内閣誕生
34年7月西園寺は斎藤内閣が総辞職したのを受け、岡田啓介を総理大臣に任命する。
岡田啓介は1868年福井藩士の子として生まれ、84年に上京して上級学校を目指すが、学費の関係で海軍兵学校に入校した。日清戦争、日露戦争を経験し、23年に海軍次官、24年連合艦隊司令官、27年海軍大臣になる。その間にロンドン軍縮会議では軍事参事官として、「軍拡による米英との戦争は避け、国力の充実に努めるべし」という信念に基づき海軍部内の取りまとめに奔走。条約締結を実現した。
この姿勢が西園寺から穏健派と見なされ、首相に任命されたと思われる。
岡田は最初と2度目の夫人に先立たれ、このときは独身でしかも生活はきわめて貧しかった。岡田は妹婿・松尾伝蔵大佐と2人で首相官邸に住み込んだ。官邸では自分たちの食事も女中の食事も弁当でまかない、炊事は一切やらなかった。この当時、首相の月給は830円であった。岡田はそのうちの約半分、430円で一切の生活費をまかない、残りは首相の小遣いとなったという。
この当時の貨幣価値を一応3000倍して換算すると830円は249万に当たる。決して少額とは言えないが、一国の総理がこれだけで生活をしていたとは驚きでしかない。また秘書の松尾も同郷の生まれで海軍大佐にまで昇進し、退役後は地元で教育委員長などをしていた。岡田に頼まれ秘書となるが無給にも拘らず、岡田に従順に仕えていた。
身近なものから長年慕われていることからも岡田の人柄がうかがい知れる。
西園寺はイギリス型の政党政治を模範と考えていたので、斎藤内閣に政党への引き渡し役と考えたと同様に、岡田内閣にも中継ぎの性格が出ている。
岡田内閣は多くの閣僚を斎藤内閣から引き継いだが、政友会の高橋是清・床次竹二郎などをはずした。このことで政友会と対立することになり、後の国会で大論争に発展する原因にもなる。替わりに立憲民政党が与党の立場となった。
粘りが信条の斎藤に対して、岡田はおとぼけが得意だった。後に触れるように天皇機関説を問題視した右派が、国会で岡田の政治信条、国体の考えを質すのだが、のらりくらりと交わした。
「日本の国体をどう考えるか」と聞かれると、「憲法第1条に明らかであります」と応じる。
「憲法第1条には何と書いてあるか」と聞かれると「それは第1条に書いてある通りであります」と、人を食った答弁で切り抜けるのだ。
この後、岡田は、そのしたたかさから「狸」とあだ名を言われるようになる。
だが、政友会を外して組閣したことも分かるように、政党とのつながりが浅く、政局運営は上手とは言えない。
この後、様々なことで、右翼系の軍部や野党に回った政友会から批判を浴び続けるのだ。
そのことは又後に書く。
この頃正平に孫ができている。
長男の平壽が会社の上司の娘と結婚し、その翌年に孫が誕生し、女の子で聡子と名付けた。
3年間のヨーロッパ駐在を終え、孫を見せに来てくれた。
抱きかかえると大きく泣き出した。
「おう、元気な子じゃないか。なかなか賢そうな顔をしている」
まだ目が明かない段階なのに、孫を褒めだす爺馬鹿を発揮し始めている。
不思議なもので、子供を抱いた時はこれほど血のつながりを意識しなかったが、孫というものはまた別らしい。
「あなた。私にも抱かせてください」いつまでも放そうとしない正平にメアリが口を出す。
「ああ、すまん」慌ててメアリに赤ん坊を渡すしぐさに、子供たちも笑いに包まれる。
小さな姪っ子を正平の子供たちも珍しそうに囲んでいる。
正平とメアリの間には10歳の男子を筆頭に3人の子があり、上から三男正樹、長女の真理、二女の沙理だった。
前の良子との間には息子だけだったが、今は女の方が多くなっている。
娘の二人はどちらも、黒髪ながら茶色の瞳と白い肌がマッチしてかわいらしさを家中に振りまいていた。
「お母さん私にも抱かせて」上の娘がせがむ。
「赤ちゃんを落とさないで抱けるかな?」
「大丈夫よ」8歳になる姉はおしゃまぶりを発揮するのだった。
その様子を太助夫婦も嬉しそうに見ている。もう太助は老境に入り、体が曲がっているがそれでも家のこまごましたことに気を使ってくれている。
去年から息子夫婦が近くで暮らし、息子が次第に執事役をしてくれるようになった。
そんな和んだ中で正平は平壽を書斎に呼んだ。
「アメリカの対日観はどうなんだ?」
「すこぶる悪いですね。支那に手を出したのが良くありませんでした」
アメリカを始め欧州諸国は中国に多くの利権を持っている。ここに手を出せば、彼らから批判を受けるのは必須だ。
だから陸相時代、正平は関東軍の暴走に歯止めを掛けようとしていた。結果的に権力争いに負け、今は傍観者の立場で政権の有り様を見ていた。
「ヨーロッパの情勢も不穏な状態が増してます」
「ドイツナチスの動きが問題だな」
「ええ、今の所平和主義者をお面を付けてますが、軍拡の意欲も見せてます」
「先の大戦の敗北により、ドイツは多額の賠償を負わされた。それを跳ねのけようとナチスは考えている。それが周辺国に波及していくだろう」
「なんとも、居心地の悪い時代になりましたね。物が売り込みにくくて困ります」
「お前も子供が出来たことだし、しばらくは日本に腰を落ち着けたらどうだ」
「ええ、これから東京で家を探すことにします」
正平夫婦はいつでも孫の顔を見ることができそうだ。世界情勢とは別に塚田家においては和やかに時が動いていた。




