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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
12章 暗躍の時代
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101話 一夕会

もう一つ陸軍の派閥を語るうえで欠かせないのが一夕会いっせきかいだ。

1921年10月永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次の三人はドイツ南部の保養地バーデン・バーデンで落合う。三人は第16期陸大卒で以前から交流があり、それぞれが、永田はスイスの駐留武官、小畑はロシアの駐留武官、岡村は欧州視察中であり、ドイツに立ち寄り高級ホテルで一晩投宿した。

ここで3人は陸軍の山県系の守旧幹部を一掃して人事を刷新、日本総動員体制の確立と軍備の改善、軍政の改革について熱く語り合う。そしてその実現のために同士の結集に乗り出すことを誓い合った。

日露戦争当時から進歩が見られない陸軍装備の近代化をはじめ、山県の息のかかった守旧派の上層部の一掃、国民と軍が乖離している現状の改革の必要性を論じ合った。話題は自ずと祖国の立ち遅れに集中し、国を憂える将校たちの危機感は募る。討論の末、三人は「古い陸軍を刷新する」ことに力を尽くしていくことを確認し合った。

帰国後、22年頃から3人は東条英機などの同調する陸軍幕僚などと会合を重ねるようになる。この会を『二葉会』と名乗る。二葉会には3人の他に東条英機、河本大作、山岡重厚、板垣征四郎、土肥原賢二、磯貝廉介、山下奉文など20名がいる。彼らは15期から18期までいて、長州閥の排除に動き、グループには山口出身者がいなかった。永田、小畑、岡村が陸大の教官をしていた頃は、山口県出身者は入学していない。山口県出身者は毎年3から5人が入学していたのだから、彼らが入試で何らかの作為を行っていた可能性が十分にあった。

永田は世界大戦後にヨーロッパの実情を視察し、国家総動員体制の必要性を認識し、国内において国家総動員体制を主張し、講演も行っている。26年の若槻内閣での国家総動員機関準備会では陸軍側の委員として関与した。陸軍省整備局の初代動員課長になっている。


また27年には永田達より年下の22期の鈴木貞一が中心になって、『木曜会』が結成された。この中には石原莞爾、根本博、村上啓作など18人前後いて、ほとんど少佐以下で、21期から24期であった。これには永田や岡村、東条なども数回会議に出席した。この会議は計12回開かれ、中でも5回目の会議が注目される。

28年3月に五回目が開かれたが、張作霖ちょうさくりん爆殺事件の3か月前だった。参加者は東条英機、鈴木貞一、根本博など9名だった。

東条は「戦争準備はロシアを主眼として、『満蒙に完全なる政治的勢力を確立』にある。この時アメリカの参加を考慮して守備的な準備を必要もする。支那との戦争準備はさして必要とは思えない。単に資源獲得の為である」と意見を集約している。

その理由として、東条は「将来の戦争は国家上げての生存をかけての戦いとなる。アメリカは生存のために南北アメリカ大陸を保有しているので十分で参加はしてこないだろう」と付け加えている。更に「『完全な政治勢力の確立』とはその地を奪うことか?」と問われると、「そうだ」と答えている。

すなわち、日本が生存を完全なものにするためには満蒙に政治的権力を確立する必要があり、海への進出を狙っているロシアと衝突の恐れがあると言い切っている。

明らかに永田の国家総動員体制と呼応する内容だ。ここで満蒙占有計画が初めて明かされた。

バーデン・バーデンでは満蒙のことは話されていない。一夕会が満蒙に関心を寄せるようになったのはメンバーの中に河本大作、岡村寧次、板垣征四郎、土居原賢二などがいたためだろう。

そして29年5月になると、二葉会と木曜会が合わさり、『一夕会』になる。

この会合で、陸軍人事の一新、満州問題の武力解決、荒木貞夫・真崎甚三郎・林銑十郎の擁立が決められる。

一夕会がポスト掌握に向けて動き出し、その中心人物が永田鉄山だった。

永田は陸軍中央部の重要ポストを一夕会のメンバーで固めようと策謀する。

岡村寧次が陸軍人事局補任課長になると、清水規矩が参謀本部総務部庶務班長になり、工藤義男が教育総監の庶務課長になる。これによって、陸軍省、参謀本部、教育総監の人事に一夕会が関与できるようになった。

このようにして一夕会が陸軍中央部の主要ポストに就いて行くのだが、宇垣はこれをあまり妨害してない。

もともと宇垣派は陸相や参謀本部長などを握っており、課長職などに関心がなかったからとも言えるし、若手を迎え入れなかったのも理由だ。


一夕会の会合がもたれているさなか、正平と水野雄二が会話していた。そこで、正平がからかうように言った。

「お前が一夕会に加わらなくて良かったよ」

「私はあんな馬鹿な奴らとは違います」と笑いながら答えた。

水野は軍事力だけで世間は通用しないと思っている。他国の統治支配など軍事力だけでできることでなく、行政能力や被支配民の意識を考慮しなくてはならないはずだ。あまりに軍事優先の一夕会とはそりが合わない理由だ。

そして水野が“馬鹿”と決めつけたのは正平も水野も仕官学校、陸大を首席で卒業し、それも学業だけに専念しないで好成績を残したからでもある。一夕会のメンバーには一人しか陸大主席卒はいない。陸大主席なら一夕会に加わり、懸命に猟官運動をしなくても主要なポストに就ける。そんなことを揶揄もしている。

「彼らは馬鹿ではない。彼らの動きは注意が必要だ。お前も彼らの動きを見ていて欲しい」

一夕会の危険な動きを二人とも気にはしていた。だが、まさか張作霖の爆殺や柳条湖事件など過激なことまで引き起こすとは見ていなかった。

二人は一夕会の策謀に気付くのが遅すぎた。


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