109話 連盟脱退
国際連盟は多大な犠牲を出した世界大戦を教訓に「二度と大きな悲劇を繰り返さない平和原則」を主張して、アメリカのウッドロー=ウィルソン大統領が言い出したものだ。戦後アメリカはイギリスに代わり、世界最大の経済力と軍事力を誇る国になっていた。そのアメリカが主導する国際連盟に戦勝国はこぞって参加を表明するが、いざ、成立の段階でアメリカが不参加を表明する。
アメリカはモンロー主義(秩序を乱しがちな旧大陸との交流を避けたい国民意識)があり、上院外交委員長など反対し参加しなかった。また日本は連盟発足時から「人種差別撤廃」を主張した。ちなみに人種差別の問題を国際的に訴えたのは、奴隷解放による南北戦争を経験したアメリカではなく日本が最初だ。連盟の事前設立交渉で日本が「人種差別撤廃」主張したが、欧米各国は難色を示し、遂に連盟の原則条項に盛られなかった。アメリカが連盟に参加しなかったのも国内の人種差別を国際問題にされたくなかったのが大きい理由とも言われていた。
世界の最強国で最大の債権国のアメリカが参加しなかったことで、国際連盟は最初から問題を抱えたまま発足した。それはイタリアとエチオピア間の紛争に力を発揮できなかったことで示された。そして脱退国も続出した。コスタリカは分担金を払えないと言う理由で、ブラジルは常任理事国になれないことを理由に脱退する。
日本は満州国が認められなかったことで脱退論が浮上する。
前に犬養が満州国承認を渋っていたものを、斎藤内閣によりようやく承認されたと書いたが、それは連盟が満州に派遣したリットン調査団の発表の前だった。そしてその調査は32年10月に公表される。「満州において日本の権益は認められるが、連盟規約、9カ国条約、不戦条約に照らしても満州事変は認められない」というものだった。
国際連盟はアメリカを含む19カ国の代表による委員会を作り、その委員会が報告書の内容を認めるように日本に勧告する。
連盟の勧告を受け入れれば、満州事変の正当性が無くなり、満州国の承認も取り消さなければならなくなる。陸軍を中心にして連盟脱退論が浮上する。
これには芦田均が衆議院で連盟脱退に反対を主張し、昭和天皇も反対の意向だったと言われる。
だが、近衛文麿貴族議員副議長などは「満州事変は日本の生存権を確保するために必要なことであり、否定することのほうが不正義である」とする声の方が圧倒的だった。
連盟脱退論が主流になり、33年2月に斎藤内閣は「連盟の態度が変わらなければ脱退する」と閣議決定する。
同じ2月、連盟総会で「満州の主権は中国にあると認めた上での関東軍の満州鉄道付属地までの撤退、日本の満州での権益を認めた上での満州住民による自治政府の設立、これらを基に連盟主導による日中両国への勧告」が議題となる。ここで松岡洋右日本全権臨時大使は「満州事変は中国が不法行為を繰り返したために、日本が自衛的に行ったもので不法性はない。そもそも中国は独立国の体をなしてない」と主張する。
だが、総会では勧告案を賛成42,棄権1,反対1(日本)で採決される。日本は侵略国の汚名を着せられてしまった。
すぐさま松岡は連盟からの脱退を表明する。
日本の国際連盟脱退は不名誉な結末に終わるが、連盟にとっても常任理事国日本が抜けるのは大きな痛手となる。
これらの一連の動きは勉強会でも話題にした。
「日本のやり方は強引すぎた。連盟から批判されてもやむを得ないだろう。松岡さんの主張は立派ですが、到底、各国に受け入れられるはずもありませんでした。ただ、連盟はこれで紛争解決の機能しなくなったのも事実です。」外交官出身の小島が淡々と説明する。
「日本はどう立ち回ればよかったとおもわれますか?」
「難しいですね。ただ少し正面から主張し過ぎました」小島の歯切れは悪い。
「私もそう思うが、やり方はあったと思う」外交問題にいつもは口を出さない正平が言い出したので、皆怪訝な顔を浮かべる。
「塚田さん。それはどういうことです」
「『目的のためなら手段を選ばない』とする考えを私は否定する。しかし満州事変はそもそも政情の手段ではなかった。それなら、リットンを満州に入れる前に、もっとやり方があっただろう。満州を正常化してからリットンを受け入れるようにするとかね」
「リットンを満州に入れさせないのですか。でも、そんなことをすれば彼や連盟は騒ぎ出すでしょう」
「満州に入る前にリットンたちを日本国内で盛大に接待しておけば騒がないはずだ」正平がそう答えると一同唖然とする。
「勿論そんなやり方を私は好まない。だが、イギリスやフランスなどはそのようなことを平然とやっている。小島君、そう思わないか?」
「まあ、ヨーロッパの裏はそうですね」
正平は永田や石原たちの満州工作の幼稚さに憤っていた。(不正をやるなら、ばれないように上手くやれ)
その本音を思わず口にした。




