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拍転子、キツネを迎えるの編

「おーい、ふーちゃん。朝ですよー」


 ハクの声がして、眩しい朝日が史香に注いだ。雨戸を開けられたのだ。

 史香はドラキュラみたいに朝日を嫌がり、呻いて布団の中で蹲る。


「朝ご飯ですよー」

「うう、もっと寝るぅ」


 布団を捲ろうとするハクを、しっしっ、と追い払う仕草をしていると、


「ふーちゃん、ハック~に我が儘言っては駄目よ」


 と、祖母の声がした。

 もそ、と布団から顔を出すと、祖母はギョッとした顔をした。

 史香の目が腫れ上がっていたからだ。

 昨夜は色んな事柄で泣いた気がする。


「どうしたのふーちゃん!? 泣いたの? ホームシックかしら?」

「ち、違うよ。ちょっと夜更かししちゃっただけ」

「夜更かしでそんなに目が腫れる? お医者に行った方がいいかしら。ああでも、祝日だから休みかしら」


 オロオロする祖母を、史香は布団からたしなめた。


「大丈夫だってば。冷やせば直るから。それより、おばあちゃんどうして着物を着ているの? 何処か行くの?」


 祖母もハクも目を見開いて、史香をまじまじと見た。


 なになに? と、首を傾げている内に、史香は祖母の予定を思い出した。


「あ、今日は俳句の発表会!?」

「そうよぉ! ほら、ふーちゃんが選んでくれた帯留め~」


 祖母が指さす先に、帯留めの蝶が三匹、キラリと光っている。


「今日は夕食会もあるから、帰るまでハック~に家にいてもらうからね」

「お任せください」


 ハクが滅茶苦茶爽やかに言って微笑んだ。

 祖母は夕まで留守。ハクも堂々と屋敷に居座れて、写本作業をするには、願ったり叶ったりだ。


(今日は明るい書がいいなぁ。でも、最期は必ずあるんだよね……)


 そんな事を思っていると、玄関チャイムが鳴った。

「ごめんくださーい」と、午前中だというのになんとなく色っぽい声が、微かに聞こえる。

「弓弦さんだ!!」


 史香はようやく布団から飛び起きて身支度にかかった。

 しかし、髪をとくため鏡を覗き、絶望する。

 想像以上に瞼が腫れて、顔も膨れ上がっていた。


(こんな顔で、あの麗しい人の前に出なければいけない?)


 大喜びで玄関へ向かう祖母の足音と高い声を聞きながら、史香は大いに狼狽えた。

 縋る思いで部屋に残ったハクを見る。


「凄いですねーパンッパンですねー」


 ハクはニコニコしている。

 顔は良いのに、性格が悪い。しかもタヌキ。

 それでも史香が手を合わせて拝み倒すと、「仕方ねぇなぁ」と言って懐から何かを出した。

 特効薬か何かかと期待したのも束の間、史香は顔を歪めた。


「……意地悪」

「隠せるけぇ、いいだろ」


 ハクはニコニコ顔を全く崩さずに、史香へ狐のお面を差し出した。


 *


 さて、史香に意地悪をした後、ハクは玄関へ向かった。

 図々しいキツネの顔を見てやらねば。

 土間玄関では、すでに志乃がキツネを出迎え、黄色い声を出していた。

 志乃はキツネに着物を絶賛されて、残り少ない生気を惜しみなく発し、キラキラしている。

 ハクはそんな志乃の姿を見て、苦笑いする。


 志乃の奴、相変わらず優男に弱いなぁ。


 半世紀程前に手を焼かされた少女の面影を、縮んでしまった背に重ねるのは少し寂しい。

 艶々としていた彼女の黒髪は、今では白髪になってしまっている。

「こんな心の痛くなる作業は嫌だ」と言って、書の山に火をかけた激しさは、もう彼女の何処にも見えなかった。

 彼女はハクの事もお勤めの事も真っ白に忘れ、日々穏やかに孫の史香を愛でている。

 希里子はというと、志乃そっくりでやっぱり手を焼いたのに、希里子の娘の史香は大人しいから驚いた。

 史香が屋敷に来るべくしてやって来た時に、どうせ二人みたいな跳ね返りだと思っていた。

 やってきた史香は、出会い頭からハクを拒んでいる様子だった。

 癪だったから、ドングリ丼を出してからかってやった。


(「こんなの食えるか!」っつって、器をひっくり返せばいいもんを……)


 そうしたら、「ボクはタヌキじゃけぇ!」と、ドロンと化けてもっと脅かして……話は早かっただろう。

 なのに、史香ときたらオロオロするばかりで。

 笑ってしまったものの、弱い者虐めをしてしまった気分になって、慌てた。

 先祖代々受け継がれた度胸を、志乃と希里子で使い切ってしまったから、史香は怖がりで気が弱いのだろうか。


(それとも、アンタらが守り過ぎたんじゃねーの?)


 ハクは、今や一方通行の語り掛けを、自分を置いてどんどん老いてゆく背中に放った。


(心があるけん、あやかしの最期を綴り続ける作業は辛かったろう。でもボクだって、アンタらの先祖が死んでいくの見てきたけぇ……相子じゃ)


 それにしても、と、ハクは意識を今へ向け、尋ねて来た弓弦という輩を観察した。

 美青年に化けているけれど、ハクから見たらキツネそのものだった。

 柳の様に優しげだけれど、その魂はどこかツンと澄まし返っている。

 志乃に対し、「自分は向かいに住む貴女のお馴染みです」という化かしを、見破られている事は感じているハズなのに、分かっているのかいないのか、ちっとも気にしていない。

 いざとなれば力でねじ伏せる自信があるか、逃げ足に自信があるかだろう。


 上等のキツネだ、と見定めて、ハクは面倒くさくなる。


 きっと向こうも、ハクがタヌキそのものに見えているに違いない。

 写本作業を見たがったと言うし、邪魔をしてこなければいいが、目的が解らない。

 あと、史香に「招いて良い」とは言ったが、まだ招いてない。

 突然の奇襲に腫れた顔を為す術も無く、お面を持って部屋へ引っ込んだままだ。


(ボクがおる事を気配でわかっちょったハズなのに、図々しいやっちゃな)


 内心目を細めたものの、志乃にお互いを紹介されると、にこやかに挨拶をした。


「あ、どうもはじめまして。ボク、一年前からここに通っていたんですけどぉ、お向かいに骨董店なんてあったんですねー、知らなかったなぁ」

「あはは、はじめまして。朝夕店先を掃除しているのですが、私も君が小道へ入って行く所を見た事がありませんでした。裏道があるのですか?」

「掃除の時間とボクの出勤時間がずれているだけだと思いますよ」

「おやおや、秘密の裏道だったかな?」

「そんなものありませんよ。ねぇ、奥様?」


 ニッコリしたまま志乃に話を振ると、志乃もニッコリして頷いた。


「ええ。裏は林になってますの」

「じゃあ、獣道かな。今度教えて欲しいな。ははは」

「えー、獣道なんて歩けるんですか? ボクには無理だなぁ」

「まぁハック~ったら。冗談よ」

「分かってます分かってます。もちろんですよ、奥様」


 ギッスギスの二匹は、家主の手前朗らかに微笑む。

 志乃はもっとこの麗しい若者二人と戯れたそうだったけれど、もう出発の時間だったので弓弦に尋ねた。


「ところで、今日は?」

「はい。史香ちゃんに、勉強を教えて欲しいと頼まれました」

「史香ったら……お向かいさんだからって、馴れ馴れしくてすみません……」


 と、言いつつも「ナイスふーちゃん」と志乃の顔には書いてある。


「とんでもない。可愛い妹の様に思っていますので、こちらから世話を焼きたくなってしまうのです」

「弓弦さん……♡ ありがとうございますぅ。じゃあ、あの子の事よろしくお願いしますね」


 志乃は、自分が言われた訳でもないのにメロメロになって、身体をくねらせて頭を下げた。

 弓弦が微笑んで一礼する。


「もちろんです」

「ハック~も、よろしくね。じゃ、行ってきます」


 そう言って、志乃が楽しげに玄関を出て行くと、二匹は奇妙な程満面の笑みで微笑み合った。



 

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