35話 ライバルがいっぱい1
肩こりがひどい。
ある春の午後。大量の書類を精査していたルークは、コキコキと首を鳴らした。
執務の休憩の合間に茶を口に含めば、ふとその水面にマリアージュの顔が浮かぶ。
そういえば最近、彼女の顔を見てないな。
かつてはただの政略的な婚約者でしかなかったはずのマリアージュを、最近ルークはやたら意識しだした。自分でも面白い変化だな、と思わずほくそ笑む。
「オスカー、最近マリアージュはどうしてるのかな」
「ああ、そう言えば」
雑談のついでに彼女の名を出せば、親友兼従者であるオスカーが冷静沈着に事実だけを述べる。
「なかなか大変なことになってるらしいぞ」
「大変なこと?」
「目が回るほど多忙という意味だ」
「は?」
メメーリヤ分院が多忙とは一体どういう意味だ?
王太子権限でマリアージュを王立医術士に任命したものの、つい最近まで死体解剖の案件などほぼ皆無に等しく、マリアージュは暇を持て余していたはずだ。
確かファムファロスを卒業したユージィンとコーリーが、魔導解析士としてメメーリヤ分院の職員に加わったと聞いていたけれど。
「これはぜひとも様子を見に行かなくちゃね……」
カップをソーサーに戻しながら、ルークは再び書類に目を通す。
女たらしという弱点はあるものの、王太子として非常に優れたルークにとって、執務を予定より1時間以上早く終わらせることなど、訳無いことだった。
× × ×
「エフィム、次の解剖は何時からだったかしら?」
「あと30分後じゃな。それまでに前回の死体検案書の提出を頼む」
「えーと、これだったかしら?」
「違う違う、そちらの首吊りじゃなく、こっちの溺死体じゃ」
「あー、そうだったわ。ごめんなさい」
「………」
「………」
ルークがメメーリヤ分院内のマリアージュの執務室を訪れた時、噂に聞く通りマリアージュはエフィムと共に忙しそうに立ち回っていた。
ルークが「やぁ」と声をかけてもこちらをチラ見するだけで、「忙しいからおもてなしできませんわよ」と、案の定放置される。
そこによろよろと覚束ない足取りで姿を現したのは、魔導解析士の一人・コーリーだ。
「マ、マリアージュ様。頼まれていた水質検査の結果が出ました。やはりバイカン湖にしか住んでいない独特の藻が検出されました。あとこちらは先日馬車で轢かれた遺体に付着していた塗料の分析結果です。こちらは王都の塗料会社の塗料の成分と一致しました。それから昨日解剖した変死体ですが、アルフから身元が判明したとさっき連絡がありまして。詳しい資料をもってこれからやってくるそうです」
コーリーは真っ青な顔で「へへっ」と笑いながら、大量の書類をマリアージュに渡す。疲労困憊なコーリーの姿を見て、ルークは思わず同情してしまった。
「なんだか思った以上の盛況ぶりだねぇ……」
「遺体解剖が盛況と言うのも、変な話だが」
ルークとオスカーが多忙なマリアージュに迂闊に話しかけられずその場に佇んでいると、また別の人物が慣れた風に室内に飛び込んでくる。
「よぅ、嬢ちゃん、待たせたな! 昨日の変死体はやっぱエドワーズ商会の従業員マキシアム=エドワーズで決まり! ………っと。これはこれは申し訳ない。どうやら先客がいたようだ」
マリアージュに気さくに声をかけたのは衛兵隊の制服に身を包むアルフ=ローレンだ。アルフは先客が王太子とその護衛騎士であることに気づき、深々と首を垂れる。
「王太子殿下、並びに第一聖騎士団団長・オスカー殿、お初にお目にかかります」
「貴殿は?」
「俺は王立衛兵隊第14隊隊長のアルフ=ローレンと申します。以後、お見知りおきを」
王太子とはこれが初の目通りであるというのに、アルフの態度は堂々としたものだった。普通の人間ならば王族であるルークの前では、必ず委縮してしまうものだが。
「それでアルフ、マキシアム=エドワーズの事件当日の足取りはわかりまして?」
「おお、これが事件関係者の聞き取り調査の結果だ。解剖結果と矛盾する点があるかもしれないから目を通してくれ」
アルフはルークへの儀礼的な挨拶はそこそこに、すぐにマリアージュへと駆け寄り、事件の検証を始める。その間もなぜかちらりとルークの方を振り返り、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「申し訳ありません、王太子殿下。あなたの婚約者は非常に優秀な医術士なんで、われわれ衛兵隊はその力をお借りしているんですよ。いやぁ、こんなに素晴らしい女性を妻にできる殿下が本当に羨ましい」
「………」
まるで当てこすりのようなアルフの物言いに、思わずルークの片頬が引きつった。
マリアージュはマリアージュで、アルフの言葉が癇に障ったのか、その脛に軽い蹴りを入れる。
「くだらないことを言ってるんじゃないわよ、アルフ。羨ましいなんて、かけらも思ってないくせに。そもそもこれだけ人を扱き使っておいてよく言うわね」
「でもそれが嬢ちゃんの本望だろう?」
「あー、はいはい。その通りでございますわよ。おかげで私だけでなくエフィムやコーリー、ユージィンはここ一週間ほどまともに眠れてませんけどね」
「………」
なんだかんだ言いながら、ポンポンと会話を弾ませる二人の姿に、ルークは自分とマリアージュの間にはない気安さのようなものを感じた。
さらに言い換えれば、アルフの言葉なき牽制……と言ったところか。
マリアージュがルークの婚約者であることは、この王都に住む者ならば庶民でも知っている。にもかかわらず、その婚約者の前で堂々とマリアージュを独占するあたり、アルフの肝は相当座っていると言えるだろう。
「思わぬところから恋敵出現だな」
「恋敵とか、そういう言い方やめてくれる?」
オスカーに小声で突っ込まれ、ルークは「別に僕はマリアージュをそういう意味で愛しているわけじゃないんだからさ」……と、珍しく仏頂面になる。だがそこに、またまた次なる恋敵が現れた。
「マリアージュ様。頼まれていた分析結果が出ました。昨日の現場から採取された血液型はA型。それからこっちは――」
「あ、ユー……」
マリアージュが振り向くと、白衣姿のユージィンがコーリー並の顔色の悪さで調査報告書を手に執務室に入ってきた。そしてマリアージュが名前を呼び終わる前に、ユージィンは激しい立ち眩みを起こして大きくバランスを崩す。
「ユージィン!」
「っ!」
気づけば一瞬意識が飛んでいたユージィンは、倒れかけた体をマリアージュに支えられ――つまりは正面から抱きかかえられていた。
目の下に濃いクマを作ったユージィンは、慌ててマリアージュのそばから飛びのく。
「す、すいません。ちょっと目眩がして……」
「ユージィン、まさか昨日も徹夜してないでしょうね?」
「………」
けれどマリアージュは逃げようとするユージィンの体に手を伸ばし、至近距離からユージィンの顔を覗き込む。普段は滅多なことで感情を露わにしないユージィンの頬に、パッと鮮やかな朱が散った。
「一応言いつけ通り寝ました。30分くらい……」
「たったの30分!? もう、ユージィンったら。それはほぼ徹夜と変わりないじゃない。あれだけ無理はしたらダメだと言っておいたでしょう!」
「すいません。あの、マリアージュ様。少し離れて下さい。顔が近い……」
「………」
傍から見れば上司が部下を心配するほのぼのとした光景だが、ルークはまたまた腕組みしながら顔を引き攣らせる。
悲しいかな、同じ男ならばなんとなくわかってしまう。
ユージィンもアルフ同様、マリアージュに対し仄かな恋心を抱いていることが。
――おいおい、ちょっと目を離してる隙に、なんでこんなことになってるんだ。
自分のことを棚に上げつつ、まるでかぐわしい花に群がる蜂のように、マリアージュに近づく男達をちょっと疎ましく思うルークであった。




