第97話 強気に、どうですかぁ?
ファイがニナにお使いの報告をしていた頃。夜。フィリスに滞在するフーカも上司であるアミスへの報告をしようと、携帯型通話機能付き小型演算器――通称『携帯』――の画面を点灯させる。そして、連絡帳の中にある『アミス様』の名前を押した。
すると、通信をつなぐまでの呼び出し音が数回鳴った後。
『フーカ! ファイちゃんの件、どうなったの!?』
表向きではない気さくな話し方をするアミスが通話口の向こうで叫んだのだった。
ファイの発見、及び接触について、もちろんフーカは朝のうちに済ませている。その後も折を見て連絡はしていたのだが、昼食以降はファイとの交流に専念していたのだった。
「こ、こんばんは、アミス様ぁ。お声を聞けてフーカは幸せですぅ」
『ええ、こんばんは、フーカ。それからありがとう。……で? ファイちゃんはどうしたの?』
国益に直結する最重要事項を確認するアミスに、フーカは今日1日の出来事を報告していく。
ファイとの出会いに始まり、朝食でのやり取り。誘拐未遂事件。昼食後の本格的な買い物と、別れ。そして、“その後”のファイの様子まで。憲兵と連携をしながら調べ上げた情報を、包み隠さず開示するのだった。
「――以上ですぅ。詳細については帰ってから改めて、ご報告しますねぇ」
そう言って報告を締めくくるフーカ。それに対するアミスの第一声は、
『フーカ、貴方は無事なのね?』
だった。アミスの心配が、誘拐未遂事件についてだろうことはフーカも容易に察する。
「は、はいぃ。ご報告の通り、ファイさんが助けてくれましたぁ」
『怪我は? 変なところ触られたりしていない? 翅も大丈夫?』
何度も、何度も。大丈夫だと言っているのに、アミスはフーカの身を案じてくれる。ファイではなく自分を心配する。そんなアミスを、本来、フーカはたしなめなければならない立場にある。それでも、
「もう、大丈夫ですってばぁ」
『そう。……本当に? お母様に誓える?』
「え、えへへぇ~。大丈夫ですよぉ~」
遠く離れた主人との気の置けないやり取りを、もう少しだけ堪能する、フーカだった。
そうしてしばらく続いた他愛ない会話のあと、今度こそ話題は行方不明だった白髪の少女ファイへと移る。
『聞いた感じ、ファイちゃんの人となりについては問題なさそうかしら?』
アミスの推測を、フーカも肯定する。
フーカ達の予想通り、ファイは黒狼という閉ざされた環境で育ったらしい。口語以外、ウルン語の読み書きはできず、計算も両手で行なえる範囲に限られていた。
知識も同様で、エナリアや魔物についての知識に偏りが見られ、一般的な常識はほぼ皆無。黒狼が意図的にファイの教養を制限し、従順な駒として育ててきたことが手に取るようにうかがえる。極め付きは、ファイが自分自身を“道具”だと繰り返し主張していたことだろう。
自尊心というものがまるでない、無知蒙昧な少女。それこそがフーカとアミスが導いたファイの人物像だった。
ただそのおかげ――とはフーカは口が裂けても言えないが――で、ファイは心を荒ませることなく育ったらしい。あらゆる物事を素直に受け取り、拒まない。それどころか、子供のようにあらゆる物事に好奇心を見せる。
「あれ、なに?」と控えめながら頻繁に聞いてくるファイの姿がフーカはとても印象的だった。
「か、完全にフーカの主観でしかないのですがぁ。虐待されていたとは思えないほど素直な子、でしたぁ」
『そう。私も黒狼にファイちゃんを引き渡した時に少し話しただけだけれど、悪意を持って強大な力を振り回すような子じゃなくて、ホッとしたわ』
「は、はい。それに……」
どうやら独自の倫理観は持っているらしいファイ。誘拐犯たちに手加減をしたことからも、彼女が無軌道に力を振るうような人物ではないことは分かる。さらに自尊心の低さが幸いして、ファイ本人にあまり欲が無さそうなのも大きい。おかげで常識が無いなりに、人間生活に溶け込むことができていた。
「も、物覚えは良さそうなので、このまま時間をかけて常識を教えていけば、いずれは……」
『そう、ね。彼女の人となりを深く知れたのは、大きいかしら。だけれど……』
アミスが言いたいことは、フーカも分かっているつもりだ。
ファイを真人間にしてアグネスト王国民にするには、現状、あまりにも状況が悪い。
まず、ファイの身柄が「ニナ」という人物に押さえられてしまっていること。そして、ファイがニナを認めていることが良くない。
『もし茶髪の子……ニナさん? ちゃん? が、ファイちゃんに命令すれば、町1つなんて簡単に消し飛ぶわ』
「そ、そうですねぇ。それに恐らくファイちゃんの性格的に、ためらうことなく素直に実行してしまう……」
黒狼で虐待を受けていたことは、もう既に調べがついている。そんな環境から“普通”の生活に戻った時、ファイは間違いなくその場所を“いいところ”として気に入ってしまうだろう。ファイにとっての大切な場所を先に作られてしまったことが、フーカ達にとってよろしくない。
『フーカ。確認だけれど、ファイちゃんは防犯撮影機を買わされていたのよね?』
「は、はいぃ。それは間違いないですぅ。『ニナのため』って、嬉しそうに言ってましたぁ」
恐らくファイの行動を監視するための機器を、自ら買わされているなどファイは想像もしていないだろう。
『そう……。それに、私たちが付けた追っ手もまかれてしまったのでしょう?』
アミスがそう言ったように、フーカはもちろん、ファイの帰る場所、ひいては誘拐犯ニナの所在を知るために追っ手を付けた。
だが、折の悪いことに野盗が現れたり、『聖なる白』と呼ばれる過激な宗教組織が現れたりしたせいでファイに警戒されたのだろう。“不死のエナリア”周辺の雑木林に入る手前でファイに大規模な風魔法を使われてしまい、ファイの姿を見失ってしまったのだった。
従順で何も知らないファイが、自ら考えて行動するとは考えられない。恐らくそれも、誘拐犯ニナによって指示されたものと見て良かった。
『1人で町に送り出しても大丈夫。その程度には、もう、ファイちゃんの洗脳は終わってしまっていると見て良いのかしら?』
「そう、ですねぇ……。それに、恐らく誘拐犯たちの国の言葉と思われる、不思議な言葉も使ってましたしぃ」
『あら、フーカが知らない言葉もあるのね。ということは、ニナさんはこの大陸にある国の間者じゃないってこと?』
「まだ暗号という可能性もありますがぁ、恐らく……」
ニナの目的も、出自すらも分からない。しかし、状況だけを見れば、着々とファイは“ニナの物”となりつつある。
『ややこしいことに、白髪教の人々でもないのでしょう? というよりもあの人たち、どうやってファイちゃんが白髪って知ったのよ……!』
恐らく通話口の向こうで頭を抱えているだろうアミスの姿を想像しながら、フーカも苦笑を漏らす。
白髪教は聖なる白の別称だ。蔑称とも言うかもしれない。圧倒的な力を持つ白髪を崇め、彼ら彼女らこそを至上の存在とする頭のおかしい集団、というのが世間の認識だ。ただ、そうして一部の人々が畏敬の念を抱いてしまうほどに“白髪”は特別なのだ。
実際、誘拐犯から助けてもらう瞬間、一瞬とはいえファイの力を垣間見たフーカ。何が起きたのかを結果だけが物語る光景は圧巻であり、心奪われるような瞬間だった。それこそアミスという絶対的な主人がいるフーカですら、ほんの一瞬、ファイに見惚れてしまうほどには。
そんな白髪の特別な力を崇める人々こそが、聖なる白。彼らがどうやってファイの変装を見抜いたのかというのは、おおよそフーカも分かっている。
「こ、黒狼の残党、だと思いますぅ。街中でファイさんを見つけた組員が、何らかの目的で教えたんじゃないですぁ?」
『黒狼……。解体されてもなお、ファイちゃんの足を引っ張るのね』
エグバという統率者なき今、誘拐・強盗・麻薬など、好き放題やっている黒狼の元組員たちにはアミスも頭を悩ませているようだ。
(もし凶悪さを増した黒狼にファイさんが利用されるようなことがあれば、未曽有の大災害が引き起こされかねません……)
携帯の通話口の前でキュッと唇を引き結んだフーカ。わずかな間を置いたのち、腹心として、アミスに進言することにする。
「あ、アミス様ぁ。本格的にファイさんの対策をしてもらうべきじゃないでしょうかぁ?」
フーカが言ったそれは、もはやファイの意思など関係なく彼女を確保し、徹底的に常識を獲得する教育を行なうということだ。人権に反する面もあるが、人命には代えられない。事態が悪い方に転がりつつある以上、強硬手段もありではないか。
「幸い今回のことで、誘拐犯とファイさんがまだ、王国内に居るらしいことも分かりましたぁ。なのでぇ……」
本格的なファイの捜索と、保護。それを国王夫妻に打診してみてはどうか。フーカの言葉に少しだけ考えるような間を置いた後、
『その辺りの詳しいことについては、フーカ。貴方が帰って来てからよ。とりあえずさっさと帰って来なさい。そして、突かれた私の肩を揉みなさい』
これ以上はさすがに通話でするような軽い話ではないと、一度話を棚に上げることを提案してくる。結局、今回の通話でアミスが言いたかったのは「さっさと帰ってこい」だったのだろう。
「そ、それはご命令ですかぁ、アミスティ様ぁ?」
『ええ。王女命令よ。というよりも側近がひと月近く主人の側を離れることの方が異常だわ』
「あはは、そうですねぇ。では、明日にでもフィリスを発つことにすますぅ」
『ええ。待っているわね!』
最後は素の無邪気さを覗かせて通話を切ったアミス。終始、通話口から感じられたアミスからの愛に、
「アミス様、しゅきぃ~♡」
だらしなく相好を崩すフーカだった。




