第五話
「……キーロ、アキーロ」
誰かの声が聞こえる。俺の名前を呼ぶ声が。
「アキーロ! 起きるですよ!」
「秋色兄さん、起きてください」
「……んあぁ……」
「寝癖凄いよ、おっさん。シャワー浴びた方がいいんじゃない?」
薄く瞼を開くと、リライにリトラ、そしてくるりの三人が俺の顔を覗き込んでいた。
「んん……どうしたぁ? 今何時?」
ああ、そうだ。親子丼食べてから眠ったんだった。アレから何時間経ったんだ?
「一時ですよ」
一時……つまり十三時。つまり……えーと……?
「くるりさんの浄化の準備が整いました」
「……浄化?」
「はい」
「準備……?」
「はいですよ」
「……スヤァ……」
「起きろっ!!」
「あふっ!」
意識をフェードアウトさせていく最中に、股間に衝撃を加えられ、俺は上半身を飛び上がらせた。
「……っ! ……っ!」
「あ、起きたですよ」
「起きました」
「……何? 今の感触。気持ち悪っ!」
くるりが両腕で自分の身体を抱くようなポーズをしていた。どうやらこいつが俺の股間を踏みつけたようだ。
「……こ、こんがきゃ……」
のたうち回りたいところを無理矢理立たされて、バスルームへと連行された。
痛みに声も出せないこの俺に対して、容赦ない三人だが、後から思えば女であるリライにくるり。まだこの箇所を強打されたことなどないであろうリトラ。
俺のこの痛みを理解してくれるヤツは、この場にはいなかったのだ。
「……で、いよいよ浄化の始まりというワケか」
「はい」
俺の前を歩くリトラが答える。
横にはリライ。後ろにはくるりが歩いている。リトラが言うには、今俺達は、浄化のターゲットのいる場所に移動しているそうな。
「本来なら浄化はターゲットの詳しい情報を調べ、掴んだ上でターゲットのいる時代に行くのですが……今回は秋色兄さんと姉さんに指導していただくことを最優先にしているので、兄さん達がいる時代で命を殺める確率のあるターゲットに局所的に接触していくスタイルになります」
つらつらと長文を読みあげるかの如く喋るリトラ。何だか初めて出会った時のリライを思い出すな。
「そいつのいる時間に飛べない……か。ソレはちと不便だな。そう都合よく死んだり殺したりするヤツがいるのか?」
いるならいるで、異常だらけの周囲に気づかずに生きている自分に不安を覚えるぞ。
「ですから、決め手とはならなくとも原因となる要素をいくつか取り除くだけで充分なんです」
「ゲーインとなる要素?」
リライが尋ねる。多分首を傾げたな。鈴の音で分かる。
「はい。例えば今から接触するターゲットは借金を苦に命を断つ可能性が極めて高いです。ですからソレを踏み止まるように説得すれば充分です」
「極めて高いってことわ確信わねーですか?」
「ターゲットの細胞を取り込めればもっと詳しく分かりますが、いきなり噛みついたりしたら怪しまれてしまいます。ですから確率に従うしかありません」
「へー、そーなんですか」
「いや、何でお前が知らないんだよ」
「だ、だって自分、アキーロ以外のヤツとアキーロ以外のやり方で仕事したことねーですもん」
「でも知識はあるだろ」
「ねーですよ。だって自分……」
「あぁ、そうか」
「…………」
「……まぁ、今回の仕事を見学することで色々補えるし、お勉強になるもんな。俺も一緒に覚えるからさ」
そう言って俺は、俯き気味だったリライの頭を撫でる。
「ぬふふ……はいですよ」
俺の腕の下から嬉しそうに見上げてくる碧眼。
あぁちくしょう。可愛いな、うちの妹は。
「そんなワケでターゲットを説得します」
「お……おう」
気がつけば前を歩いていたリトラがこちらを振り返り、その碧眼でこちらを見上げてきていた。
「…………」
「……?」
「…………」
俺が意味が分からずに、頭上に疑問符を浮かべていると、リトラは無言で前へ向き直り、歩き出した。
……もしかして、自分の頭も撫でて欲しかったのかな?
まさかな。んなこたないか。
「……なるほど、話は分かった。でも今回説得できても借金を何とかしないとまたいつか死のうとするんじゃないのか? 働いていつか完済して真面目に生きるんだ、とかそんな意識改革が一度や二度こんなどこの誰かも分からない小娘に説得されたくらいで起きるモンかね?」
俺は気を取り直して話を戻した。
「仕方ないですよ。そもそも借金をする前に止めることができれば一番ですけど手遅れですし、とりあえず今回を凌げばくるりさんの貢献ポイントは稼げます。またいつか死期が迫ればその時にまた執行者が現れるでしょう」
「今回を凌ぐ? どういうことだ?」
「はい。浄化には、何段階かの分岐点があるんです。秋色兄さんは今まで複数の段階を全て自分で受け持ち、原因の消去までこなしているから凄いと言われているんです」
「ふむ?」
「今回みたいに、と言ってもほとんどがこのケースですが、対象と面識もない者が最初から最後まで面倒を見るのは困難です。ですので何度かの分岐点を複数の者が手分けして受け持つんです。ソレで直接罪を犯すような行動や精神状態から遠ざけることができれば充分です。勿論接触した者についての記憶は残りません」
……こいつらはソレを効率的だと思ってるのか。
「……ソレって、自分達の見てないところでそいつが死のうが知ったこっちゃないってことか?」
「……結果的にそうなります」
「リトラ、その考え方は――」
「何言ってるですか! 自分達が担当してる時だけ生きてればいーってゆーですか! そんなごまかし……! ソレでもキ○タマついてるですか!」
「リライぃぃぃぃ!?」
久々に喋ったと思ったらリライが怒りを爆発させていた。くるりも後ろで吹き出している。
「ついてます」
「お前も答えんなっ!!」
「ヴニャっ!?」
俺はとりあえずリライの頭にチョップを落としながらリトラにもツッコむ。忙しい!
「――正直、秋色兄さんのやり方は……体当たりが過ぎるというか……大胆過ぎるんです。もし最初の分岐点で取り返しがつかなくなったりしたらもう終わりなんです。慎重にもなります」
「……そうなの?」
むしろ俺はああいう関わり方しか知らないぞ。戸山流というか……もう少し俺の精神が大人でドライだったら、上辺だけの付き合いとかもできるのかもしれんが。
「はい。なのに、あなたは毎回浄化を成功させています。そこに管理者は目を着けたんです。元は罪人であった執行者。だからこそ誰よりも人の心の機微を知る者なのではないかと」
「……だから俺からそのノウハウを盗めと?」
「はい。もしかしたら秋色兄さんには、僕達には見えていない何かが見えているのではないか、と」
「……生憎だが、必勝法なんて俺は知らんぞ。今まで失敗がないのなんて偶然だ」
「……本当に?」
「ああ。そもそも三回成功したくらいで騒ぐの早いんだよ。たまたま出たとこ勝負で三回連続で勝っただけかもしれんだろーに」
「…………」
リトラが少し困ったような、ガッカリしたような目をする。いや、無表情だから分からんけど。そんな気がする。
「でも偉そうなことを言わせてもらえるなら……リトラ、さっきお前、俺は体当たりが過ぎるって言ったな」
「……はい」
「ソレは間違いだ。いや、間違いじゃないけど、ソレだけだと三角だ」
「三角?」
「俺は人を救うことは、心を救うことだと思ってる。そして心を救うには、心でぶつかる必要があるとも思ってる」
「……心ですか」
「そうだ。心をぶつけるにはまず体でぶち当たる必要があるからそうしてるだけだよ。体でぶつかって、次に心でぶつかる……ソレでもまだスタートラインに立てただけなんだよ」
「じゃあ、そこから先は……何が必要なんですか?」
「そこからは――」
「愛と、優しさですよ」
俺の言葉を遮って……いや、代わりにリライが言ってくれた。
「愛と、優しさ?」
「そーですよ。アキーロわ自分でわゼッテー認めねーですけど誰より愛があって優しーです。パパとママと、自分で自分をそー育ててきたからです」
そうリライが力強く言い、俺の腕にぎゅっとしがみつく。
……う、嬉しいけど滅茶苦茶恥ずかしい。恥ずかしいけど滅茶苦茶嬉しい。
「あ、あー……まぁ、そんな感じ? そんな風に自分がどうされたら嬉しいかとか? そんな具合に考えながらやってけばきっと大丈夫だよ、うん」
「戸山家家訓第一条!『自分がやられて嫌なことわ他人にするな!』ですよ! 逆に自分が嬉しかったことをしてあげればいーですよ」
「でも、僕は何が嫌なことで、何が嬉しいことか――」
「――リライもまだ分からねーですよー。アキーロのとこでベンキョーチューです。リトラもコレから覚えるですよー」
そう言ってリトラを抱き締めるリライ。
「姉さん……はい」
「ぬふふ……ですよね? アキーロ!」
リトラを抱き締めたまま、リライはこちらに太陽のように眩しい笑顔を向けてきた。
……ホントに。
……本当に成長してるんだな。
何だか俺が勉強させてもらってるみたいだ。
「……ハナマルっ!」
俺はそう言って親指を立てた。
……リライ。俺はお前が背中を見て、見本にしてくれるような人間でいなきゃな。
「アレがターゲット?」
俺は公園の入り口から顔を覗かせ、リトラに尋ねる。
「はい」
視線の先にいるのは、スーツ姿でブランコに腰掛ける中年男性だ。ご丁寧に片手には酒瓶。
「ねえ、アレって見るからに……」
くるりが何を言いたいのか分かる。俺も同じ印象を持った。
「はい。名前は入州虎男です」
イリストラオ……イ……リストラオ?
『リストラ男じゃん!』
す、すごい名前だな。親はもう少し将来に縁起を担がせる名前をチョイスできなかったモノか。
「はい。少し前に雇用企業から人員削減の為に解雇を告げられ、ソレを妻にも子供にも言い出せずああやって毎日公園で日が沈むまで時間を潰している男です。よく分かりましたね」
「そりゃな……」
「あんな絵に描いたようなリストラ中年初めて見た……」
俺とくるりは二者一様に腕を組みうんうんと頷く。
「……ほへ? リス……トラ?」
リライはリスと虎を頭に思い浮かべるアホ娘お決まりのテンプレ行動を取っているようだ。
「しかしあんな古典的状態ならば解決法も単純明快だ。さっき借金を苦に自殺って言ってたよな。アレだろ? リストラを誤魔化す為に借金して取り返しがつかなくなってから家族にバレて愛想尽かされて自殺ってパターン」
「その可能性が極めて高いです」
「ならばソレを食い止めればいい。まだ借金してないならさせない。もうしてるならこのままではこの先どうなってしまうか諭してやめさせよう。そんで家族に打ち明けるように言えばいい」
「……コレもあんたがさっき言ってたけど、こんな初対面の小娘が言ったくらいで前向きになってくれるかな?」
「別にすぐにやる気全快! 借金完済! 希望の未来へレディ・ゴーッ!! とはならんでもいい。もちろん最終目標はそこだが、まずは話を聞けばソレでいい」
「話を?」
「うん……多分あのおっさん、家族にも誰にも話せないで抱えてんだよ。まずはお前が弱音でも愚痴でも聞いてやれ。ソレだけで人は大分救われる。今よりは前を向ける」
「……うん」
「そんでどん底から抜け出せれば考え方も変わるよ」
「ふむ……まぁ、どん底とはいえ、まだ死んでないし、何とかなるか」
「違う」
「え?」
「まだ『死んでない』んじゃなくて、まだ『生きてる』んだよ」
「……同じじゃない」
「全然違う。考え方が変われば行動が変わる。行動が変われば生き方が変わるんだ。そして……生き方を変えるのに遅すぎるなんて事は絶対にないんだ」
……俺がそうだったからな、と心の中で付け足す。
「……うん」
くるりが少々驚いた顔で頷く。何だ? 妙に素直だな。
「アキーロどーしたですか? 何かカッコいいモノでも食べたですか?」
「言いたいことは分かるが……何だカッコいい食べ物って!? そこは素直に『アキーロ格好いいですー』って言っとけ」
「アキーロカッコいいですよー」
「よしよし。そんなワケで……とりあえずあのブランコでワンカップ片手に項垂れてるおっさんに突撃だ!」
俺はリライのアホ毛をくしゃくしゃにしながらくるりにビシっと指を突き付ける。
「突撃ですよ!」
「突撃です」
「…………」
俺の指、次いでリライ、リトラの指を見て、最後に公園の中のターゲットを見つめるくるり……の、その顔がみるみる蒼白になっていく。
「どうした。ホラ行け」
「行くですよ」
「行って下さい」
「…………」
蒼白を通り越して純白じみた顔色になったくるりがオイルの切れたブリキのようにぎこちない動きで再びこちらを見る。
「くるり!」
「クルリ!」
「くるりさん」
「わ、分かってるよ。ちょっと靴紐が……」
そう言って屈むくるり。
「…………」
「…………」
「…………」
「……コレでよし。あ、逆も結んどこう」
「……おい」
「ついでに伸脚もしとこうかな。やっぱり準備運動は大事だよね」
「……コレから泳ぐんじゃねーんだぞ」
「だ、誰も泳ぐとか言ってないし! 水着とか想像しないでよね気持ち悪い!」
……してない。
「…………」
「…………」
「…………」
「……イッチニ、サンシー」
「……俺、煙草吸ってきていい?」
「ニャー! ダメですよアキーロ!」
「いや、あと五分は始まらんだろアレ」
そもそも本当に始まるかも怪しい。
「大丈夫ですよ! 準備ウンドーわ大事ですよ! ここからです! ね、リトラ?」
「はい姉さん」
「その準備運動が終わったようだぞ」
「頑張るですよクルリ!」
「頑張って下さいくるりさん」
最後の深呼吸を終えたくるりがこちらを向く。無表情だ。
「……そう言えば、こたつのスイッチ切ったっけ?」
「……今、六月だぞ」
「……エアコン切ったっけ?」
「……そもそもつけてないぞ」
「……扇風機」
「……仮についてても心配いらん。てか汗すごいなお前」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……くるり?」
「クルリ?」
「……くるりさん?」
「……うぅっ!」
いきなりくるりが表情をぐしゃっと崩してボロっと泣いた。
「おわっ! 泣くなよ!!」
「泣いてないし! ちょっとタイム……!」
「と、とりあえず場所変えよう!」
コレだけ騒いでいたらターゲットに存在がバレかねん!
こうしてファーストコンタクトすらままならないまま、俺達は敵前逃亡する羽目になった。
「ホレ、ラムネ」
駄菓子屋前のベンチに腰掛けたくるりに、俺は瓶ラムネを差し出す。
「……ありがと」
「アキーロ、コレどーやって開けるですか?」
「ああ、こうやってキャップでビー玉を押しこむの」
ポン、と音を立てて俺は飲み口を抑え込む。あぁ、どうしても掌がベトベトになるんだよな。まぁ最小限の被害だけど。
「こーですか? ニャ――ッ!!」
そして、アレが最大限の被害だ。リライがラムネとぶっかけプレイに興じているのを尻目に、俺はくるりに向き直る。
「まぁ、何となく予想ついてたけど――」
「…………」
「――お前、コミュ障か」
「コミュ障じゃない! あんな絶望的なおっさんに話し掛けるなんてハードル高すぎるんだよ! もし『全部お前のせいだ! もう何もかもどうでもいい!』とかいってレイプされちゃったらどうすんだよ! もぉおお!」
いやレイプて。
「俺が助けるだろ」
「あんたも一発でノされてレイプされちゃったらどうすんだよ!?」
「自分とリトラが頑張るですよ!」
「二人もレイプされちゃったらどうすんだよ!」
「見境なしか。てか絶倫過ぎるだろそのおっさん。そんなバイタリティーあったらとっくに再就職に動いてるわ」
そいつ通報しても警官襲いそうだな。と心の中で付け加える。
「……正直、いきなりお酒入ってる見知らぬおじさんに話し掛けるのは……」
「……ハードルが高い、か。まぁ確かにな」
……怖い? とは俺は言わなかった。面倒なことになりそうだし。
でも実際怖いよな。十五の女の子がリストラ食らって絶望中の酔っぱらいに話し掛けるなんて。俺でも嫌だ。
「では他の候補に接触しましょう」
ベットベトのリライにくっつかれて微妙に嫌そうな顔をしたリトラが口を開いた。
「……そうだな。そいつは後回しだ。誰かいいのいないか? 理性的そうで、ヤケになってなくて、くるりでも話し掛けられそうなの」
「そもそも理性的な人間は自殺しません」
「はっはっは! ソリャそうだ! 一本取られたなコリャ。でも頼む」
「……探してみます」
そう言ってリトラは集中するように目を閉じた。
ちなみにいつの間にやらリライは飲み終わりの瓶を返しに行っておばちゃんに飴を貰ってハシャいでいた。
くるりは駄菓子屋の十円ゲームに十円玉を入れても入れても戻ってきてしまうことに腹を立てつつもおばちゃんに文句は言えずに唇を尖らせていた。
リトラはまだ検索中だ。オーバーヒートを起こさなければいいが。
……もしかしたら、リライもリトラも、あのアホ毛がアンテナになってるのかしら? と俺が激しくどうでもいいことを考えていると――
「いました。近いです」
――目を開いたリトラがこちらに汗だくの顔を向けてきた。
「よしよし。でかしたぞ、リトラ」
俺はリトラの汗をTシャツを引っ張りタオル代わりに拭い、頭をワシャワシャと撫でた。
「……はいっ」
撫でられたリトラは、いつもの無表情。だけど、俺には分かるくらいに弾ませた声で元気に返事をした。
ちなみにこの二秒後にリライが何を叫びながら飛び込んできたかは……想像に難くないだろう?




