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太陽のテニス

「月光ルナです。よろしくお願いします」


 教壇でルナが転校の挨拶をすると、まばらな拍手の音が出迎えた。


「はい、月光さんはアメリカに住んでいたということで、まだ不慣れなことがあるかもしれないので皆で協力してあげてくださいね。それじゃあ月光さんはあの端っこの席にお願いします」


 教師に指さされたのは教室で一番端の窓際の席だった。

むかつく顔で親父が「転校生のお前は窓際隅の席にとばされるぜぇー」と言っていたが、ムカつくことに当たっていた。


 ルナが席に着くと、前の席の少女が振り向いてルナと顔を合わせる。

どこかで見たような顔だと思ったら、昨日助っ人をしたチームの一人、一原春香だった。童顔に薄桃色の髪を短く2つに纏めた風貌が、より幼さに拍車をかけて見える。


「おはよう。ルナちゃん、昨日はありがとう」

「ああ、うん……一原って同じ学年だったの」

「うん。夏ちゃんが2年生で、部長が3年生」


 夏ちゃんというのは夏海のことだろうか。ルナは入部する気はなかったが、春香にその辺りの話を聞くことにした。

昼休みに入り、春香に連れられて中庭へと向かう。


「私と夏ちゃんは幼馴染で、一緒にテニスを始めたの。部長も言ってたけど、今年になって部員が一気に減っちゃって……私が今年入部しても3人しかいないの」

「ふーん」

「ここ女子高だから、他の部員の人達も女子の大会にしか興味なくて去年も大会に出られなかったみたい」


 ルナは春香の話を聞いてどこか引っかかった。


「女子の大会しかって何? 普通女子テニって女子だけの大会に出るんじゃないの?」

「それはそうなんだけど、部長が出たがってるのは違ってて……」


 そこまで言いかけたところで、春香がなにかに気がついて駆け出していった。

見ると、勢いよく夏海に飛びついて頭を撫でられて嬉しそうにしている。失念していたがそう言えば春香が一緒に昼食を食べるとなればあのテニス部の面々と遭遇してしまう。

ここまで来て逃げるのも変なのでルナは諦めて流子の前に移動する。


「ども」

「こんにちは。昨日はごめんね、こっちも時間なくて焦ってたのよ」

「春香から聞いた。何か女子大会と別のに出たがってるとか」


 昼食を食べながら流子はルナに詳しい話を伝え始める。


「普通は男子と女子に別れてそれぞれする大会が一般的なんだけど、10年前から並行して各校の男女混合の選抜チームで戦う新しい大会が始まったの」

「男女混合…」

「そう、通称男女選抜大会」


「それって、どれくらいの学校が参加してるの?」

「さすがに普通の大会よりは少ないわね。参加理由もまちまちね。片手間に出てたり、そもそも出場しないところもあるし……逆に、大会に出てる男女両方のレギュラー合わせて、最強オールスターチームで勝ちを取りに来る学校もある」


 栄光学院とか仏神前とか特に強いのよー、という流子の話をルナは聞き流しながら考える。

なるほど知りたかった情報は確かに知れた。だが、新たな疑問が生まれた。


「ここ女子高でしょ? わざわざ男女混合に出る意味あるの?」

「だって、女子だけより男女両方出てくる大会で勝った方がいいじゃない」

「なんで」

「最強って感じするじゃない」


 最強。その言葉を聞いて、ルナは流子がどこか遠い存在に思えた。


「最強か……なりたいもんなの?」

「ええ。テニスを始めた日から、強くなりたい、勝ちたいって思い続けて来たもの。ルナは?」

「興味ない」

「えー、あんなに強いのに」

「あれは親父にからかわれるのが嫌だから……」

「ふーん……あ、じゃあ最近テニスやめた理由って」


 ルナは罰が悪い表情になって口を閉ざした。脳裏に浮かぶのはあの父親の気に障るニヤケ顔。



『やーいやーい抜かれてやんの なっさけないなーこんな親父に出し抜かれるなんて ケケケケケww』



「凄い腹立つ」

「私に言われても」


 ルナに睨まれて流子は苦笑いして目を逸らす。

そうして昼食を終えると、流子は弁当箱を畳みながらルナに伝える。


「待ってるから。ルナがその気になってくれるまで」

「……」

「あ、でも期限そろそろだからあんまり遅くならないようにね」

「待つ気無いじゃん」





 その日の放課後、ルナはまっすぐ家に帰宅して外に出た。

倉庫から、自分のラケットをラケットカバーに入れて背負う。どうして断っておいてこんな物を持ち歩くのか、自分でも分からない。


(……私は、テニス、したいのかな)


 親父に負けた時のあのアホみたいな踊りを見て、むかついて辞めてしまったテニスだが、別に嫌いになった訳ではない。

昨日、ボールをラケットで打った時、自分の胸が少しずつ熱くなっていくのを感じた。


 だが、足りないのだ。流子の、あの勝ちたいという気持ちに応えられるだけの、何かが。



 


 結局、少し遠目のオートテニス練習場まで来てしまった。中に入って1セットだけ練習したが、心のモヤモヤは晴れない。ジュースでも買いに行こうと移動していると、別のコートに人だかりが出来ていた。

気になって近くの人に尋ねてみる。


「これ、なんかあるんですか?」

「ん、ああ……ほら、あのコートでちょっとしたゲームをやってるんだ。空中にあるあのリングを通って且つ相手コートのコーンに命中すればクリアっていうルールなんだけど」


 おじさんがそう解説している内に、ボールが打たれて飛んで行く。確かにリングを潜って、コートギリギリに置かれているコーンに命中する。

確かに、これだけ騒がれるのも分かるかもしれない。リングの広さは大体30cmくらいで、あそこを通してかつコーンにぶつけるのはかなり難しい。


 ……一体、誰がやっているのだろう。

ルナは今このゲームをしている人物が気になって、人混みの中を掻い潜っていく。

そうして最前列まで行くと、その後ろ姿が見えた。


 濃い桜色の髪を三つ編みにしている少女は、小柄なルナよりも更に小さかった。

少女の打ったサーブは、先程よりも更に小さなリングを潜ってセンターに落ち、そしてコートの隅に置かれているコーンまで曲がって飛んでいった。


「うげっ……」

「センターから隅まで曲がったぞ……」

「絶対クリアできないと思ったのに……あ、いえ、おめでとうございます!」


 店員が慌てて少女の元へ駆け寄る。景品をあげたくないからか、理不尽な難易度にしていたらしい。

少女は、しかしそんな店員の焦りを余所に景品棚の中から珍しいシューズやリストバンドを無視してごく普通のガットを指さした。


「……え? それでいいんですか?」

「はい……」


 少女は景品を受け取ると、足早にこの場を去っていった。

顔はよく見えなかったが、小さな澄んだハスキーボイスが印象的だった。彼女の打ったボールは、確かに普通ではなかった。かなりのスピンを、更に正確に狙って打たなければならない。

……見たい。それが出来たら、どんな気分なのか、その光景が知りたい。


「ねえ、私もさっきのやつやっていい?」




 少女が自分の忘れ物に気がついたのは、練習場を出てすぐだった。

景品とラケットだけ持って自分のバッグを忘れていた。すぐにさっきまでいたコートに引き返すと、そこにはまだ人溜まりが出来ていた。

すぐに解散すると思っていたのに、意外だった。


「スゴイね、あの子もクリアしそうだよ」

「良かったあ、景品は無しって言っておいて」


 誰かが自分がやったことと同じことをやろうとしているらしい。

自分ではよくわからないが、あれはそう簡単にはできないと思うのだが……バッグを取るついでにコートに視線を向ける。



 ルナはあの少女が打った打球を思い出していた。球速、回転、パワー……それらを、記憶から自分の体に伝える。


「……ッアァ!」


 ルナの打ったボールは、小さなリングを潜り、センターから隅のコーンにまるで吸い寄せられるかの様に曲がる。

コーンにボールが勢いよくぶつかり、コーンがゆっくりと倒れる。


 周りから歓声が上がり、ルナは緊張を解いて肩の力を抜く。そして、振り返った瞬間だった。




 時間が止まる。だが、全身が熱く鼓動を高鳴らせる。

少女の灰色の瞳は、まるで銀河のように深く引き寄せられる暗い色をしていた。目と目が合い、体が動けない。

あの打球を打った少女が、今目の前に立っている。


 初めて見た時から、ずっと心に焼きついて離れないでいた。あの少女がするテニスが、どんな景色を見せてくれるのか。

私も見たい、それと、同じものを見たい。そう思って、一度見ただけの背中を追ってこのコートに立った。


 そしてその少女が、今目の前にいる。

何を話せばいいのか分からず立ち尽くすルナに、少女がそっと近寄る。ゆっくりと手を伸ばし、その繊細な指がルナの唇に触れる。

まるで時間が止まったまま動かない二人だが、突然呼びかけられたことで時が動き出す。


「おーい、カオス! やっぱりここにいた! そろそろ帰って来い!」


 少女と同じ制服を着た男子の呼び声に、少女は後ろ目で反応するとルナから離れた。そして、ラケットカバーをギュッと握り締めながら小さな声でボソリと呟く。


「私は栄光学院1年、太陽カオス、です……今度の男女選抜大会に出ます」

「男女選抜大会……」

「……待ってます」


 カオスは浅く頭を下げて会釈すると、その場を立ち去った。

ルナはその場に立ち尽くしたまま、今言われたことを心の中で反復していた。


 そして、暫くした後、目を見開いてラケットを強く握り締めた。






 翌日、朝練の為に学園のコートに訪れた流子は、コート前に佇むルナの姿を見て目を丸くした。

ルナは流子がやって来たことに気づくと、流子に近づいて口を開いた。


「入る」

「え?」

「女子テニス部に、入る。それで、男女選抜大会に出る」

「ああ、うん……昨日の今日で凄い心変わりね、嬉しいけど」


 てっきりもっと苦労すると思っていただけに、流子は肩透かしを食らった気分だった。

ルナは大会を勝ち進んだ先に待つカオスに思いを馳せる。


 必ず、会いに行く。カオスと戦うために。

あの子と同じ場所に立って、そのテニスがどんな光景を見せてくれるのか。それを確かめる。

新しく決まった目標に、ルナは思わず顔に笑みを浮かべるのだった。


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