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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
12章 暗躍の時代
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107話 斎藤内閣誕生

犬養首相が亡くなり、元老西園寺は急いで後継首相の選定に乗り出した。

西園寺はイギリスの様な議院内閣制を理想としていた。後継首相も国会で最大の会派である政友会総裁を考えた。事件後、政友会総裁には鈴木喜三郎内相が決定していた。ただ、政友会は鈴木喜三郎派、床次とこなみ竹次郎派、旧政友会派などに分かれていて一枚岩と言えない状況だった。

これに加え、発言権を増していた軍部が政党政治に異論を唱えていた。

軍事課支那班長だった鈴木貞一は「後継内閣は政党本位でないことを望む」「政党内閣になれば、不祥事が続発するでしょう」と西園寺の側近に伝えている。

小畑敏四郎参謀本部運輸通信部長も「政党内閣が樹立すれば、荒木陸相であっても内部の統率が困難になる」と言っている。

更に永田鉄山に至っては西園寺の秘書の原田熊雄、木戸幸一内大臣秘書官長、近衛文麿などと面会し「現在の政党による政治は絶対に排斥するべきであり、もし、政党の単独内閣になれば、軍事大臣に就任するものはいなくなる」と半ば脅かしてもいた。

荒木陸相も政党政治を否定する挙国一致内閣を強く要望したのだ。


こうした経緯から西園寺は海軍出身で前朝鮮総督の斎藤実まことを後継首相に任命する。

斎藤は1858年水沢伊達氏に仕える藩士の子として生まれ、海軍に進んだ。海軍兵学校を卒業後、アメリカ駐在武官、海軍参謀本部や「厳島」艦長を歴任し、1906年から8年間海軍大臣を務めた。ここでシーメンス事件(艦艇購入における収賄事件)により大臣を辞任し予備役となった。19年に朝鮮総督になるが、前任の長谷川陸軍大将の行っていた武断政治を改め、文治統治を行っている。ジュネーブ海軍軍縮会議の全権委員を務め軍縮に理解を示した。29年からは再び朝鮮総督になっていた。

このことから穏健派と見られて西園寺の信頼が篤かった。政友会や立憲民政党、官僚や財界からも閣僚を迎え入れ、32年5月26日に連立内閣が発足した。


斎藤内閣はそのまま高橋蔵相を留任させている。高橋は国債を積極的に発行して積極財政を行い、33年には鉱工業生産額が世界恐慌前の水準を上回るまでになっている。これは主要国の中では最も早く世界恐慌を抜け出したことになる。重化学工業の振興、公共事業の増加などの政策が効果を上げたのは事実だが、最も効果のあったのが「円安」だった。「金解禁の停止」により円安(1ドル=3円)を誘導し、これが輸出増に繋がった。

井上準之助の政策と正反対のことをして日本経済を立て直したのだ。

「井上さんは世界各国と歩調を合わせる形で金解禁を行いました。結果的にそれが日本を不況に陥らせてしまったのです。それに対して高橋さんは積極財政により、日本経済を救いました。

では、何でもかんでも積極財政をすれば日本経済にとって良いことなのかと言えば違うのです。景気が良い時にさらに積極財政を行えば、景気が過熱しすぎて物価が上昇し、制御が聞かなくなります。また国債を大量に発行すれば日本は外国から借金をすることになります。現在でも財政に占める公債の金利負担は1割を大きく超えています。日本は毎年外国にたくさんの利息を払わないといけない状況です。

これまで高橋さんの経済政策はうまくいっています。ですがこれからは増え続ける国債とその金利をどう抑えるのかが課題になります。

経済政策に理想はありません。その時代の状況に一番適していると思われる政策を行うしかないのです。」

これは勉強会で馬場亮太の発言だ。


日本経済が世界恐慌から脱した半面、面農村は見捨てられていた。

農村は自力で復興すべきと言う考えで、重化学工業に力が置かれ、公共工事も後回しにされた。

都市の発展に比べ農村が立ち遅れる。これは多くの発展途上国でも見られるケースだ。

どうしても都市部から先に発展をさせていかなければ国全体の経済は発展しない。

だから高橋政策の欠点だとは言い切れないが、負の面であるのは間違いない。

もうひとつ高橋蔵相を悩ましたのが、軍事費の増大だった。

満州問題もあって、陸軍の軍備拡大の動きに出ていて、国家予算で軍事費は再び30%を超えるまでになっていた。政党政治時代の軍事費は20%台になっていたのだが、斎藤内閣になって再び上昇するようになっている。

犬養首相は軍部に押され続けていても満州国は頑として認めていなかった。

だが斎藤内閣になって、32年9月に日満議定書が調印され、満州国が正式に承認された。

これを受け、31年度に比べ33年度の財政規模は1.5倍に膨らむことになる。高橋はこの膨れ上がる予算規模を何とか抑えようとして、軍事費の拡大には抵抗した。

高橋蔵相の働きで日本経済は破局を免れた。だが日本経済が復興したことを理由に軍部が予算をまた要求し始めてくる。

「軍人の言うことを聞いていたら日本は潰れる」悲壮な決意で軍部の要求を拒み続けたのだ。

これが軍部から反目され、新たな悲劇の要因になる。

経済官僚として馬場は蔵相の苦悩を見抜いていた。


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