第十八話
「……キーロ。アキーロ!!」
「……はっ!?」
目を覚ますと、目に映ったのは見慣れた我が家……俺と、妹と、あと最近は何かその弟と連れまで転がり込んできた、我が家の天井だった。
次いで目に入ったのは、キラキラと蛍光灯の光を反射させている銀髪と、そこから飛び出ているアホ毛。
唇の影から覗く八重歯。
ちりんと音を立てる鈴付きの首輪。
そして、心配そうな視線を俺へと注いでいる碧眼。
ソレらの持ち主……俺の妹である、戸山リライだった。
「リライ……? どうした?」
「どーしたわこっちの台詞ですよ。寝てたらいきなりアキーロがうなされてて……」
「……俺が?」
「そーです。そのあと泣き出したから、もーリライもどーしていーのか分からなくて泣きそーでした」
確かに、リライの瞳の端には涙が浮かんでいる。
……て、
「俺が泣き出したぁ?」
「そーですよ」
「…………」
目を擦ってみる。手の甲が濡れてキラキラ光っていた。
「ホラ」
「あー……ホントだ」
「何があったですか? 大丈夫ですか? アキーロも猫達がいなくなって寂しくなっちゃったですか?」
リライが心配そうに俺の頭を撫でてくる。
「大袈裟だよ、リライ。悲しい夢とか見たら、たまにあるよ」
……そう言ってリライを落ち着かせようとしてるのは、長くて黒い前髪から目を守るように伊達眼鏡を掛けたボーイッシュな少女……久遠くるりだった。
……てことは、リトラもいるな。
そう思って布団を剥がしてみると、リライと同じ顔をした幼い少年、リトラが俺の身体にしがみついたまま、未だに寝息を立てていた。
「うおぉ……可愛い……ありがてぇ……ありがてぇ……!」
くるりが鼻息を荒くしてリトラを拝む。
はぁ……他にも寝るスペースをちゃんとあてがっているのに、結局毎朝起きると全員が俺の布団の中、或いは近くにいるのだ。
まぁ、今はソレは別にいい。
「リライ」
「はいですよ?」
「……俺、忘れてたけど彼女いたわ」
「ほへ?」
「何言ってんの? 急に」
首を傾げるリライに、若干引き気味のくるり。
「……記憶を失ってただけで、短期間だけど、恋人みたいな女がいたんだよ」
「……そーなんですか?」
リライが逆方向に首を傾げる。
「うん。……アレ? でもリライ。お前と初めて会った時、俺のこと彼女いなかったって言ったよな?」
「ふへ?」
「ほら、本来なら知り得ない俺の情報言ってみろーって言った時、『今まで異性と交際したことがない。いわゆる年齢イコール彼女いない歴とゆーヤツであり──』みたいなさ」
「うわぁ……」
くるりが引いてるが俺は無視した。
「あ、そーいやそーですね」
「アレ誤情報じゃねーか。なんで嘘吐いたんだよ」
俺が唇を尖らせるのと、リライが膨れっ面になるのは同時だった。
「知らねーですよぉ。自分わググリ先生が送ってきた情報を読み上げてただけです。ソレか、あの時のアキーロの記憶に、その情報がなかったからデータになかったか、アキーロが混乱するからテキトー言ったのかもしれねーです」
「何ぃ~? 余計な真似を……」
「でも自分的にわ良かったですよ? あそこでアキーロが悔いなく次の人生へと転生しちゃったら、自分一緒にいれねーですし」
パッと笑顔になったリライが、俺に寄りかかりながらパタパタと尻尾のようにアホ毛を左右に振る。どうやってんだソレ!?
「……ふむ。でもリライ。俺のファーストキスお前じゃなかったぜ。ソレも中坊の頃にもう済ませてたんだぜへっへっへ」
「うわキモいなぁもぉおー!」
「むー! 何かむかつくです!」
ドン引きするくるりに、再度むくれるリライ。
ははは……騒がしいいつもの朝だな。
「…………」
全部、思い出した。
彼女は、都優美穂は……。
優乃先輩に裏切られ、置いて行かれ、記憶障害を起こし、ぶっ壊れ、女性への強烈な嫌悪感を植え付けられた俺を、救ってくれた……大切な、本当に大切な恩人だった。
忘れるということは幸せなことだ。ソレと同時に失礼なことでもあると思う。
特に、好きになった人を忘れていた、なんてのは失礼極まりないのではないか?
ソレでも俺の脳は、精神を壊されかねない事実を消去した。
ソレくらい優乃先輩に裏切られたことは、俺にとって重く深いトラウマだったんだ。
でもさ、あいつのことまで消去しなくてもいいだろうに……!
記憶の取捨選択を自分の意思でできたら、たとえ心がぶっ壊れても俺は彼女との思い出を捨てやしなかった!
──死んだりしちゃ、駄目だよ?
──だから、もし死にたくなったら、ウチを思い出して。
──うん! 忘れない! 絶対、絶対忘れない!
「……っ」
アレだけ、言われたのに。
絶対、忘れないって誓ったのに……!
俺の膝の上でゴロゴロしていたリライの頬に、滴が落ちる。
「アレ、アキーロ……?」
忘れるということは幸せなことだ。世間一般的には。
忘れたことすら忘れたのなら。思い出さないのなら。
忘れるということは、つまりその忘れられた記憶は大したことではないんだよ、と信じていられるんなら、な。
「何……泣いてるですか?」
……どうして……!! 忘れていられたんだよ……! このクソバカ野郎……!
リライトトライ0――了。
次回はリライトトライ4(下)です。
他作品にも取りかかるので、また少々お時間をいただきます。




