アルルの日記~朦朧編~④
そして翌日。登校するなりクラスメイトに囲まれたあたしは、みんなの質問に丁寧に対応し、一人一人にお礼を言った。
本当にみんな心配してくれていたんだ。素直に嬉しいと思った。少し頑なな考えを改めるべきだと、またも思い知るあたしなのだった。
ソレはさておき、そんな質疑応答の最中にも、あたしは教室の隅で繰り広げられる会話に、半分程意識を傾けていた。
「大丈夫だ。問題ない」
「いやありまくりだろ。そんな状態でライブとかできんのかよ!」
「できらぁ!」
「いやできらぁって……明らかに無理だろ。死ぬぞ」
「ふ……ソレもいいな。ステージの上で死ねるなんて、バンドマン冥利に尽きるってモンだろ。宗二」
「秋、ソレ宗二じゃない。掃除ロッカーだ」
「そうだ。俺はロッカーだぜ?」
「駄目だコリャ。辞退するしかないだろ。そんなフラフラの身体とガラガラの声で、ライブとか有り得んだろ」
「治るって。気合いで治すさ」
「今から数時間で治るか!」
「でぇじょーぶだ! ド◯ゴンボールがある!」
「ねぇよ! あったとしても今から七個は集まらねぇ!」
「ナ◯ック星なら確実に!」
「俺たちナメッ◯語わかんねーから、ポル◯ガプピリットパロから先が会話が成立しねーぞ」
「ちくしょお……! ちくしょおおお──っ! 完全体に、完全体になれさえすれば……!」
「いい加減しつけーぞ!」
そんな問答の果てに、保健室に担ぎ込まれていく一幕を見て、あたしは両手で口許を抑え、プルプル震えていた。
「だ、大丈夫? アルテマさん……?」
「ぶはっ!」
駄目だ、面白すぎる。他に誰もいなかったら笑い転げてる。どうにか込み上げる笑いを押し殺しながらあたしは机をバンバン叩いていた。
そこで、まだ病み上がりなんだから負担を掛けない、と委員長が言ってくれたおかげで、あたしはコレ以上怪しまれないで済んだ。
さて、あたしを心配してくれたクラスメイトにもお礼を言ったし、思いきり文化祭を楽しむことにしよう。
ちなみに、せめてもの罪滅ぼしというワケでもないが、保険委員の責務として、たこ焼きやら焼きそばやらは寝込むこいつの隣で食べてやった。アレ? コレは見方によっては嫌がらせになってしまうか?
まぁ、かき氷はちょっと分けてやったからいいだろう。
あ、余談だがあたしを一番心配してくれたという委員長にもお礼を言って、一緒に文化祭を回って、その後あの兄弟を除いて初めてアルルと呼んでくれる同姓の親友ができるのは、別の話。
「はあぁ……」
掛けていた伊達眼鏡を外し、日記帳を閉じるなり、あたしはその上に乗せた腕に突っ伏した。足をバタバタと暴れさせる。
「何言ってるのあたしぃぃ……!」
恥ずかしい……! 死ぬ……!
あんなことがあったなんて、誰にも言えない。知られたら出家モノだ。尼になるしかない。
見た感じ、あのアホも覚えていない様子だった。あたしのお見舞いに来たことすら忘れたのかは分からないが、あたしを押し倒したことは記憶から抜け落ちてるように見えた。
「忘れてる……わよね? ねぇ?」
あたしは日記帳のカバーをペシペシ叩きながら、そう懇願するような声を出した。
だって、普通あんなことを言いながら押し倒した女と次の日に顔を合わせたら、気まずそうな顔をしたり顔を赤くして目を逸らしたり、何らかの反応があるわよね?
「う~……」
覚えてたらどうしよう? 覚えててあたしに気を遣って忘れたフリをしてたり……はないか。考えすぎ?
「あっちの秋色は……知ったらどんな顔するかな」
そう呟いて少し想像してみる。
「…………」
……何か、教えたくなってきた。どうしてくれるのよ、とイジメたくなってきた。
ついでに、あの時あいつが言っていた言葉を思い出す。
「ぷ……くくく……あーはっはっはっは!」
あたし以上の大恥だアレは。まぁあたしが言わせたようなモノだけど。ヤツのあの姿に比べればあたしの醜態など可愛いモノだ。そう思おう。でないと精神の安定が保てない。
「ソレに……収穫もあったしね」
そう、何故あの時のあいつが、知り得ないはずのことを口にしたのか、だ。
今、日記を書きながら記憶を反芻していて、推測はついた。
あたしの結論はこうだ。
おそらく、あたしにはあいつの記憶を保存しておける力がある。
以前唇を重ねた時に、あいつの記憶をあたしは無意識に自分の中にセーブしていて、今回噛みついた時にソレをあのレイプ未遂犯の中にアップロードしたのだ。一時的なモノだったのは、短期効果に設定した魅了のプログラムと一緒に送られたから? ソレとも経口ではなく噛みついたからだろうか?
コレは大発見だ。つまりあたしはあいつの記憶や意志、人格をバックアップできる。
「…………」
……まぁ、だから何だという話なのだが。使い道がイマイチ思いつかない。
あ、でもコレって、あたしが大人の秋色だったらどうするか、相談したい時に役に立つか?
「いや、しないけど!」
そこであたしは思い出した。保存したり送ったりするには噛みついたりキスしなくてはならない。そんな恥ずかしいことイチイチしてられるか! 変に思われる!
「まぁ……覚えておいて損はないわね」
……保存には粘膜を介さなくてはいけないのだろうか? 送信は噛みつくだけでいけたのに。試したい。
そもそもコレは一度保存すれば、何度でも送信可能なのだろうか? 一度送ったら消費されてしまうのか? あぁ、試したい。
保存した時点で記憶していることしか、復元できないのだろうか?
例えば……保存はキスのみなのだと仮定したら、今回あたしの中にあったのはエロ本停学事件の時のあいつの記憶なので、その後に起こったこと……愛理のことは知らない、なんてことも有り得るのか? もう! 試したい!
「あ、使い道、あるかも……」
あいつ確か上書きが成された結果、自分の周囲がどう変わったか知らないって言ってた気がする。何で自分がゲス魔王って呼ばれてるかも知らないはず。
あたしがこの力を使えば……そのミッシングリンクを埋めてあげられるのではないだろうか?
まぁその為にはこっちの変態から記憶を取り込まなくてはならないが。
「…………」
色々と試したいことができてしまったが、ここで結論。
「要するに……あのアホが来ないと話にならない、わね」
あたしは頬杖をついて、先程外した眼鏡を見る。とりあえず今回のことからあたしが考えることができるのは、ここまでだ。
今回のことといえば……あたしの中で一つ決まったことがある。
前に『お兄ちゃんて呼んでやろうか』なんて言ったことがあるけれど、あたしがあいつを兄のように思って接することは、ない。
どんなにあいつがあたしを妹と思って接してきても、あたしはあいつを兄とは思わない。そう決めたのだ。
「……あ」
そういえばあたしは二十五歳の秋色に会ったことがない。いつもこっちにいる十七歳の身体と同期してるあいつとしか話したことがない。
どんな顔してるんだろ? 少しは大人な感じなんだろうか? 髭とか生えてたりして。どうにかして見る方法はないだろうか? あたしから向こうに会いに行くとか。
会ったら色々と聞きたいことが山程ある。ねずみの王国。リライの首輪。
そして、言いたいこともある。
「ふ……ふふ、ふ」
あいつ……あたし達の外見が理想のタイプだったなんて。
……脅す材料を発見した。リライにも教えてやろうか?
……やめとこう。
しかも……ソレをおくびにも出さないように必死に我慢してたなんて──
「──可愛いとこ、あるのね」
決めた。次に会った時の第一声は、コレにしよう。
まず、何言ってんだこいつって顔をするだろう。
そしたら耳元で今回のことを囁いてやろう。
慌てふためくのが目に浮かぶ。言い訳に制約がかかりまくるだろう。
「あぁ……もう」
早く会いたいな。早く来ないかな?




