第95話 えっと、だから――
※文字数が約4500字と少し多めになっています。予めご了承ください。なお、読了目安は9~11分です。
「ただいま――」
「お帰りなさいませ、で、す、わぁぁぁ~~~っ!」
「(ひょい)」
執務室の扉を開けた途端に飛び込んで来たニナを、ファイはギリギリのところで躱す。一方、ファイが受け止めてくれると思っていたのだろうニナ。相当な勢いでファイの目の前を通過したかと思えば
「きゃっ!? あぅぅぅ~……」
壁に激突して目を回すのだった。
人工的な金属製の壁が人の形にめり込んだというのに、ニナ本人は広いおでこを赤くするだけ。改めて彼女の頑丈さを実感するファイは、腕にかけた紙袋や足元の木箱を視線で示す。
「ニナ、ただいま。荷物がつぶれちゃうかもしれないから、ニナを受け止められなかった。ごめん、ね?」
「はっ!? いえいえっ、わたくしが思い余っただけですわ」
さっと立ち上がると、居住まいを正したニナ。そして、行きがけに見せていた不機嫌そうな顔はどこへやら。
「お帰りなさいませですわ! わたくし、ファイさんのお帰りをそれはもう、お待ちしておりましたっ」
少し赤くなったおでこを覗かせながら、ファイを笑顔で出迎えてくれるのだった。
「それではファイさん! 買ってきた物を見せてくださいませ!」
「分かった」
ニナの言葉に頷いて、ファイはまず服を見せる。
「まずは、これとこれ」
艶のある生地に透け感のある素材で作られた装飾をあしらった、清楚さのある白い上衣。そこに合わせたのは、折り目が印象的な長い丈の黒の下衣だ。裾に向けて広がる意匠のため、輪郭は裳に近いだろうか。
「ふむふむ。下衣と裳の良いとこ取り、という衣裳ですわね。服の方はファイさんの髪色や雰囲気と合わせた感じでしょうか……。絶対にお似合いになりますわぁ~……!」
ファイとしても満足のいく上下揃いの服だったので、ニナの反応には大満足だ。それじゃあ次は、と、紙袋を漁るファイに、ニナから確認の声がかかった。
「ところでファイさん。このお洋服はおいくらだったのですか?」
「その服? えっと確か上と下、合わせて10万Gくらい。これが領収書なんだって」
「お預かりしますわね。ふむふむ、なるほど10万G。なるほど、なるほど……。……10万ですわぁっ!?」
唐突に椅子から立ち上ったニナの声に、ファイがびくりと肩を震わせる。
「そ、そう。服の襟の所にあるこの羽の印。『飛翔宮』っていって、ウルンでは有名なお店、なんだって」
「銘柄物……。ぼったくられたというわけではないのですわね」
恐らくファイが銘柄物の高級な服を買ってくるなど、ニナは想像していなかったのだろう。
しかし、ファイが服の選定を頼んだ人物は普段、アミスという王族に仕える立場にあるフーカだ。彼女が選ぶ者は自然と質の高い物となり、それに伴ってお値段も上がっていた。
「えっと、ダメだった?」
「い、いえ、そんなことは! ですが、お渡ししたお給料は30万Gと少し、でしたわよね?」
緩衝材の効いた座り心地の良い椅子に座り直すニナからの問いかけに、ファイは頷いてみせる。
「うん、そう。だからその金額に収まるように、フーカに計算してもらった」
「なるほどフーカさんに……」
言いながら、改めてファイが差し出した領収書に静かに目を通し始めるニナ。その間に改めて足元の紙袋を拾い上げようとファイがしゃがんだその瞬間。
「……フーカさんですわぁっ!?」
「(びくぅっ!?)」
またしても大声で叫んだニナに、驚きで身をすくませてしまうファイ。
「……ごめん、ニナ。ちょっとうるさい」
思わずじっとりとした目をニナに向けてしまうファイをよそに、椅子から立ち上ったニナ。机を回り込んで歩いてきたかと思うと、むんずとファイの両肩を掴む。そして、強張った笑顔でファイの顔を覗き込んできた。
「ふぁ、ファイさん? 少し確認なのですが、お使いはおひとりで? いえっ、そうですわよねっ!?」
主人からの圧強めの問いかけに、ファイとしてはぜひとも頷きたい。手伝ってもらったことを言葉にするのは、自分が1人で買い物ができないことを伝えるようなものだからだ。
(けど……)
もしここで誤魔化すようなことをすれば、親身になって手伝ってくれたフーカの善意を否定することになってしまうような気がした。そのためファイは正直に、ありのままの事実を伝える。
「ううん。フーカ……。えっと、光輪の黒髪の人に手伝ってもらった。ニナも見たことある、はず」
「そ、そんな……!」
立ち上がったニナが、ワナワナと震えながらゆっくり後退していく。青ざめた顔で「信じられない」とそう言うようにファイを見下ろすニナの瞳に、
「ぁ……」
ファイの喉が鳴る。買い物すらも1人でできないのだと、ニナに呆れられてしまったと思ったのだ。
それはファイが帰り際に妄想していた、ぞんざいな扱いそのものだ。
しかし、ファイはまだ、自分がニナにとって替えの効く存在であることを知っている。優秀な道具ではなく、何もできない“役立たず”であることを自覚している。
呆れられても捨てられない。ニナにとっての唯一無二の道具であるという確証を――自信を、ファイはまだ持てずにいる。そのため、ぞんざいな扱いを喜ぶよりも先に、捨てられるかもしれないという恐怖が勝ってしまっていた。
だが、そんなファイの不安はすぐにニナの独り言で解消される。
「わたくしがファイさんのお写真に夢中になっている間に、初めての“一緒にお買い物♡”が……っ」
執務机に身体をぶつけ、静かに膝から崩れ落ちるニナ。彼女の言葉を読み解くなら、どうやらニナはファイと一緒にお買い物に行こうと思ってくれていたらしい。
つまり、呆れられたわけではない。
そう分かると同時、ファイの身体を縛り付けていた捨てられる恐怖が氷のように溶けていく。それに伴って頭も回るようになり、落ち込む主人にかけるべき最適な言葉を導き出す。
「大丈夫だよ、ニナ。えっと、だから。こ、今度……ね。今度……」
「こんど? こんど、なんでしょうか……?」
ファイが口にしようとしているそれは、紛れもない願望だ。言葉にするファイには激しい抵抗がある。それでも今は、主人を元気づける優秀な道具という建前がある。
(だからコレ、は、大丈夫!)
あくまでも自分の弱さ――欲望――ではないのだと言い訳をして、言い聞かせて。
「こんど一緒にお買い物、いこ?」
ファイは自分の想いを言葉にする。
もちろんその言葉の裏には、最近ニナとあまり話せていなかったことによる“寂しさ”。また、行きがけは不機嫌そうだったニナが笑顔で迎えてくれた“嬉しさ”という2つの感情があることは言うまでもない。
「ファイ、さ……んっ!?」
ゆっくりと顔を上げたニナが驚きの声を上げたのは、彼女の視線の先に、微かに頬を染めて服の胸元をぎゅっと握る――照れの感情を覗かせるファイがいたからだろう。
うっとりしたかと思えば、涙ぐみ、嬉しそうに笑う。刹那の間に3つの表情を見せたニナだったが、結局は。
「ファイさぁぁぁ~~~んっ!」
「わっ……とと」
思い余ったように、ファイの方に飛び込んでくる。今度こそニナを抱き止めることに成功したファイがホッと胸をなでおろす目と鼻の先で、ニナが満面の笑みを咲かせる。
「はいっ! 必ず参りましょう! わたくしの全財産を投じて、ファイさんが望むものを買って差し上げますわぁっ!」
「ニナ、ニナ。私に欲しい物は、無い。だから私が、ニナの欲しい物を買う、ね?」
「はわぁっ!? もうっ、もうっ、もうっ! ファイさんてばぁ!」
言いながら、ファイをぎゅっと抱きしめてくれるニナ。
ふんわりと香る、甘くまろやかなニナの香り。ファイよりも少しだけ高いだけのはずの体温が、ファイにはひどく熱く感じる。しかし、その熱はフォルンが生む「暑さ」とは違い、ファイにとってはひどく心地良い。
(やっぱり私のフォルンは、ニナが良い、な)
ニナを抱き、もはや特技となりつつある「よしよし」をしてあげるファイ。彼女の顔には、本人も気づかないほど、自然で、優しい笑顔が浮かんでいたのだった。
「……ところで、ニナ。“おしゃしん”はなに?」
「おしゃしん?」
「そう。ニナ、さっき言ってた、よ? 私のおしゃしんを見てたって」
「ファイさんの、おしゃしん? おしゃしん……。お写真っ!?」
ファイの腕の中で、ニナがあからさまに身体を硬直させた。
「さ、さぁ……? 何のことでしょう?」
言いながら、ソロソロとファイから身を離す。が、エナリアの主として振る舞っている時はともかく、普段のニナは非常に感情が分かりやすい。今もあらぬ方向を向いて、ファイの方を見ようとしてくれない。
ファイでなくても分かるだろうニナの誤魔化しに、ファイの旺盛な好奇心がむくむくと目を出す。が、ルゥとの関係性や両親について聞こうと思った時と同じで、ニナが隠そうとしていることに踏み込んでも良いのかという躊躇いもある。
もし“おしゃしん”がニナにとって大切なものであるとするなら、不躾に踏み込むと嫌われてしまうかもしれない。最悪、余計なことをするダメな道具として捨てられてしまうかもしれない。
踏み込んで聞くべきか否か。悩んで追撃をしてこないファイの態度を好機と見たのだろう。
「そ、そんなことよりも次のお仕事のお話を――」
ニナが強引に話の切り替えをしようとしたところ、まるで入室の機を見計らっていたかのようにコンコンコンと、扉を控えめに叩く音がした。
「ニナお嬢様」
その声だけで、扉の向こうに居る人物が誰なのかはファイにもニナにも分かる。
「り、リーゼさん!? ままま、待ってくださいませっ、今は……きゃぅ」
急いで立ち上がろうとしたニナが、足をもつれさせてすっ転ぶ。
「ファイ様のお写真の現像が……あら」
いつもは入室の許可が出るまで絶対に入って来ないリーゼが、今日はなぜか扉を開いて入室してくる。しかも扉を開く際、手に持っていた紙の束から何枚かを取りこぼした。
そうしてファイの目の前にはらりと落ちてきたのは先刻、ウルンに行くために服を着替えていた時の自分の姿を映した紙――写真だ。完全に着替えを済ませた物から、着替え途中の肌色が多い物まで。様々な格好の自分が映る写真をファイは物珍しげに眺める。
一方で、なぜか焦った様子なのはニナだ。
「ち、違うのですわファイさん! これは……。これには、そうっ! 大瀑布よりもふかぁ~い事情が――」
「失礼いたしました、ファイ様。お嬢様がどうしてもおっしゃるので、ファイ様のお写真をこうして現像して参った次第です」
「リーゼさん!? どうして今そのことを!?」
「お嬢様のため、です」
「意味が分かりませんわ!?」
そんなニナの声でハッと我に返るファイ。先ほどのリーゼの言葉をもう一度自分の中で再生し、重要な単語――写真が含まれていたことに気付く。
「……ニナ? これが例の“おしゃしん”、なの?」
「あ、う、あ……」
ファイの問いかけは、単にこれが写真というものなのかを確認したかっただけだ。が、ニナにとっては違う意味に聞こえたらしい。
「ち、ちちち……」
「ち、なに?」
ファイの追及に、観念したのだろう。赤面しながら涙目になると、
「違うのですわぁぁぁ~~~!!!」
エナリア中に響き渡る声で、冤罪を訴えるのだった。
※たくさんの身に余るご評価を頂いて、本当にありがとうございます。頂いた応援を励みとしながら、ご期待に少しでも応えられるよう、これからもファイ達の姿を描いていけたらと思います。




